【愚痴5】母からの手紙

どうも、ご無沙汰しております。

エイトブリッジの汗っかき担当の篠栗です。

今日は母親の話を少し。

我々がやってるラジオ「ヤキトリエルボー」を聞いてくれている方や、

がじゅまるとのトークライブ「がじゅんぷりんちん」に来ていただいたことがある方はご存知かと思いますが、

僕の母親は8年前に他界しました。

僕がまだ、エイトブリッジどころか、

おちんぷりんちんでもない、

事務所にも入れずに、フリー芸人として活動しつつ、

ほぼ毎日バイトばかりしていた頃に亡くなってしまいました。

そのため、今、こうして別府ちゃんと一緒にテレビに出していただいている姿を

一回くらい母に見せたかったな、と

ふと思ったりすることがたまにあります。


以前書いた記事にもある通り、

僕には「家族エピソードコンプレックス」のようなものがあり、

本当にこれといったエピソードがない家族なのですが、

最近、母親のことで思い出した出来事があったので、

もし、よかったら、読んでください。


僕は、地元福岡の高校を卒業した後は

高知県で大学生活を4年間送り、

その後、就職で東京に出てきて、

2年間会社員をやった後、

一念発起して芸人になりました。


大学時代は一人暮らしでしたが、

毎日部活で野球ばかりやっていたため、

バイトもそこそこしかせず、

生活費の大半は、母からの仕送りが頼りでした。


それがいかに「ありがたいこと」だったのかを

ちゃんと感じれるような人間になったのは、

大学も卒業間近になってからでした。


大学を卒業すると、地元の福岡に帰ることもなく、

僕は引越しの荷物と共に東京に出てきました。

一社会人として、都会で自立した生活をしてみせるという目標を掲げて。


しかし、就職先の会社に4月に入社してみると、

なんと、初任給が出るのが5月末ということが判明しました。

引越し先での生活必需品を買ったり、

歓迎会や同期の親睦会など、

お金がないのに、お金がかかる行事ばかりに巻き込まれ、

5月の初任給までの生活費がなくなってしまい、

情けないことに、

そこでもまた母親に頼ってしまいました。

社会に出た一歩目からつまづき、

俺は何をやってるんだ、と深いため息をついたことを覚えています。


そして、待ちに待った初任給。

今まで母親に面と向かって「ありがとう」と言った覚えがなかった僕ですが、

初任給は、これまでたくさん迷惑をかけた母親へのプレゼントに使おうと決めました。

毎日パートを頑張ってくれている体を少しでも癒してもらおうと

「安眠枕」を買い、

枕と一緒に、手書きの手紙を添えました。

「今までありがとう」「おかげさまで自分でお金が稼げるようになりました」
「もっと生活が安定したら、ちゃんと恩返しします」

みたいな内容だったと思います。

電話じゃちょっと恥ずかしくて伝えきれない気持ちを

手紙に認めて、安眠枕と一緒に実家に送りました。

それから数日が経ち、

「そういえば、母親から何の連絡もないけど、ちゃんと荷物届いたのかな?」

と思いました。

当時はまだLINEどころかスマホもない時代でしたが、

それでも「荷物届いたよー」という電話なりメールはあってもいいのになーと思いつつ、

一応サプライズで送ったので、確認の電話をこちらからするのも気恥ずかしくて、

届いてるよな、と勝手に信じることにして、そのままにしていました。

それからさらに数日してから、僕の家に小包みが届きました。

実家からでした。

小包みを開けてみると、中にはインスタントラーメンなどの食材が入っていました。

そして、その中に一枚の封筒が入っていました。

封筒を開けると、便箋が2枚入ってました。

母親からの手紙でした。

手紙の内容は、

「枕ありがとう、大事に使います」「体に気をつけて、仕事頑張ってね」
「せっかく手書きの手紙をもらったので、手紙で返そうと思ってるうちに遅くなっちゃった、ごめんね」

といった感じでした。

思えば、母親から手紙をもらったのはこれが初めてだったかもしれません。

ちょっと感動しました。

感動しましたが、ふと便箋の1番下に書いてあった文字に目をやった途端、

僕の気持ちは何だか台無しになってしまいました。


この母からの手紙は、

封筒も便箋も同じ柄のレターセットだったのですが、

普通のレターセットではなく、

当時公開されていた「硫黄島からの手紙」という

戦争映画のレターセットだったのです。

そのため、便箋の1番下には

「硫黄島からの手紙」という文字が、

黒く、太く、プリントされていました。

そのため、せっかくの感動的な手紙の最後は、


「手紙で返そうと思ってるうちに遅くなっちゃった、ごめんね
 母より

 硫黄島からの手紙」

と、なっていました。


え、今、戦地にいるの?
戦場から送ってくれたの?
今、アメリカと戦ってるの?
だとしたら、安眠枕で安眠してる場合じゃないじゃん!
どうゆう状況?
他に便箋なかったの?
てか、よく見たら封筒にも「硫黄島からの手紙」ってプリントしてあるじゃん!この封筒だけ見たら、もはや召集令状だよ!
紙の色が白いだけで、ほぼ赤紙じゃん!

みたいな感じで、

一気に20個くらいツッコんでるうちに

感動的な気分も消えてしまいました。

前述の通り、

決して狙ってそんなことを仕掛けてくるような家族ではないので、

母親も天然で、

手近にあったレターセットに手紙を書いてくれただけだと思いますが、

当時の僕は、

「手紙の内容とレターセットの違和感に気づかんもんかね」と

強く思いました。


これが、僕の母親が残してくれたエピソードです。

いつかテレビで話せる機会があれば嬉しいですが、

これを読んでくれたみなさんは、

そのオンエアを、この話初めて聞くなーというテイで見て下さいね。

約束ですよ。



ちなみに、

その手紙は今も大事にとってありますが、

読み返すと戦場に赴きそうになるので、

読み返さないようにしています。

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