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青山スパイラル(ほぼひとりごと(2021年8月27日(金)))

(写真は、旧表参道駅があった場所あたりから撮った青山スパイラル。今でもおしゃれなビルです)

#青山スパイラル #表参道駅 #団塊の世代


1964年に大拡幅された青山通り、国道246号線沿いの建物も少しづつ様変わりを始めていますが、青山スパイラルは、1985年のオープン以来、青山通りのイメージリーダーとして存在しています。


最近は、バブルというと、オリ・パラ用語になっていますが、青山スパイラルがオープンした1985年ころは、電電公社や専売公社が民営化されるなど、みんなが右肩上がりの夢を見たバブルの前でした。


青山スパイラルや、その前に出来ていた六本木のアクシスは、それまでの建物とイメージが違い、モダンな感じがしました。どぶねずみと言われた男性のグレーや紺のスーツには似合いませんでした。


1980年代の中盤は、20代の後半から30代になったころ、数年上の団塊の世代がリードしている世の中のトレンドを追いかけている感じでした。このフォーメーションは、40年近く経っても同じです。


集団就職や大学紛争、大量生産などの言葉が象徴していた団塊の世代から、1975年大卒は、当時流行した小説から、集団行動が苦手な「かもめのジョナサン」に例えられました。少しは変化していたのだと思います。


千代田線と交差するまで、神宮前駅だった銀座線表参道駅は、半蔵門線が開通した時、今の場所に引っ越し、出入り口だけが元の場所に残り、乗り換えの手間が格段に改善されることになりました。


青山スパイラルが出来たころは30代前半でした。青山スパイラルは昔と同じに建っていますが、今は、旧表参道駅の出入り口の階段を息切れせずに上るとホッとしながら、時間の経過を感じています。

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