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叭紅ノ日江古田編。(後編)

叭紅ノ日の振り返り後編。

O.A.は私、叭紅ノ弾き語りから。

本編では演らなかった曖ノ音の楽曲から始め、
二曲カヴァーでお届けしました。

8/9に丁度台風がぶつかる可能性があって、
どうせ台風が来るなら笑ってやろうと
Plastic Treeより真っ赤な糸を。
結局、時折雨が降るくらいで台風は来ませんでした。
良かった良かった。

江古田ドロシーと言えば、
私にとっては白黒キネマなのです。
そんな先輩の曲を、先輩の歌っていた場所で
唄わせて頂きました。

そして本編…

曖ノ音の演目はこちら。

レコ発なので…というのもあるけど、
最後の曲はこの日一番届けたい曲にしました。
数日早いけど、丁度一年なので、
手紙は間に合わなかったけど、
こっちは間に合って良かった。
というか死ぬ気で間に合わせた。
間に合わせる事ができなければ
また流行病に馬鹿にされてるような気がして、

7月の中旬に陽性診断されて、
あぁ、またお前か。
また邪魔をするのか。
どうしてそんなに道を阻むのか。

眠ってる間何度も間に合わずステージで謝罪する夢を見ました。
夢の中で、突然ライブが始まって準備できてなくてーみたいな
アーティストあるあるみたいな夢じゃなくて、

ちゃんとドロシーで、
グレッチを持ってステージに立っていて、
流石に視界はぼやけていたけど、
ただただ謝罪を繰り返す夢でした。

普段より公演前日、その数日前から
基本寝る間を削り音に擦り込むのですが、
今回はちゃんと余裕を持っていたつもりでした。
結局余裕を持てる人が上手く事を運び、
楽しく生きることができるんだなと常日頃より思ってましたし。
その余裕を殺され、時間を殺され、
それで間に合わずなんて、

ふざけんなクソが。

どんな邪魔も知った事ではないし、
やはり私には余裕なんて浮ついた感覚は性に合わないようで、
追い詰められるような感覚すら
どこか高揚し、
あるかも分からぬ期待に応えるべく
夜な夜な音と向き合い
叭紅ノ日に間に合う事ができました。

サヨナラも言えずに。
初めの部分はチューニングズレてるなー、
1Aはベースも刻むし、そこでリカバリーしよう。
とか考える余裕があったのですが、
チューニングを直し、
曲に向き合い直した途端、

直近に起こった日々、
ステージから皆へ届けられた安堵感、
あの日見た景色、
過去に聞いた声、
取り返せない時間、
思い出す笑顔、
色んな事が唄う中で流れ込み、
無様な姿をお見せしてしまった事、
お詫び申し上げます。

アンコール、唄えるかちょっと不安でしたが、
声ってやっぱりいいね。
皆の声で元気を取り戻せました。
本当にありがとう。

流行病が奪った「声」という存在が
叭紅ノ日の私を救ってくれました。
ざまぁみろコロナ。

音楽で誰かを救いたい。
なんて大それた事はこれからも私は言えないでしょう。
だって私も救われる側の人間なのだから。
そんな音楽を聴いて、拠り所になってくれたら
コレ幸いに御座います。
所詮誰の1番になれるような存在でもありゃしません。
それこそ渡り鳥が羽を休める止まり木が如き存在で構わないので、
曖ノ音という存在を、叭紅という存在を、
これからもどうぞよろしくお願い致します。

長々と書いてしまいました。
ここまで読んでくれてありがとうございます
それでは、このくらいで叭紅ノ日の振り返りは
終わります。
番外編とか思いついたら書くかもしれませんが、
相変わらずnoteの更新頻度は低いので、
のんびり待っててやって下さい。

それでは。

叭紅

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