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Girls

女性に対する褒め言葉はいっぱいあるけれど、女として生まれたからには、何だかんだ言われて嬉しいのは「かわいい」だろうなと思う。それは多分万国共通だろうし、女性の心に近づく為の、通行手形のような役割を果たす事すらあるかも知れない。

かわいいというそれは、顔立ちだったり 装飾だったり 髪型やメイクを抜かりなくする事で取得できる努力の賜物であり、かわいいの数は女の子達の勲章だ。当然私も言われたらそりゃ嬉しい。

ただ言われないだけだ

でも数年前から仲良くなった友人を見ていると、かわいいの定義がどうにも退屈に思えてくる。彼女とは出会ってもう4年経つけれど、私は今ではすっかり彼女のファンになってしまった。なぜなら彼女は女性としていつもお洒落でかわいいからではなく、

何とも「魅力的」な人間だから。

強引に言い切るなら、造形美のかわいいだけじゃ魅力的な人間には到底なれなくて、彼女のような誰に左右されず、自分らしさを思慮深く見つけ出しているような人というのが、表面的な事や女である事以上に、他者に感心を抱かせる魅力を秘めているんだろう。

その友達というのは、改めて見ても取り立てかわいいという容姿ではない事に気づく。
でも私のように必死に造形を見繕ってよくよく平凡な顔と気付かれるよりは、遥かにマシな話だし、もっと別のなにか きっと彼女を形成してきたプロセスに魅力が詰まっていて、それはいつだって世間の視点からみたかわいいを勝っていた。


そしてつい先日、一緒にランチをしていた時の彼女といえば、ピアスやグロスもつけていなかったし、終始ケラケラ笑いながら目の前のランチをパクパク食べていて、その屈託ない仕草や表情を気付けば見つめてしまう自分がいた。加えて彼女が話す話題はいつもユーモアや説得力があって、こんな近くで彼女の話す言葉を独占して聞いているのに、なお聴き逃すまいと耳をすましてしまう。
そう、彼女から匂う魅力は、私がその日持っていた鞄が間違いなく贅沢品だという事実や、その日つけていた甘い香水の香りで醸し出せるものではないのだ。

そしてよそ行きの彼女でも十分チャーミングだけど、私が家に泊まりに行った際の彼女というのは、室内とはいえシャツのボタンもアバウトに留めるだけで、隙間からチラチラ見える下着も御構い無しだし、
お風呂上がり汗も引かないままラフな格好(むしろ下着姿)で足の爪にマニキュアをピュンピュン塗りだしたりする。

その彼女の無防備な「ふしだらさ」は、「だらしがない」で片付けたくない位には私をドキドキさせる。
彼女という生き物はきっと、赤い口紅を塗らなくても、面積の小さいランジェリーを着けなくても、どうしようもなく、あだっぽくて、もう、彼女そのものが、どうしようもなく「女」
で、何より本人がその色気や魅力に気付いていないのが最強なんだと思う。

世の中には「かわいい」人がいっぱいいる。むしろみんなかわいくなれる。なろうと思えば。しかも、後から後からかわいい子は増殖する。けど、そんな世の中で、その人にしかない「らしさ」を持っている魅力的な人に出会えるというのは、本当に、本当に、本当に 貴重だ。

私は、彼女と友達になれて

本当に 本当に 本当に 良かった。

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