「あ、いらないです」 転がったキャンディーを驚いて見つめた
今日はとても暑くて、会社のエアコンが少し古いこともあり、社内にいた私たちは全員がバテ気味だった。
暑いと頭がぼーっとして、仕事が進まないなぁ。
そんなことを1日考えながら過ごしたから、仕事の終わりがけにキャンディーを持っていたことを思い出した。
デスク周りに居た3人に、はい、と手渡した。
隣にいた同僚は「ラッキー!」とすぐ口に含んでいて、良かった、と思った次の瞬間だった。
「ヤギさん、私キャンディーいらない」
斜め向かいに居た中途の方が、渡したキャンディーを手元に戻しにきた。
それを見てか、向かいの先輩も申し訳なさそうに「私も普段食べないの、ごめんね」と私の手にキャンディーを握らせた。
私の手元に行き場を失ったキャンディーが2つ転がった。
それに対して私が抱いた感情は、『驚き』だった。
(なぜこの出来事に驚いているのか分からない方もおられると思う)
理由は私の考え方のタイプが、向かいの先輩と同じだったからだ。
斜め向かいの中途の方がとった行動は、私にはあまり馴染みのないものだった。
私や向かいの先輩は、基本的に「断れない人」だ。
恐らく中途の方が要らないと言わなければ、先輩は私の意図を汲んで笑顔で受け取り、自宅で旦那様にあげたのだろう。
相手がこう考えてくれたんだろうな、こうしようとしてくれたんだろうな、そこまでを汲むということは共感力という意味でとても美しいことなのかもしれないが、今日の私の目には中途の方の行動がよっぽど美しく見えた。
アドラー心理学だったか、課題の分離という言葉があったように記憶している。
相手がどう思ったか、それは相手の課題であってこちらの課題ではない。
つまるところ、私が良かれと思ってキャンディーを差し出したのは私の境界内で起こっていることなのだ。
それに対して嫌いなのか、今いらなかったのか、そういうことに関係なく必要がなく断ったというのは相手の境界の話。
それに対して私が例えば怒りを覚えたり、落胆する必要はないということだ。
なぜかというと、そういった感情が生まれるのは相手の感情を(境界の向こうを)勝手に想像して(覗き込んで)いるからである。
「私がこんな風に思ったのに断るなんて」と思うことなど良い例かもしれない。これもこちらから相手の感情を想像して期待したことに対する怒りだろう。
相手の感情はいくら想像してもそれは想像にすぎない。
私がキャンディーをあげた。
相手がそれを断った。
机上にはこの事実しかないのだ。
そこにまつわる感情はそれぞれの境界内のこと(課題)なので、何か感情を起こす必要はないのである。
さらに言えば私の驚きには、中途の彼女があまりにもさっぱりと断ったので、何の感情も起きなかったということにも付随していた。
寧ろ先輩が便乗してキャンディーを返してきたことに対しての方が、「普通に言ってくれて良いのにな」という気持ちを想起させた。
ただ私も先輩と同じタイプ。断ったら嫌な気持ちになるかもなぁ、そんなことを考えて断れないタイプだ。
だからこそ自分と相手の境界がきっちり分たれている彼女を美しいと思ったのだろう。
一緒に仕事をさせていただけて有難いなぁと思った1日だった。
(欲を言えば私の行動を汲んで、「ありがとう」など付けていただければより角が立たないかなぁなんて思ったそれが、私の課題なのかと苦笑いを溢したのは別の話だ)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?