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電車男は秋葉原駅前再開発だった…のかよ

(画像の出典: photo-ac)

「1992年のLove Affairから―中編―」改題。

映画って、そんなに速くできるものなの?

前編から時代は10年以上下る。
今回の話は、筆者の以前のブログを知っている人には内容が重複するけど。

2004~2005年に流行ったそのラブストーリーは、当初から存在自体を疑っている人が結構いた。
前編の時と違い、当事者は有名人でも何でもなく、彼らは本名すら明かしていない。

『電車男』とはいったい何だったのか。

「2ちゃん発祥の話で真実だったものはひとつもない」と、2ちゃんねる創始者のひろゆき氏は言っていたそうだが。
いや、それが釣りかどうかよりも、なぜあのタイミングで釣らなければならなかったのか。
前編の'92年の恋愛沙汰はその目的がある程度察しがついたが、この2004年のは、まあ察しがつくと言えばつくけど、本当に「それ」でよいのか。

秋葉原の駅前再開発? ──いや。マジで。

2004年春のスレを同年秋に出版。
ブームが盛り上がるまで半年ほど。この間の仕込みが肝心。
マンガ化、映画化、芝居化、ドラマ化が次々と決まる。

2005年6月に映画公開。クランクインは何と、わずか2か月前の4月だった。
2か月で撮影し編集し公開って…企画はいつごろからあったのだろう。年が明ける前からだろうか。

2005年7月からドラマが始まる。同年10月まで。
この頃、AKB48のメンバー募集開始。こちらの企画はいつごろからあったのだろう。劇場確保その他に動き出したのは?
てか、AKBって…
今やもう全国的にAKBと言えばアキバのことだと誰もが思ってる、決めつけてるけどなー、赤羽だってAKBじゃんよー!!

まあそれはそうと、電車男の件。
2005年8月5日から27日まで、芝居の方の東京公演。
その千秋楽が近づいた8月24日、つくばエクスプレス開通。

つまりこの、つくばエクスプレスの開業にあたって、秋葉原とヲタクのイメージを上げておく必要があったのか。と。
そこで、「何とかイメージアップを…」という案件が、ひろゆき氏と秋元康氏に持ち込まれでもしたのか。中野独人氏にも? 誰から? さあ──。

とりあえず電車男で火はついた。あとはAKB48が盛り上がれば…
しかし。あの秋元康プロデュースであるにもかかわらず、最初の2年ほどはあまり注目されなかった。
焦りはじめ、握手券つきCDとか、えげつない商法に走り出した2008年頃から、やっと徐々に注目され始める。

その矢先、通り魔事件。2008年6月。
田舎者のあの犯人の頭の中では、東京と言えばイコール秋葉原だった。

ずいぶん昔、東京と言えば銀座だった。
90年代の渋谷系ブームの頃は、東京と言えば渋谷だったんじゃないだろうか。
その頃から、シブヤ系の対義語としてアキバ系という言葉はあった。
オシャレなものに対するダサイものとして。
秋葉原はそのイメージを覆したかったのか。いやオシャレには別になりたがっていないにしても、田舎者に「東京と言えば秋葉原」と思ってもらえることこそ、秋葉原自身が目指していたことではなかったか。
そしてこの再開発は一応の完成を見た。

開発ったって…あんな都心、別に過疎だったわけではない。
ただずっと、歩いている人の男女比が、ひどく片寄った街だとは感じていた。

圧倒的に男が多い。今もそうだけど。
ただ、あの頃から、街を走る「気」の流れが少し変わってきた気がする。
つくばエクスプレスが通るようになったせいかどうかはわからんが。

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