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女性起業家の「やりたい!」を叶えるサポーター

プロフィールというのは、いかに限られた文字数で、その人の話を聞きたくなるか、著書を読みたくなるかという視点で書かれているので、細かいエピソードなどは織り込めないのが残念なところですよね。

実はわたくし、小さいころから、ちょっと変わった子どもだったようです。
そんなエピソードもチラ見せしつつ、人となりを知っていただければと思います。

プロフィール

株式会社わくわくランド代表取締役
ドリームシップ・カンパニー 代表
東かがわ市わくわく課 広報主任


松井創

人はなぜコミュニティをつくるのか」著者
オンラインイベントの教科書」共著
スモールビジネススタートアップ大全」共著
 オンラインビジネスマスターコンサルティング 講師
 わらしべ商人の読書術認定インストラクター
 わらしべ読書 de 読書感想文トレーナー
 香川県代表ペライチサポーター
 

これまでの経歴
三菱電機カスタマーセンターの下請け電気屋「ダイヤモンドメンテナンス」として独立したのは、若干20歳の時。その後、ダイヤモンドメンテナンスはエアコンクリーニング専門店としてリニューアルし現在に至る。

その間、創業4年目に若気の至りか人生の目的が見えなくなり、父親に会社を任せ、仕事の上で自分探しの旅に出る。

様々な仕事を経験をした中で、営業職という職種が自分に向いているということに気づく。

そこから保険営業、ルートセールス、WEB販売促進、ベンチャー企業で営業職を徹底的に経験し、実績を出す。

36歳の時、良い商品やサービスがあっても伝える力がなくて埋れてしまうモノやヒトがいることを残念に思い、営業力向上のセミナーや研修を行うため、一念発起してドリームシップ・カンパニーを第二次創業。

個人事業主をメインに、コミュニティ構築のコンサルティング、情報発信を無理なく習慣にするためのサポートコーチングをする。一般社団法人おうえんフェスが主宰するオンラインビジネスマスターコンサルティング講座の講師も務めている。コンセプトメイキング、マーケティング、情報発信が専門
2021年4月に株式会社わくわくランドを設立する。

オンラインコミュニティ「全国わくわく商店街」では、現代の楽市楽座のような市場が生まれる場所を目指すとともに、情報発信を無理なく習慣にするための正しいやり方、考え方と継続する仕組みづくり、オンラインマーケティングを伝えている。

最近関心の高いLIVE配信を実践する仕組みづくりとして、「サクっとハジメの一歩を踏み出そう」というLIVE配信番組を企画、プロデュースしている。
また、あさんぽ部LIVE配信は1200日以上継続しており、Facebook LIVEから
配信プラットフォームを17LIVEに変えて、プロライバーとして活動中。

強み発掘、得意のコピーライティングを活かしたペライチページの制作は、成果が出ると評判。

「知ってる」「やってる」「できてる」はどれも違うステージ。

成果を上げ続けるためには、行動して実践し続けることが何よりも大事だということを伝え続けている。

幼少期

父親は京都出身、母親は福島県出身というハーフとして、この世に誕生したわたくし。1978年4月17日 午後4:30に、松井家の長男となりました。

両親がともに教育熱心だったため、毎日のように膝の上で絵本を読み聞かせしてもらい、本が好きな子に育ちます。そして、口が達者な子どもに(笑)

5歳のときに、100名ちょっとの前で本の朗読をする機会があり、人前に出ることの快感を覚えてしまいます。そこから“目立ちたがり屋”がずんずんと顔を出すことになります。
と同時に、周りから「すごい!」「天才!」と言われることに慣れて、いつしか自分は人よりすごいことをしなければいけない、という変なプライドや自負が育ったように思います。

事件が勃発

このまますんなり成長するかと思いきや、人生というのはなんともドラマを用意してくれるもので、小学校入学式の7日前に交通事故に遭い、左足太ももの骨折と内臓破裂という重体に・・・

小学校に通うことができたのは、まもなく夏休みが始まろうかという7月のことでした。それまでに、まだ会ったこともない同級生からの「早く元気になって一緒に遊ぼうね」という手紙の数々をもらい、学校に登校したときには、「やっと来た松井」のような、ちょっとした話題の人になったため、またもや注目を浴びる状況に。

もしかすると「目立ちたい」という心の内面にある欲求が事故も引き寄せたのではないかと思うほどですね(苦笑)

しかし、人のウワサも75日、やがて普通の日常が訪れます。
小学校5年生のときに、少し田舎のほうに両親が家を建てて引っ越し、転校を経験します。

中学で社長を目指す

中学生のとき、叔父の稼業である音響屋を手伝ったことがきっかけで、将来は社長になりたいと思い始めます。社長になるためには、手に職をつけることが必要だと思い、一番近道だと考えた「電気工事士」取得のため、進路は
工業高校の電気科に決めます。

ここら辺の経緯はこちらに書いております
  👇 👇 👇
https://note.com/8989ld/n/n9968caf0516f

いじめを初体験

高校受験を控えた中学3年のときに、いじめにあうという経験をします。
もともとは、仲良しグループだったはずなのに、いつしかいじめの対象になってしまう。人間関係のバランスは、ちょっとしたところで変化することを実感した体験でした。

いじめに遭った時、すぐに気づいたのは母親でしたが、「学校で何かあったの?」と聞かれてもすぐには言い出せませんでした。学校に楽しく通って過ごしていることを母親は望んでいる。いじめられてるなんて言ったらがっかりさせるに違いないと思い込んでいたのです。

しかし、母親の目はごまかせない!
というか・・・ 背中を蹴られて複数人の靴の跡がついていたり、田んぼに自転車ごと突き落とされてドロドロになって帰ってきたら、わかりますよね

というわけで、根掘り葉掘りとしつこく聞かれて、いじめにあっていることを吐露するわけです。内心は、このままそっとしておいてほしいと思っていましたが、母はすぐ学校に乗り込み「受験まで期間がないのに、怪我でもさせられたら困るので、今日から休ませます!」と宣言。学校の対応も非常に迅速で、全校生徒対象にすぐアンケートをとり、いじめの実態があることがわかったので対処しますと動いてくれたので、卒業までは平穏な日々を過ごすことができ、志望校へと進学もできました。

楽しく苦しい高校生活

「電気工事士」を取得するために、工業高校の電気科を選んだわけですが、実のところ国語と社会と英語が得意で、数学と理科(特に物理)が苦手だったので、電気の理論関係の授業が苦痛でした。なんせ、授業の半分くらいは数学系の授業だったわけです。

それでも、モチベーションを保って学校に通えたのは、「電気工事士」を取って電気屋として独立するんだという夢と部活(軽音楽部)に入ったことでした。重たいギターを抱えて自転車で40分ほどの道のりを通っていましたが、ギターの重さも気にならないくらい、音楽にハマっていました。

就職と独立

就職をする段になり、担任から言われたのは「お前は最後まで勤め上げるやつではないよな!」という言葉。よくわかってるww

ピッタリの求人が来ていると紹介してくれたのが、電機メーカーのカスタマーセンターで、独立して下請けになる道が用意されているというものでした。企業も正社員を雇うのではなく、契約社員などの制度を導入して、直接雇用を減らしているときだったので、お互いのニーズがマッチしていたのです。

3~4年でと言われていましたが、1年で独立開業。それがダイヤモンドメンテナンス。松井電機とか香川~ みたいに地域名を入れるのが嫌で、某電機メーカーのシンボルとなっていたマークから発想を得て名前を決めました。

方向性を見失う

夢であった、「社長になる」を叶えたときに待っていたことは、思っていたのと違った・・・でした。社長というのは、自分の時間もお金もすべて思い通りになると思っていたのですが、実際は降り注いでくる仕事に忙殺されて、普通に雇われているより長時間働いている(朝6時~夜11時)という超ブラックな労働環境。

確かに、収入は同世代の会社員より稼いでいたかもしれないですが、出ていくお金もそれだけ大きい。入ってくるものを増やすだけでは幸せになれないということを身をもってしりました。

こんな生活をしたくて社長になったんじゃない。

そりゃそうです。志を持ち、経営者を目指したわけではなく「将来は社長になりたい」という幼稚な発想から突っ走っただけだったのです。

結局、下請け契約を解除して、エアコン専門店に変更して、父親に会社を任せました。そして、自分自身は、やりたいことを見つけるために、さまざまな職を転々と・・・ いわゆる スーパーアルバイターです。

この経験があるからか、仕事がなくなったとしても、えり好みさえしなければ、何をやってでも生きていけるという変な自信があるわけです。
もしくは、このグラフにあらわれているような特性のせいかもしれませんが

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ターニングポイント

自分は職人肌で、モノと向き合う仕事が向いているのだという思い込みがあったので、いろんな仕事をしたものの、営業職にはついたことがありませんでした。

しかし、人生のターニングポイントとなる出来事が!

とある保険代理店の女社長から、「あなたはいい営業になるはずだから、わたしに育てさせてほしい」というオファをいただきました。

保険の営業という仕事はハードルが高いと思ったので、お断りをしたのですが、なんと4回も声をかけていただき、その情熱に押されて、初めて営業という仕事の扉を叩くことになりました。

ビギナーズラックもあり、契約は順調にとれたのですが、一つ問題が・・
基本給が安く設定され歩合給がつくという話で合意したわけですが、なんと、損害保険の契約しかとれないと歩合は雀の涙ほどなのです。さらには、携帯料金と車のガソリン代は自分もち。生命保険の契約をとれないと、生き残っていけない厳しい保険営業の世界を味わいました。

そこからは、いくつか仕事をしましたが、いずれにしても営業という仕事が自分の天職だと感じていたので、営業畑ばかりを歩んできました。

転職時代

電材商社の営業や、家具の新ブランド立ち上げエリアマネージャー兼デザイナー、某電力系ISPの営業本部などを経験してきましたが、いずれも、やりたいとか面白そうだという心の声に従って決めてきました。

が、これは失敗だったということも多々経験してきました。

特に、家具の新ブランド立ち上げベンチャーは、3年間は赤字を覚悟、最低保証給与を合意のうえで入社したはずなのに、「売れたら返すから」という言葉で最低保証から毎月3万円ほど引かれるという、あり得ない状況、あげくには、もう一人の社員と二人で1人分の給料でなんとかやれるか、と言われて辞めることを決意。状況をすべて知っていた事務員さんの計らいで、会社都合による退職という形をとってもらえたのがせめてもの救いでした。

第二次創業低迷時代

ISPの営業本部に勤めながら、ダンスの振付師やイベンターのようなことを平行して行っていた矢先に、次の仕事を探す必要がでてきたため、イベント事業で二回目の起業となります。

イベントとインターネットの契約インセンティブを上手にかけ合わせれば仕事になるという安易な考えだったために、すぐに行き詰ります。さらには、東日本大震災の影響もありイベント事業は自粛の波に飲まれて停滞。

地域活性化などのイベントを手掛けていましたが、イベントだけでは難しい教育の必要性があると感じ、セミナー事業へと業態を変えていきます。

セミナーコンテストに出会う
ちょうどセミナーに興味を持っていたときに、友人が出場したセミナーコンテスト。無名の講師が10分のセミナーを発表する場に100名弱が集まる。しかも、温かな目が注がれていることに感動し、自分もあのステージに立ちたいと思ったのです。

2013年に出場して以来、サポーターとして活動を続けていますが、実はこのセミナーコンテストに関わったことで、新型コロナ時代を生きていく力が得られるとは、ここで思ってはいませんでした。

強みを知らぬがゆえの落とし穴

あるセミナー講師から、自分のマネジメントをしてほしいので会社を興そうという話をうけて、事業を立ち上げるものの、メイン商品となるはずの看板講師は、「結婚するか、起業するか二つに一つ」という選択を婚約者から突き付けられて結婚を選択します。その結果、かけた梯子を外された形となり、メイン商品のないまま事業は走り続けることに・・・

心が不安でいっぱいのときには、いろんなものに付け入られるものですね。

マーケティングを教えてあげよう、という一見親切に見えた申し出に感謝して師匠と仰いだものの、結果は一緒にしたセミナーでは売上のほとんどを持っていかれる。あげくには、怪しいビジネスを商品力は絶対だから間違いないと紹介されてスタートするものの、実は詐欺だったというおバカな展開に。

ホントにバカものですねぇ・・・

V字回復

そんなさんざんな目にあっていたときに、1人の営業コンサルタントに出会います。それが、若干30歳にして日本全国から引っ張りだことなっていた
張替一真さん。このご縁をつないでくれたのが、高松在住で日本全国にクライアントさんがいるファイナンシャルプランナー、飯間将博さん。

この二人に出会い、営業塾と経営塾に参加し、運営にも関わらせていただいたことで人生が好転し始めます。

交通事故がオンライン本格活用のきっかけに⁉

なんと好転し始めたと思った矢先に、車対車の交通事故に遭います。
左足の膝が粉砕骨折するという重体事故。

もう歩けないかもしれない。そんな不安にさいなまれつつも、これまでやってきた仕事はできないかもしれないと覚悟を決めて、リアル営業よりオンラインでの営業活動や情報発信など「イマココ」でできることにフォーカスして活動します。

幸いにも、膝はほぼ回復し、また歩けるようになります。

さらには、『成功のバイオリズム「超進化論」』著者である田中克成さんから伝授していただいた「わらしべ商人の読書術(旧ビリオネアの読書術)」によって、行動力が爆増します。

コツコツと読書術を継続したことにより、1年間の間に、セミナールーム付き事務所を手に入れる、商業出版する、全国で出版記念講演をする、などやりたかったことがカタチになっていきました。

おうえんフェスとの出会い

人生を変えてくれたきっかけの一つとして、おうえんフェスも欠かせないキーの1つです。

2018年に投稿された、山下さんがフェスの開催を呼びかける1つのFacebookの記事、そのコメント欄に香川拠点のリーダーとしてどうかと、自分の名前がメンションされ、推薦されたことがきっかけで、ペライチの創業者である山下さん、おうえんフェスの代表、高田さんと出会いました。

2018年に香川拠点として関わったフェス、2019年には47都道府県拠点統括リーダーという形で関わり、渋谷ヒカリエの会場で感動を味わったフェス。

そして・・・

新型コロナ時代に突入

「わらしべ商人の読書術」を300回実践し、認定インストラクターとなり、活動をしていこうと思った矢先に、新型コロナが突然にあらわれました。

実は、これがオンラインでの活動にとっては追い風となりました。
2020年5月、1ヵ月毎日、わらしべ商人の読書術ワンコイン勉強会を開催すると決めて実施した結果、100名の方にご参加いただいたことを皮切りに、クライアントが増えていきます。

結局、わらしべ商人の読書術ワンコイン勉強会は 2021年5月31日まで毎日開催を継続しました。

おうえんフェスは、イベント団体ではなく一般社団法人となり、おうえんサロンというオンラインサロンを立ち上げます。その立ち上げのときから関わることができたのも、今に大きくつながっています。

朝活のライブ配信を1200日以上継続したり、情報発信×習慣化が自分の強みであることに気づき、情報発信の専門家としてのスキルを磨くことで、お困りごとの解決をしたいと活動してきたことが今につながっています。

東かがわ市わくわく課


ペライチの山下さんが、東かがわ市で市長と対談講演をしたことがきっかけとなり立ち上がったのが、市役所外部組織として「市民×よそもの」のチカラで地方を面白くしていく企画。「東かがわ市わくわく課」

わくわく課では、広報の担当として関わらせていただいています。

ご縁というのは不思議なもので、セミナーコンテストのつながりでご縁のあった市議会議員さんと、その紹介でご縁のあった藤原塾のオーナーとで意気投合して、自分たちの理想となる「応援の循環」を生み出すコミュニティ

それが 「全国わくわく商店街」であり、運営会社として設立したのが
株式会社わくわくランドなのです。

人間万事塞翁が馬

ここまでの人生を振り返ってみて思うのは、確かに良いと思えるときも、最悪だと感じるときもありましたが、良いと思ったことが災いの種になったり、辛いと思ったことのおかげで次の道が開けたこともありました。

ここからも、まだまだ起きるんでしょうが、すべてを受け入れ、楽しみ、波に乗っていきます。何が起きるか楽しみ。

信じて委ねて巡らせるキャラバンツアー開催


信じて委ねて巡らせるキャラバンツアー

3月 関東に移住することをきっかけに
お世話になっている人やご縁ある人に
直接会いに行く旅で各地を巡りながら

対話会、ワークショップ、セミナー、ドキュメンタリー映画上映会など
自分の持てるもの全てを放出して、ご縁やエネルギーを巡らせていきたいと思います。

そして、基本的に料金はすべて「宇宙料金」として、こちらが価格を決めたり、感じた価値に対する対価を受け取るというより、エネルギーを循環させていくために巡らせていただける金額をドネーションのように受取りながら
宿泊やご飯の代金、ガソリンなどの交通費をまかないつつ、最終ゴールの関東まで車を持っていきます。

軽自動車1台で ご縁と感謝を巡らせる
信じて委ねてご縁で巡らせるキャラバンをよかったら応援してください

応援・支援・ご協力お願いいたします

うちなら泊まれるよ!
一緒にご飯を食べよう!
ワークショップやコラボ企画しよう!

などなどお声かけ大歓迎

宿泊代 ごはん代 ガソリン代にあてるための
ドネーションも感謝してうけとります

キャラバンツアーに関しての情報は、随時こちらのマガジンに公開していきますので、チェックしていただけたらうれしいです。
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