【愚痴7】もぎり事件

どうも、
お風呂ってめんどくさいよね、でお馴染みの
エイトブリッジ篠栗です。

少し前に、営業で高知県に行きました。

高知県といえば、僕の第二の故郷。
大学時代の4年間を過ごした、青春の地。

会場にも、大学の野球部のOB会から
わざわざ花を出してもらったりなんかして、
本当にありがたかったです。

やはり、高知に着くと、いろんなことを思い出しました。

毎日野球やってたなぁとか、
中央公園のビッグエコーで合コンよくやってたなぁとか、
自転車で桂浜行ってたなぁとか、

唯一、大学で何を勉強したかだけが、全く思い出せませんでした。

そして、今回の高知営業で一番鮮明に思い出したことは、
今回の営業先の会場が「オレンジホール」だったこともあるのですが、
「もぎり事件」でした。

僕が入っていた大学の野球部では代々受け継がれている日払いバイトがあって、
それは、何かしらの催し物が行われる大きな体育館の会場準備や後片付けを手伝うというバイトで、
柔道の大会がある時は4〜5人で体育館に畳を並べたり、
何かしらの式典があるときは6〜7人でパイプ椅子を並べたり、というような
催し物の大きさや会場の大きさに合わせて設定された人数が招集されて、
力仕事を請け負うという、
なんとも体育会系の大学生らしいバイトでした。

年に一度、プロレスリングNOAHが興行に来る時も、
会場の体育館でパイプ椅子を並べたり、
さらには、レスラーたちが通る花道で規制線のロープを持ったりして会場スタッフもやったりしました。
そこで見た生の三沢光晴の威圧感や、丸藤正道のかっこ良さは今でも目に焼き付いています。
丸藤に関しては、ゴッドタンの途中で流れるCMのイメージでだいぶ上書きされてしまっていますが。
とにかく、割りのいい最高のバイトでした。

そんなバイトをやっていたら、
ある時、激アツの案件で人員の募集がかかりました。

「松浦亜弥コンサートスタッフ募集」

僕は、目ん玉ひん剥いてその案件に飛びつきました。

そうなんです、僕はあややが大好きだったのです。

今でいうオタクというほどでもなかったですし、
高校時代は、本当はあややが大好きだということを恥ずかしく思い、
友達の前では隠していました。
でも、こっそりCD買ったり、ラジオも聴いたり、あややが出る歌番組はちゃんと録画して学校から帰った時の楽しみにしたりしていました。

大学に進学してからは、あややから少し遠ざかっていましたが、
あややが高知に来る!そして、そのスタッフをやれる!

ということは、生のあややに会える!!

となると、やらない手はないと思い、
真っ先にその日のバイトに立候補しました。

それからというもの、そのコンサートまでの日々の僕は、
あの大好きだったあややに会えるということで、
あやや熱が再燃し、
家で高校時代に買ったCD聴いたり、
持っていないあややのCDをツタヤに借りに行ったり、
録画してあったHEY!HEY!HEY!に出ているあややを繰り返し見たりしていました。

僕以外の一緒にバイトに入る連中はというと、
拘束時間長いけどいつもより割高にもらえるバイト代にちょっと喜んでいる程度で、
あやや熱など微塵も感じられませんでした。

そして、コンサート当日。
場所は、高知県立県民文化ホールの「オレンジホール」

野球部の連中何人かと一緒に日雇いスタッフ集合場所に行き、
その場を取り仕切っている方の話を聞いたあと、
その日の配置を指示されました。

基本的には、会場内で規制線のロープを持って、
興奮したファンの方が前に出過ぎたりしないように抑えておく、という役割を
それぞれが割り振られていきました。

僕と一緒にバイトに入った連中も、
その会場内で規制線を持つ仕事を割り振られていたので、このまま順調にいけば、僕も会場内で規制線を持つことになる。

ということは、思った通り、会場内に入れて、
生のあややの歌を聴けるし、生のあややを見ることができる。


ありがとう、神様。ありがとう、つんく♂様。ありがとう高知県。

と、そんなことすら思っていた矢先、
僕が言われたのは

「じゃあ、君は会場の外で“もぎり”をお願い」

“もぎり”とは、
会場に入るお客様のチケットを確認し半券をちぎるという仕事のこと。

その誰にでも務まりそうな会場外の仕事が、
その日一緒にバイトに行った連中の中で一番あやや熱の高い僕に与えられてしまったわけです。

“もぎり”は会場外の仕事。

つまり僕は、生あややを拝むことができない。

なんて皮肉なことでしょう。
高校時代、周りに隠れてこそこそCD買ってたのに。
ラジオも聞いてたのに。
あややが出る番組は全部チェックしてたのに。

今日のためにあやや熱を再燃させ、
こんなに予習してきたのに。

なんで僕が“もぎり”なんだ…

会場内で規制線を持つ連中に、“もぎり”と代わってくれとお願いしても、
その連中の中に、
割り振られた仕事を勝手に代わったらあの現場監督みたいな人に怒られてしまうんじゃないか、という臆病な気持ちと、
せっかくなら生あややを見たい、という気持ちが完全に芽生えていたため、
代わってくれることもなく、
その日僕は、ロビーの“もぎり”スペースにかすかに漏れ聞こえてくる
あややの歌声に耳を澄ませることしかできませんでした。


営業の空き時間に、
大学のOBの皆さんから出していただいた花を見るために
オレンジホールのロビーに行くと、
ここで“もぎり”やったなーという
その時のことがものすごくフラッシュバックして蘇り、

あの時、アンコールが終わって、充実感に満ち溢れた顔をして帰っていくお客さんを見送りながら、この壁一枚向こうに本当にあややがいたんだという不思議な感覚になったことや、
会場内で規制線を持っていた仲間が「あややって可愛いんだな」と言ってきたときに殺意が芽生えたことを、

自然と思い出してきました。

今、こうしてやっと少しテレビに出られるようになってきて、
昔からテレビで見ていた方々と有難いことに共演させていただく喜びも多いですが、
今では一線を退いてしまったあややに、
僕が会える機会はおそらくこの先もうないんだろうな、と思うと、
本当に僕が生あややに会えるチャンスは、
あの会場スタッフのバイトが最初で最後だったのかもしれません。

ただ、
本来、アイドルとは、幻のような存在で、
同じ世界の人間という感覚で捉えられないものだという、
少し古い概念を持った僕にとっては、

そうやって生であややを見ることができなかったことで、
自分の中に永遠のアイドルとしてのあややが今も
あの時のまま生き続けているわけで、

だから、
あのバイトの時も、芸人になってテレビに出れるようになった今も、
僕にとってあややは幻のままなのです。

あややなんてないさ、あややなんて嘘さ。


てな感じで、
高知からの帰りの飛行機内でそんなことを思い出していたら、
最終的に、あややはオバケだったみたいな結論に至ってしまったので、
それ以上考えることをやめました。

みんな、あややにはこの記事のこと言わないでね。

もしよろしければ、サポートよろしくお願いします!!