ただただ


「ただただ」というのがある。

辞書に『「ただ」を強めていう語。ひたすら。もっぱら。「―みごとというほかはない」「―友の無事を祈る」』とあった。

唯々や只々が使えるようだが、たいていひらがなで書かれる。
よく使われる表現だと思う。

昔から妙に「ただただ」が気になる。

誇張が匂う。
ただただ感動しました。と書かれていると、程度が計り知れず、疑わしい。
感動を誇張したい気持ちはわかるが、短絡を感じる。

パッと見、だだだだと書かれているように見える、というのもある。

だだだだは擬音で、機関銃などを連射する様子をあらわす。

「昔っから思ってたんですが、ただただって、だだだだに見えますよね」と言ってみたい。

きっと「ただただ」の書き手は激怒するだろう。
かならず謹厳な場面で使われるからだ。
神妙なとき、人の命運がかかっているとき、感嘆したとき、悲嘆に暮れるとき、その大きさを表現するのに使われる。

行方不明者の捜索で、親族が記者に「ただただ無事であってほしい」と答えるのであれば、是非もない。それを揶揄するつもりは毛頭ない。

しかし批評などの文中にあると、妙に空々しい。
「ただただ」に依存しない解釈がほしい。

誰にも好きな色があると思う。それが車や、服や携帯を選ぶとき、あらわれる。

でも、色は年齢や社会性に則して選びとるので、たとえば赤が好きだとしても、赤い車や服や携帯は選ばない。

アイドルでもなければ好きな色を聞かれることはないし、一般人は好みの前にTPOを考えるだろうから、好きな色に確信や執着はないと思う。

あなたは本当に赤が好きなのか?とたずねられたら「いやそれほどでも」ということになる。

何色が好きなのか、本気で考えたことなどないし、とりあえず赤とは言ってみたものの、自分として絶対的なことではない。
明日は黒になっているかもしれないし、他の人には青と答えるかもしれないし、複数色を同程度に好きなのかもしれないし、クローゼットを見たらぜんぶイエローかもしれない。

これは「ただただ」の空々しさに似ている。

赤が好きなことには理由が要らないし、ほんとうは好きでなくてもいい。
「ただただ」も感覚的で、理由を回避しつつ、切実な印象もあたえる。

継いだ言葉のシリアス度がガクンと上がる効果もある。
ただただ願う、であれば、その願いに込める、当人の思いみたいなものが、神聖かつ不可侵なものであるかのような結界を張ってくる。

これは「とても」や「すごく」や「めちゃくちゃ」には、とうていできない芸当で、信憑性を補うための、他の言葉があらかた不要になってしまう。

一方、口語ではインタビューなどで頻繁に出てくる。
よく「いや、もう」とセットで使われる。
芸能人のぶら下がりでは「いや、もう、ただただ」だけで、ほとんどの意味が伝わることもある。
対応する質問があるから、聞き手が余白をけっこう埋められるのだ。

文では、なぜ「ただただ」なのか説明ほしいが、意外に単体で、どんと出てくる。それが妙に気になる。

大人が使う表現だから、気になる、ということもある。
まず若い人は使わない。

職場は飲食店で、高校生アルバイトが何人かいる。
かれらは会話であろうとSNSであろうと「ただただ」をつかうことはない。

「ただただって使う?」と聞いてみたら、
「ほぼほぼないですね」とのことだった。


3

八津次郎

未分類のエッセイ

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