私の音楽センスが壊滅すぎて犠牲の末に学んだ話

この文章は、有難くも國學院大學とnoteで開催するコラボ特集の寄稿作品として國學院大學の御依頼により書かせて頂いたものである。

昔、「三人一組で一人一つ楽器を持ち、歌いながら演奏し発表する」という、不協和音の権化といわれる私には恐ろしい授業が成された。

私と同じく音感のない田中と、歌唱力のある安村と組み、休み時間に音楽教師に途中発表をする事となった。
「大きな古時計」を交代でパート毎に歌う事にしたが、私は出だしの「大きなノッポの古時計 おじいさんの時計」の「おじいさん」で躓き
「オジムさんの時計」
と開始早々おじいさんの時計が謎の外国人に奪われる事態となった。
誰なのだろうか。
ここで音感の無い田中によるシンバルが鳴らされた為、時計を奪われたおじいさんの精神的ショックが表現されたようになった。

きな臭い展開となってしまった。
幸いにも、次のパートが歌唱力のある安村であった為オジムさんが薄まったかに思えた。
しかしその後、田中が妙な気を遣った為に
「オジムさんの生まれた朝に  買ってきた時計さ」
と、再びオジムさんが現れ「あの時計はワタシが生まれた時からあった」と時計の所有権を主張し始めた。

オジムさんが襲名されてしまった。
音感のない田中の気遣いがおじいさんと我々に猛威を奮っている。
しかし、早く終わらせて休み時間を満喫したい我々に歌のやり直しは許されなかった。
我々はオジムさんと共存する道を選んだ。
しかし、音感の無い田中はオジムさんに気を取られ「100年休まずに」の件りを間違え
「100年休みなしチクタクチクタク
 オジムさんと一緒にチクタクチクタク」
などと、軽快にマラカスを鳴らしながらオジムさんと時計を過労働させた為、組織の過酷な労働に苦しむオジムさんの歌となった。

こんなにも陽気に感じられぬマラカスは初めてであった。
もはや「時計」が「24時間稼働する不当な労働」を表す隠語の様に感じられる。
我々の歌にその様なアンチテーゼは無い。
あるのは残念な歌唱力だけであるが、意図せず妙なメッセージ性が出てしまった。
音楽教師に至っては指揮の手が止まり、歌唱力のある安村は絶望的な我々に挟まれ声を震わせた。
 
やがて、オジムさんは天に召された。
時を同じくして歌唱力のある安村と音楽教師も限界を迎えた。
最後に鳴らされたトライアングルの音が、仏壇の鎮魂の鐘の音と化した。

『人は湧き上がる感情が悲しみや喜びでなくとも、耐える事によって涙が溢れる事があるのだ』
と、音楽教師と安村は身をもって知った。

惨憺たる有様であるが、音楽教師や歌唱力のある安村は我々を責めなかった。
しかし、その安村に至っては瀕死状態であった為に抗議したくともできなかった可能性があるが、深く考えることは身体に障るので避けた方がよい。
教師は半泣きになりながらも「音楽は楽しむことが大事」だと我々に伝えた。
今まさに安村は教室の隅で死にかけの虫の様に天に腹を向け
「オジムさんて誰……」
と息絶え絶えに誰よりもオジムさんの時計を満喫している。

音楽は楽しむものだと、この時私は知った。
この経験を経て、今私は一歩踏み出しウクレレを始め、その見解を深めようと思っている。
上手く弾けなくても良い、誰に披露する訳でもなく、自分が満足ゆくように音を探し奏でたい。何事にも下手だから楽しんではいけないという事はない。
上手く出来ぬからこそ面白いのである。


【追記】
とりあえず「和音」は全て無視し、一本の弦で好きな音を探りながら弾きたい曲を弾いている。自分の好きな音を見つけ奏でる事の何と楽しい事か。
しかし、弾けるようになってくると、和音にも手を出したくなり、徐々に手を染めていっている。

因みに、このウクレレは家の庭に見知らぬオヤジが侵入し、威嚇する際にも大変役に立った。
不法侵入ではない可能性も懸念し、いきなり
「何ですか?」
などと声をかければ感じが悪いかと思いウクレレを弾き鳴らし威嚇に至った。
その時の事を私の武術の先生に話すと
「あっちが「何ですか?」て、言うと思うよ」
と返ってきた。
至極真っ当な意見であった。

そして、オヤジは不法侵入ではなかった。
私が知らぬだけであった。
「何かヤバいスナフキンみたいな奴がいる」
と、無駄に衝撃だけを残してしまった。


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