見出し画像

子どものため、自分のために決意したこと

今回は子どものことというより、自分のこと

息子の出生の際の記事をまとめた際にも少し触れましたが、私は20歳の時に父親を亡くしたので、そこが1つ目の人生のターニングポイントだったと思っています

簡単に言えば、描いていた方向とは違う道を選ぶようになった瞬間

自分自身が長男の生まれであったことも少なからず大きい理由で、残された家族のことを考えると、自分の進路でわがままを貫いたり、不安にさせるような発言をすることもほとんどなかったような当時の思い出があります

それから約20年くらい経ち、現在では自分にも2人の子どもがいて、父親として子どもたちには好きなように生きていってもらいたいなとつくづく思っています

私自身は進路自体は夢とは異なる道を選択しました

それでも、父親が残してくれた財産や、母からもらった声によって大学もちゃんと卒業させてもらえたし、結局はそのおかげでしっかり就職したり、そこから人に恵まれたり、立ち位置も上げることができたりと恵まれ続けているようにも思っています

当然運も味方になってくれたのですが、今振り返ると子どもの頃から父が稼いできてくれたおかげで学習環境や運動に励む選択権をもらえてたことが大きいんだな、なんて思ったりします

そんな私でも不思議に思うのですが、学力とか運動能力とか、そりゃあったほうが良いのはわかるものの、自分の子どもたちに無理に強制はしたくない気持ちのが強いようで…何となく自分が進む道を、自分自身で選択してくれれば学力や運動能力はいらないかもなって思ってしまう自分がいたりします

ここら辺の気持ちは子どもの成長と共に変化は起きるかと思いますが、今現在はそんな気持ちです

そして、タイトルに書いた決意の話

最近自分が父親を亡くし、自分自身に子供ができて少し落ち着いた今、私自身の今後の人生について考えるようになりました

40代に突入して、残りの時間でどういう人間になりたいか…

一つだけハッキリしたことがあります

それは、「子どもたちに対して自分の夢を叶えたことがある親でありたい」ということです

前述の通り、自分は一度目指したい世界を諦めたタイミングがあります

でも、実はその後の20年はいつかチャンスがあれば目指したい世界に飛び込めるように自分を高めてきた期間でもありました

必要なスキルや人脈やお金や情報を蓄積していく行為は、心の中に「意味のある遠回り」をしていくという野心があったからできたことだと思っています

この野心をこのまま眠らせておくことも親の務めかもしれません
場合によっては子どもたちにかけられる時間が極端に減るから…

それでも、やはり子どもの前で夢を諦めた親になりたくないという気持ちも強くなってきました

何せ、子どもたちには自分で自身の道を切り開いてもらいたいからです
環境は与えていくのは前提として、これからやってくる彼らの悩みや問題に寄り添えるためにも、夢を叶えた親である方が価値が高い気がしているのです

そんな決意を2024年の頭に立てて、この1年を過ごしてみようと思います

実は、自分のために道を開くことが20年ぶり過ぎて、、、少しビビっています

子どもたちには内緒ですw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?