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解釈せず、そのまま吸収する

ことばは定義されずに話されることが多い

同じ言葉を使っていても、違う意味で捉えてることってないですか?
つまり、定義が違うってこと。

定義をそろえてなかったとしても、同じ認識を持っていると感じたときに、人は“わかりあえている”と感じるのかもしれない。

逆に言えば、わかりあいたいと思うなら、言葉の定義をそろえるところからしてみるのもいいかもしれない。

科学変化を見るのが楽しみでニヤニヤしてしまう

3/13-3/14 香川県にある 日本のウユニ塩湖と呼ばれる父母ヶ浜にある
すてきなゲストハウス クーベル にて 対話リトリートを企画してますが

打合せがすでに対話会な感じなんですよね~

それぞれが自分の想いを、みんなの真ん中に言葉として置いてくる。
それをうけて、次の言葉が湧きあがってくる。

ご縁元である、中野さんに、何を期待しているのですか?
という質問をしたところ

「まみーた」という炎はあまりにも強すぎて、みんなが焼き焦がされてしまうと感じたので、もう1つの炎「浪越さん」を持ってきてみた。
「まみーた」と「浪越さん」という炎のハザマで串に刺さってローストされる松井さんが、どんな化学変化を遂げていくのか、ニヤニヤしながら見守りたい。

非常に、斜め上からの回答が返ってきました(笑)

でも、ほんとそういうことだと思うんですよね。
人の変化する過程こそが、本当に面白く興味深いこと。

ぜひ、ローストされる松井を見に来ていただきたいものです。

共通している3つの想い

存在そのもの

「そのままでいいんだよ」が体現されている世界観をつくりたい。
特に、ぼくの想いではありますが、「~せねばならない」「~でなければ」に囚われている人や、普段から頑張っている人にこそ、この対話リトリートに参加して欲しい。

違う世界観に触れることで、自分の中に豊かさを見出してほしいと思ってる。

自発性

イベントを提供する側、提供される側という壁というか、垣根を極限まで撤廃したいと思っている。
例えば、食事ひとつとっても、出されるわけではなく、自分たちで調理して、自分たちで盛り付けて、みんなで楽しみ、自分たちで片づける。

今まで、イベンターとして企画運営をしてきていると、ついつい「場をつくらなければ」という意識が出てくる。

でも、よく考えてみたら「みんなでつくった場」であって、「自分がつくった場」ではなかったんだよね、ということが今になってわかってくる。

主催者という立場もすべて手放して、自分もイチ参加者として楽しみ、そして全体に貢献できるように自発的に動いていきたいと思ってる。

日常と地続き

ケ晴れという言葉がある。
ケ・・日常
晴れ・・特別

祭りとか結婚式とかを「晴れの日」というけど、まさに“非日常”が晴れ。
自分たちは、キャラバンツアーの中の1日であり ケ として捉えているかもしれないが、参加するお客さんにとっては、イベントという意味で「晴れ」かもしれない。

「晴れ」意識の人を、どれだけ「ケ(日常)」意識にできるかなと、考えているときに、浪越さんが面白いアイデアを出してくれた。

気を遣った発言を対話でしたら、木に書いておく。
それを後から、焚き火にくべてしまう。

これ面白いと、個人的には感じたんだよね~。

“気を遣ったら、木を使う”

ダジャレか!! と突っ込まれそうだけど。

日程(案)

13日 朝から海で気軽に焚き火
   好きなものを自分たちで持ってきて 焚き火で焼いて食べちゃう♪

   夕方 クーベル
   つくって たべて 片づけて
   基本 食材持ち寄りで みんなで作って みんなで食べる

   フードロスの問題を解決したいという活動のひとつにもつながってる
   この企画

   夜 薪の火にあたりながら 対話会

14日 朝 早朝の海で 対話会してみたい
   朝食 6時からやってる 讃岐ラーメン があるらしい・・
      シンプルに浪越さんのつくった塩での 塩むすびも良き

   9時 コトタビ  せっかくまみーたがいるので対話会したい

    11時 掃除の時間 日本に古来から伝わる掃除をする

あくまで 案 なので いろいろ変更やら調整やらはいると思いますが
今は、こんな感じでやるのはどうかなと

参加費は 宇宙料金 だしね。一部参加だけとかも大歓迎♪

信じて委ねて巡らせるキャラバンツアー



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