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『こどものじかん』と大人への成長

俺は「父性と性欲に差が無いかも」と言った。

それを聞かされた友達は「それはヤバいよ」とノータイムで答えた。

😐・・・。

実直な友人を持てて、俺は幸せだと思う。(とても美しい話)

教師とこどものえっちな作品?


「こどものじかん」は”ロリロリとしたえっちなコメディ作品”というイメージを持っている人が多いと思う。
特に有名(?)なこの画像はその象徴だろう。

青少年保護育成条例で守られる側の態度か?


このポップなエンディングも有名だ。
最近のロリコンはしぐれうい(9歳)のお歌で知った人もいるかもね。



オフスプリングのOne Find Dayは知らなくていいが擬態に使える可能性があるのでチェックしておこう。
好きなアーティスト? あっ、TRFです(擬態型女児アニメオタク)


ロリエロに関しては作者曰く、一般誌の限界に挑戦に挑戦したらしく、その思いはアニメにも継承されている。amazon prime videoで配信されているものを見ると規制ばかりで、どうやらこれはTV放送版のようだ。

ごらんの有様だよ

全画面規制は上等でヒロインの声も時折消える。原作漫画と照らし合わせるとエロ単語が消されているようで、何気ないシーンで音が飛ぶのはヒロインが「ロリコン」だとか「童貞」だとか言っているからです。


そういう描写ばかりが話題に上るが故に”ロリロリとしたえっちなコメディ作品”というイメージが定着したように思われるが、しかしながら『こどものじかん』という作品は全体を通して実にシリアスだ。

というのも、お色気シーンや恋愛を交えながら展開されるのは人の成長を描いたヒューマンドラマであり、教師と児童、親と子供、子供と子供が関わっていく中で応じる社会的な問題がテーマになっているからだ。

そのような経験を経ながらヒロインの子供達は成長し小学校を卒業して大人になっていく。

成長するのは子供だけではなく、作品内では大人になれていない『大人アダルトチルドレン』も描かれており、本作はロリえろコメディ作品である事とは別に成長物語とも言えるだろう。

今回の記事はシリアス成長に焦点を当てて解説していきます。


小学校教師に俺はなる!(ドンッ!)
 

小学校教師と小学生女児の恋愛


『こどものじかん』という作品は主人公の青木大介(23歳~)


メインヒロインである九重りん(8歳~)の恋愛を軸にしている。


まず、注釈するが青木大介はロリコンではない。彼は至って真面目な新任教師であり、少し熱血で、子供と真剣に向き合いながら共に成長していく青々しい青年だ。
九重りんから向けられる愛に対しても素気無くすることも無く、彼女との向き合い方と自分の感情に苦悶することになる。


一方の九重りんは一言でいえば問題児メスガキであるが、青木大介を自分という存在から逃げずに向き合い、受け止めてくれる異性として親愛している。年齢の割に大人びている部分がある子供であり、そのような子供はそうならざるを得なかった事情・・・・・・・・・・・・・・を抱えているのが世の常。それはレイジという育て親の存在だ。


彼は親から愛されずに育ち、その後に九重りんの母親である九重秋に引き取られた後に彼女と恋仲になる。
九重秋は夫に九重りんを堕ろすように言われたが出産を強行したことで親族の居ない孤独の身になっており、レイジは彼女の死後、周りからの援助もなく、1人で九重りんを育てている。

秋さんにしてあげられなかったことを、全てりんにしてあげたい」

というのが彼の思想であり、”全て”というのは”全て”である。
彼の人生にはりんしか残されておらず、親でありながらりんに依存し甘え、ゆくゆくは結婚しようとしているまでだ。


さて、この物語は青木大介九重りんの恋愛を軸にしていると前述したが、物語が進行する始点は九重りんから青木大介へのアプローチである。

小学3年生の終わり、性的なアプローチが通用せず、青木大介が自分を気にかけてくれるのは自分が”子供”だからでは無いかという考えに至った彼女は優しさで振り向かせる作戦を開始する。

そのようにして子供で、優しく、性的なアプローチをかけてくる小悪魔が爆誕し、そんなん誰でも秒で陥落するやろ…という感じだがここでレイジという育て親が障害として立ちふさがる。
 

レイジ九重りんを一人で育てる立派な男ではあるが、親として歪だ。彼は九重秋を愛した男であるが故に「秋さんにしてあげられなかったことを、全てりんにしてあげたい」と考えているからだ。

それが解るのが原作の5巻、6巻で「子供は大人に強制されなくても、自分に求められるものを感じ取り、応えようとしてしまう」ということを表現している部分である。

実はこの親に応えようとする子供は現実の児童虐待の話で頻出するワードである。最近だと息子を小さな彼氏扱いする親と、その親をヨシヨシする子供という構図が話題になったりしていたが、それのことである。

 
何故に子供がそのような振る舞いをしてしまうのかといえば、親の機嫌を損なうと自身の生命が危ぶまれる・・・・・・・・・・・からだ。そういう知識で下の画像を見てみよう。

一見すると親を気遣う優しい子供と捉えることができる。しかしこれは子供に気遣われる大人・・・・・・・・・・のシーンであり、それを家族でりんの誕生日という華やかな場で演出するセンス、鋭すぎる。

 
しかしながら、こどものじかんにおいては純粋で優しいが故に応えてしまう子供としてマイルドに直されているので安心だ。

安心か?

 
上記のシーンは本当の父親が現れるというイベントを通して、育て親の心の弱さを認識した後の話で、彼に応えようとした結果である。
今まで「せんせい❤️すきすき❤️」と言ってた女の子が、急にこんなこと言いだしたら”先生”では無く、””になってしまうだろ。
 

なった。

実直な教師である青木大介は彼女の抱える問題を解決するためにレイジと関わっていくことになる。そしてその問題レイジ九重りん青木大介との恋愛をする上での障害であったものでもあり、3人が関わっていく中で自然と恋愛の話も進んでいくのがワザマエだ。
 

レイジという男の人生

 
この物語に出てくる主要女性キャラは

①唯一の肉親が死に、その愛人に育てられている小学生
②親が仕事と自分どちらを選ぶのかを確定させることに怯える小学生
③親に愛されていない小学生
④主人公と同じく子供に真摯な女教師
⑤親との間で対人関係を学べなかったが故に苦悩する女教師2

となっており、こちらを紹介するのが筋な気はするのだが…するのだが…
 

俺はレイジの話をするよ。人を、人の持つ可能性を俺は信じたい。

私はこの作品のロリとエロはもちろん好きだが、この作品の人と人とが共に生きていく為の成長はもっと好きだ。それには上記のヒロインだけではなくレイジのような男も該当し、成長しながら共に生きていくとなっている。

彼を物語から排除して大団円とするような、粗末なハッピーエンドでは無いというのがこの作品の良いところだと思う。


さて、レイジが物語の進行上で障害なのは間違いなく役割的にである。
しかしながら彼の心理描写はとても多く、さながらヒロインのようだ。

そのようになるのはレイジという存在をとして排除してもりんという児童は救われないからである。
レイジりんの家族であり、教師である青木大介は教師であるが故に児童の家族には成れず、レイジの排除はりんから唯一の家族を奪うだけになってしまう。

故にHAPPYなENDを迎えるにはレイジという男の成長を持ってして現状を変えるしかなく、レイジ青木大介と心を突き合わせながら人間的に成長していくヒーロー(ヒロイン)となるのだ。

だからこの物語ではレイジを救うんですね。

 

では、具体的にどう二人が関係して成長していくのか。
青木大介とレイジの関わりから逆算して見ていこう。
 

①九重を死んだ恋人の身代わりになんかするな

当初のレイジは親から愛されずに育った為、親として子供を愛する方法を知らなかった。知っている愛は九重秋から受けた愛のみで、その愛し方で九重りんを愛していることに釘を打たれた時に出たのが①のセリフだ。

子供に母親の役割を求めるのは間違っていると言われているんですね。
しかしそれに対してレイジは「愛していると思うことの何が罪だ」

と返している。
このシーンで青木大介が言っていることは間違いではないが、正しさだけでは人はついてこない。人には心があるからだ。

結局このシーンでは彼との敵対を強める結果になってしまったが、彼の心に問題があるということが示され、これが後に繋がっている。
 

②君もご両親を愛していたんだな?

文脈としては、まずこのコマがあり

「僕はあいつらとは違う・・・りんを愛しているし、りんも僕を愛してるッ!!」というセリフに続く形で発された青木大介のセリフだ。①の時とは違い、彼の心に踏み込んでいる。

このシーンが描かれた時分、青木大介は九重家に居候してレイジりんの関係を正しく導こうとしており、そこで彼の両親の位牌が無いことから彼の精神性を理解する。

レイジは子供が親に向ける愛を持っていたのに、親は親から子供に向ける愛を与えなかった。だからレイジは親から子供に向ける愛を知らないし、自分が愛している九重りんから愛されなくなることを恐れているんですね。

ここで青木大介は彼が親から受けた心の傷がすべての原因となっていることを知り、彼を救うための方向性を手に入れる。
 

③「大人」とは「与える側に回る者」だ

りんが家出をしてしまい、子供みたいにうろたえるレイジ
「子供子供って、何だよ童貞のくせに!じゃあ大人って何なんだよ!?」
というセリフへの返答です。カッコよすぎる。

これは青木大介が子供の見本となる教師をしていく中で学んだ思想で、大人になれていないレイジに最も必要な思想でもあった。

与えられるために人を愛するのは子供の愛で、人を愛し、与えるのが大人の愛であると明言しているんですね。

①の時とは違い、青木大介レイジの間には同居を経て心に繋がりが生まれているが故にこの言葉は彼の心に響き、彼のターニングポイントになる。
 

これ以降、彼の大人への成長が描かれていく事になるので是非に本誌でご覧頂きたい。彼の成長により青木大介とは敵ではないお互いに信頼し合う関係に、りんとは本当の家族になっていく。
 

④オレはおまえを祝うからな!!

卒業式で祝われるのは子供だけではない。育てた人も祝う式だ。
お前は立派に親をやり遂げた。そんなお前を俺は祝うから。

しかして彼の人生は祝福によって節目を迎える。彼はもう敵ではない。
共に通過儀礼に参加する権利のある、そこに居てもいいとなれたのだ。
 

以上を持って、『こどものじかん』の解説を終えます。
この作品の解説を通して、私も与える者になれているのならば幸いだ。
 

終わりに

好きなバンド?
嗚呼、オフスプリングだ(大人な態度)
 

ロリsideにあまり触れられなかったのが反省点だなと思う。

『こどものじかん』を題材にする上でどのような方向性で書くか、という問題は私を悩ませ、2つほど没にした上で完成したのがこの記事である。ひたすら成人男性について書き記したこの記事である。1年くらい待たせて出来たのがこの記事である。

ロリコンとしては素直に未成熟な体がさァ!とかタブララサな魂がさァ!と絶叫し林間をこだまさせ、人間(じんかん)を震撼させたかったのだが、レイジという存在にロリコンの”魂”が”共鳴”してしまった結果こうなった。俺もパブエミっ!(パブリック・エネミー)だからさ。

レイジは救済されたが、残念なことに、安易に排除されるキャラクターが居ないわけでは無く、最終話で登場するロリコンの校長(パブエミっ!)は生徒にスケベする敵として登場しそれだけで終わってしまう。
まぁ、校長の平均買収人数は1だからそういう役割のキャラクターになるのは仕方ないね。(仕方ないか?)

統計学に基づくレッテル張りに疑問を投げかける男

大人への憧れから真面目くさった文章になったというのもある。大人だから大人になりたいもんな。

他にもそのように俺を悩ませる作品があり、それはスペースダンディ第5話「旅は道連れ世は情けじゃんよ」だ。


この回は1話完結で宇宙人ハンターである主人公のダンディと未登録宇宙人の少女であるアデリーの道連れ的な二人旅を描いており、アデリーを宇宙人登録センターに連れていきたいダンディと、ある目的を果たしたいアデリーとの間で利害が一致し、取引した結果として共に行動することになる。

この回のダンディは、とにかくカッコいい大人だ。それは目的を果たすために1人きりで行動していた少女に対して、自分はどのような大人で在りたいかと問われたときの、諸人の理想を体現しているかのようだ。

そして5話における関係性は大人子供の域を出ず、それ故に少女は願う。
「わたし、急いで大人になる。もう全速力で」

ってのがよくてぇ🤞🤓


という気持ちとは別にアデリーとえっちなことがしたい。

乗り物料金を大人の金額で払おうとしたり、美しい景色に見惚れたりする子供らしい態度と表情、「待ってよ、今夜くらい」とダンディをいじらしく引き留めようとするシーンからブサイクな泣き顔まで全てが愛おしい。

という気持ちが”えっちしたい”に結合コネクトする———。終焉おわりだ。

カッコいい大人になりたいがロリコンでもあるという認知的不協和。

ロリコンという部分での減点がデカすぎるので、それ以外で大きく得点を稼ぐしかないな。

そういう意味では『こじか』の青木大介は理想的な大人かもしれない。カッコいい大人とロリとのスケベを両立した稀有な人物だ。

彼の言葉を胸に刻んで生きていくとしよう。


という大人のビジョンが見えたから少なくとも人間には成れたと思う。


↓ 2年前 ↓

この頃は早く人間になりたい!と叫んでいたけど今は大人になりたい!と叫んでるし。

けどこれってスペダン5話のアデリーが言ってる事と同じじゃん。

つまり俺がまだ子供って事か?


繋がったコネクトな———。



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