無題

39年目の真実─1980年6月20日夕刻、函館駅前の5番のバス停─

(画像の出典: Illust-ac)

その日は金曜だった。確か学校終わってからなんか買い物をする用事があって、まっすぐ家には帰らず駅前に出た。つまり寄り道。でも学校から見て家と駅とは逆方向にあるので、帰宅途中にちょっと立ち寄るという感じではない。さらに学校から駅までは歩いて行ける距離ではないので、バスを使ったはずだが、今となってはよく覚えていない。行きのバスのことなんか。

買い物も何を買ったか覚えていない。多分駅前のデパートで、とり急ぎ必要な何かをみつくろったか、あるいは買ってもいいと思える物があるかどうかを見に行っただけで、結局買わなかったかも知れない。
ただなにぶんにも授業が終わってから行ったのと、デパートで結構長い時間を過ごしてしまったため、帰りは夕方の結構遅い時間になっていた。6時近かったかと思う。
6月20日と言えば、夏至も近い。そんな時間でも、北海道のような所でも、結構明るかったのを覚えている。私は帰宅するために駅前のバスターミナルの、5番のバス停に行った。

本当は5番の他にも家に帰れる路線はあった。所要時間もあまり変わらない。そっちのバス停に並ぼうか迷ったけど、何となく5番で行こうと思った。5番の方が、あまり混雑する道は通らないから、という理由は後付けで、本当はほんの気まぐれ。いや、本当は私は、そのつい1~2週間前にも野暮用で駅前から5番のバスで帰宅した。それが習慣というか、前回の反復というか、どっちで帰るか迷うことにエネルギーを使わずに同じことを繰り返すのが面倒がなかっただけだ。

バス停に着くと、先客がひとりいた。その人の年の頃も性別も今はよく覚えていない。私は2番目に並…ぼうとした。ただその人の立ち位置はあまりにもバス停に寄りすぎていた。確か先日帰宅した時は、もう少し、30~50cmくらいバス停から離れてみんな並んでいた。これは確かだ。だから私は、「えーそこじゃないじゃない。もっとこっちだよ」という思いを込めて、その人の後ろじゃなく横に並んだ。これで3番目以降に並ぶ人は私の後ろに並ぶはずだ、という目論見があった。

ところがだ。3番目に来た奴は私の後ろではなく最初の人の後ろに並んだ。でも私は大して気にしなかった。私がそいつより先に来ていたことは確かだからだ。
ところがだ。4番目の奴も私の後ろではなく3番目の奴の後ろに並んだのだ。バスが出るまで10分ほど。その間、来る奴来る奴がみんなバス停に寄り過ぎている方の列に並び、少し離れた所に並んでいるのは私だけになった。

みんな並ぶ位置をまちがえている、と思った。それでも私は2番目には既に来ていたことに自信があった。だって真実だし。

で、結構な人数──10人以上は確実──が並び、やがてバスが来てドアが開いた。私は2番目に来ていたので、当然2番目に乗ろうとした。
ところがだ。
「あんた並んでないだろ」とか何とか言われて3番目以降の奴に押しのけられたのだ。
「並ぶ列は本当はこっちですよ。私は先に来ていた」という意味のことを私が言い返すと、並んでいた奴らはぎゃーぎゃー騒ぎ出し、割り込むなとか私を罵った。そんな中のひとりのおっさんが、「学生なんだから気をつけないと」とワケのわからんことを言う。学生カバンを持っていたので、高校生であることが容易にわかったらしい。
学生なんだからって何よ。学生じゃなかったらどうだっていうのよ。

それでも私が乗り込もうとすると、複数の人間に力ずくではじき出された。これは暴力だ。
今なら透かさず「警察呼んで!!」と叫んだのに。あの時は咄嗟にその機転も利かなかった。知恵もなかった。
それでも咄嗟に、えーと、えーと、何か覚えておかなきゃと、ない頭を必死に一瞬で絞り、そうだせめてみんなの顔をしっかり覚えよう、ふだんは人の顔を覚えるのは苦手だけど、と、一所懸命そいつらの顔を目に焼き付けようとした。
その時間にバス停に並ぶんだから、帰宅するサラリーマンとかが多かったはず。でも老若男女いろいろ。とりあえず私が覚えることができたのは、その中には頭のはげた人はいなかったということだけだ。

その後のことはよく覚えていない。多分悔し泣きしながら一旦バスターミナルを離れ、もう5番には乗りたくないので、別な路線の方のバスに並び直したはずだが。

バス停のすぐ前に並んでんだから、乗る人であることぐらいわかるだろ。
どうやらみんな、ひとりハズれた所にいる奴(私のこと)を認識していて、そいつがもし先に乗ろうとするなら断固阻止してやろうと、少しでも自分が先に乗り、先に座るためにと狙っていたようだ。函館の人はこういう陰険なところがある。

百歩譲って、奴らが正しいと思っている列が本当に正しいのだとしたら、本当はこっちですよと教えるとか、知らん人に声かけづらかったら、3番目の奴が自分より先に誰がいたかをちゃんと覚えてるとかすんのが筋だろ。事実、その後大人になって、いくつか東京を含む他の町に住んだが、それらの町ではどこでも、「自分の前」を覚えているか、違ってたら教えてくれるかしていた。函館の奴が「人情がない」と嫌う東京でさえ。

そう。修学旅行で東京に行った時、クラスの女の子が「道を聞いたら不愛想に『左』だって。東京の人こわーい」って言っていたが、私には東京の方が余程親切に感じる(余談だがその後彼女は札幌で就職し道路交通情報センターのアナウンサー? としてテレビに出ていた)。

確かその時バスの運転手は無言だった。かかわりたくなかったんだろう。
その場では泣いて逃げたとしたも、後日、市の交通局にクレームを入れるとか、そういう知恵も働かなかった自分が悔しい。

でもこの悔しさは何十年経っても消えることがない。恐らく私の存命中は。
で、21世紀になるかならないかの頃、この時のことを北海道新聞に投書した。『陰険な町・函館』というタイトルで。でもボツになったようだ。そりゃ北海道のマイナスイメージになるようなことを好んで載せないわな。
だから今書く。39年前の日記を今書く。

函館てぇとこは、まあ、どうってことない田舎町なんだけど、観光面でのイメージだけは全国の中でもやたらいい。でもこういう陰険なところがあるのも確かで、故郷であっても好きになれない。そうだ。偶然そこに生まれついただけの場所を、故郷だというだけで何で愛してやんなきゃなんないのよ。たとえそこでどんなひどい目に遭っても。

これが事実だ、現実だと、な~んにも知らずに観光に来る方々にはぜひお知らせしておかないと。
私怨だなんて思うなよ。私はたまたま地元民だったけど、土地勘のない観光客ならなおさら、並ぶレーンを間違えたり、あらぬ所に立っていたりする確率は高まる。そういう人に対してもこうなのか。
まあ5番の経路はあまり観光スポットは通らないし、観光に来たならバスより電車に乗りたがる人が多いだろうけどな。
せいぜい観光客減らしてな!!

追記:
先日、投書した時の下書きメモが偶然出てきて、思い出した。
私が突き飛ばされてから数年後、やはり知らずにズレた場所で並んでいて、「あんたたち並んでないでしょっ!」と突き飛ばされていた少女2人組を見かけた。
自分の体験だけなら私怨と言えなくもないが、これでやっぱり函館は「そういう町」なんだと確定した。
もっとも彼女たちは、友達と一緒の心強さから、私ほどには根に持っていないかも知れないけど。
反論があるならコメントしろください。
「今はそんなんじゃねーぞっ!」と胸張って言えるなら、寧ろめでたいことだと思うから。


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