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不如帰

(画像の出典: photo-ac)

Aujourd'hui maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas.
(Albert Camus『L'étranger』)

3か月前、母がくたばった。もしかすると4か月前だったかも知れないが、私にはわからない。

私にはわからない。

私にはわからない。見てないし。

母の死の翌日に海水浴に? 行こうと思えば全然行けるで。
映画を見て笑いころげる? そりゃ映画がおもしろければ全然オッケー。
そんなことで道義心に欠けた人間と裁判で判決を下されなければならないのか。

4か月くらい前突然、母が入居してた(らしい。母の連絡先なんか知らなかったし知りたくもなかった)介護施設から、「お母様のことで話したいことがあります」とだけ留守電が入ってた。
電話は折り返さず、施設の住所をネットで調べて、「あんなウソつきな、自分を虐待した母になど関わりたくない」という文面を速達で送ってやった。

何週間かして、叔母(母の妹)から、母が死去した旨のハガキが届いた。
母の残した預金とかあるから口座番号を教えろと。

うっせー、んなもんいるかヴォケ!! おばちゃんアンタがもらっとき。
そう、いつも、カネで気を引こうとするのが常套手段だった。心が離れていることにあっちも気づいているもんだから。
預金ったって、専業主婦だった母のこと、遺産と呼べる程の金額なわけはない。自身が生きている間に必要な生活費だけは貯えてあった、その余りだ。
叔母の手配した弁護士事務所から何度か連絡をもらい、先頃やっと正式に相続放棄の手続きが完了したところ。

いや、自分が働いたカネならいつだって欲しい。
けど「その」カネだけは受け取っちゃいけない。受け取ったが最後、生涯にわたって恩を着せられてしまう。母に。草葉の陰から。
だいいち、とにかく関わりたくなくて何十年も避けまくってきたのに、ここへ来てカネだけ欲しがる奴って人としてどーよ。

今はただ、あの恐ろしい母からやっとどうにか逃げ切った、という達成感はとりあえずある。
でもすごーくうれしいというわけでもない。不思議な感じ。
年老いてどんなに衰弱しても、頭がボケても、私にとって母はただただ恐怖でしかなかった。

5歳の時、「お前なんか大人になってもちゃんと子供を育てられるかどうか心配だよっ」と言われた。
つまりこの先どう頑張って生きても、私は人間失格なのだという烙印をこの時押されたのだ。5歳にして。

小学校4年生のある日、学校から帰ると母がよそゆきの格好をして待っていた。
「あれ? これから出かけるの?」と聞くと、
「お前があんまり言うことを聞かないから、精神病院に連れてってやる。入院させてオリにぶちこんでやる」と言われ、玄関から引きずり出されそうになった。
怖かった…

ちなみに大人になってから、上記2つのことを母に問いただしてみたが、まったく覚えていないという。
本当に覚えていないのか、忘れたふりをしているのかを考えるのは無駄なことだ。母はウソつきであり、しかも自分のついたウソを本当だと思い込むことのできるタイプの人間だったから。
そんなのと暮らしてみ。毎日がガスライティングの連続だ。このままでは自分がダメになると危惧し、とにかく物理的に離れようと一人暮らしを続けた。盆にも正月にも帰らない。当然。

最近やっと、毒親という言葉ができて、わかってくれる人も増えてきた(自分もそうだったと気づく人が増えた)けど。

父は? 父はそんな母を黙認しているだけだった。そもそも昼間は仕事に行ってていないし。
ちなみに、父は母より前に死んでいたが、私は父の葬式にも行っていない。

父も母も、子供に対しては、自分達の思い通りに動かすことにしか興味のない人達だった。子供自身が何を考え、感じているかについては興味を示さない、というか子供自身に独自の考えが「存在する」ということは、両親にとってはわずらわしいことでしかなかった。
子供が自分の考えに反した、というより、自分の考えから少しでもズレたことを言ったりしたりすると、「親子でしょ」とか何とか、あらん限りの言葉を尽くして自分の思い通りにさせようとした。
つまり親子なんだから子供はもっと親の考えを汲め、もっと親の言うとおりにしろ、つまり親の言いなりになれ、と。

これを母は、「私は『鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス』だから。お前みたいに『鳴くまで待とうホトトギス』みたいにボーッと待ってんじゃないよっ」と言っていた。
「エー? おかあさんは『殺してしまえ』じゃないの?」と私は冗談でまぜっ返したら、母は笑っていたが。

ホトトギスというのは初夏の季語だそうだ。今こんな文をアップするのは季節ボケしてる気もするが、一段落ついたのが今なもんで。そりゃタイミング良く死ななかった母が悪い。

それにしても、信長秀吉家康はもとより、正岡子規やらタケオさんナミさんやら、人はなぜあんな育児放棄なトリに心惹かれるのだろう。

そういうわけで相続放棄したのでカネはない。心苦しいが投げ銭制にさせていただく。
代わりに豆知識をひとつ。
「相続放棄の手続きは、相続者が被相続者(故人)の死亡を知ってから3か月以内に申請しなくてはならない」んだって。
①死亡してから3か月、じゃなく相続者が死亡を知ってから3か月。
②申請は3か月以内にしなきゃいけないけど、3か月以内に手続き完了し認められるとこまではいかなくても大丈夫。
それで冒頭の「3か月前~」に繋がるわけだが。
いやはや、何とか間に合った。

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