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読売巨人軍 陰のリリーフエース "久保裕也"


 皆さんは巨人軍のリリーフエースと聞くと誰を思い浮かべるだろうか。

 前人未到 9年連続60試合登板の鉄人 山口鉄也

 在籍8年で421登板 174ホールドの鉄腕助っ人 マシソン


 他にもそれぞれ思う選手はいると思うが今回取り上げるのは、献身的にチームのために投げまくってくれたが"優勝の立役者"にはなれなかった悲運の投手 久保裕也について綴っていく。


1.久保裕也 概要

 久保裕也は、現在東北楽天ゴールデンイーグルスに所属している松坂世代の1人である。
はじめにプロフィールを簡単に紹介したい。

【 久保 裕也 (くぼ ゆうや) 】
1980年5月23日生 福岡県出身 投手 右/右
・沖学園高等学校
・東海大学
・読売ジャイアンツ (2003年〜2015年)
・横浜DeNAベイスターズ (2016年)
・東北楽天ゴールデンイーグルス (2017年〜現在)

【プロ入り前】
 東海大時代は最高殊勲選手や最優秀投手を4回受賞するなど、早くからプロ注目の投手としてピックアップされていた。そして2002年ドラフトで巨人軍に自由獲得枠で指名を受け、晴れてプロでのキャリアをスタートさせる。

【プロ入り後】
 1年目からいきなり開幕一軍でスタートすると、4月に早くもプロ初勝利を挙げる。

 2年目はファームでノーヒットノーランをやってのければ、その勢いに乗り一軍で初完投、初セーブと先発中継ぎ問わずチームに貢献した。

 3年目からリリーフ今日が主になると、当年64試合、翌年59試合と、2年連続でチーム2番目の登板数をマーク。一気にリリーフエースへと駆け上がって行った。


 こうして見ると、プロ入り前から順風満帆な人生に見えるが、タイトルにもあるように、"陰"のリリーフエースと書かせていただいたのには次のデータを見ていただくと分かりやすいのではないだろうか。

【久保裕也 年度別成績(巨人時代のみ)とチーム成績】

03年 38試109.2回 6勝7敗 防4.27               【3位】
04年 35試 99.1回 7勝6敗 8S 防4.08           【3位】
05年 64試 78.2回 7勝4敗 7S 17H 防3.43  【5位】
06年 59試 61.1回 5勝6敗 18H 防3.08        【4位】
07年 13試 60.1回 3勝5敗 1H 防4.33          【1位】
08年 6試 17.2回 2勝 1H 防2.04                   【1位】
09年 7試 27.1回 1勝 防3.29                         【1位】
10年 79試 91.0回 8勝1敗 1S 32H 防2.77  【3位】
11年 67試 69.0回 4勝2敗 20S 21H 防1.17【3位】
12年 2試 1.0回 防9.00                                   【1位】
13年 一軍登板なし                                         【1位】
14年 48試 59.0回 4勝4敗 11H 防4.73        【1位】
15年 一軍登板なし                                         【2位】

 そう、皮肉なことに久保が活躍したシーズンに限ってチームは優勝を逃し、不本意な成績や一軍で登板なしのシーズンに優勝しているのだ。(14年こそ48試合登板で11Hでチームも優勝と、ジンクスを破ったがそれまでのインパクトが大きすぎる…)

 このデータは結構有名で知ってる方も多いと思うが、改めて見ても酷い…

 こんなにも自身の活躍がチームの結果に反映されない投手がいるのかと思うと、一ファンとしてすごく悲しくなる。

 一体久保裕也に何があったのか…


2.巨人軍優勝と久保裕也

 では、巨人軍が優勝を果たしたシーズンの久保裕也を振り返ってみよう。

【2007年】
13試 60.1回 3勝5敗 1H 防4.33
・この年は5月に先発に再転向し、初完封をマークしたが、その後は打ち込まれることが多くなり、一軍、二軍を行ったり来たりになり年間通して一軍には帯同できなかった。
【2008年】
6試 17.2回 2勝 1H 防2.04

【2009年】
7試 27.1回 1勝 防3.29
・2008年、2009年は特に大きな故障などがあった訳では無いが、2シーズン合わせて13試合の登板に終わり、一軍で姿を見る機会は減ってしまう。
【2012年】
2試 1回 防9.00
・前年オフに受けた右股関節唇の修復手術の影響でフォームバランスを崩してしまうと、4月に右肘痛により登録抹消。5月にトミー・ジョン手術を受け、シーズン中の復帰は絶望となった。
【2013年】
一軍登板なし
・術後、二軍では8試合に登板したが、一軍での登板はなし。
【2014年】
48試 59回 4勝4敗 11H 防4.73
・4月に746日ぶりに一軍登板を果たし、1005日ぶりにホールド、983日ぶりに勝利投手、5年振りの先発登板など復活をアピールした。

 こうして見てみると、1度目の3連覇時(07年〜09年)は故障というよりは、育成出身の山口鉄也の台頭や大型補強により先発中継ぎ共にポジション争いが激しくなり、増大化した戦力の中に埋もれてしまった印象だ。そこまで悪い成績には見えないため惜しいところではある。
 2度目の3連覇時(12年〜14年)では、前年までの2年間(10年、11年)で146試合に登板した疲労の蓄積もあり、その反動で故障が重なってしまった。14年には復活した姿を見せたが、翌15年は再び一軍登板なしに終わり、オフに戦力外になってしまった。球団は何らかのポストを用意していたようだが久保本人の現役続行の意志を尊重した形だ。


3.久保裕也の巨人への貢献度

 こうして久保の奮闘がチームの優勝に反映されなかったのは残念な事ではあるが、果たして久保裕也は巨人軍への貢献度が低いことになるのか。それは違う。
 確かに、同時期のチームには9年連続60試合登板をマークし連覇時に3度の最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した山口鉄也や、その山口と「風神雷神」コンビを組んでいた越智大祐、「スコット鉄太朗」を組んでいたS.マシソン西村健太朗など、チームが優勝した事も加味して"陽"の評価を受けた投手が多い。

 2000年〜2015年までの間で優勝を逃したのは、
01年、03年〜06年、10年、11年の7シーズン。
その7シーズン間の登板数ランキングを見てみると、

01.03〜06.10.11年の巨人軍での合計登板数
久保裕也   342登板
・岡島秀樹   194登板
・山口鉄也   193登板
・前田幸長   172登板
・林昌範       156登板
・上原浩治   124登板
・高橋尚成   121登板
・西村健太朗 97登板

 久保裕也がダントツで投げていることが分かる。

チームが苦しい時期、誰よりも投げていたのは久保裕也だったのだ。

 もちろん、優勝に貢献した"陽"の投手たちの方が評価を受けるのは分かるが、こうした、"陰"のリリーフエースの存在も忘れてはならない。

 2010年の79試合登板という記録はその年の12球団最多登板数であり、今も破られていない球団記録でもある。この年は先発投手が苦しんでおり、リリーフ陣の負担が大きかったという側面もあり、敗戦処理、イニングまたぎ、ロングリリーフと、献身的にチームの為に投げてくれた。その姿勢には頭が下がるし、その功績は評価されるべきである。
 昨季の巨人軍でいう、田口麗斗や中川皓太の様な働きだが、久保はこの2人と違い、優勝していないので精神的にも辛い。(ちなみに、年俸の変化を見ると、久保は2010年2700万→2011年6500万で3800万増、中川は2019年1900万→5500万で3600万増)


4.最後に

 久保は40歳になる2020年シーズンも現役を続行する。
 巨人軍を退団した2015年から今もずっと、現役への思いは変わらない。昨年まで3年連続で20試合以上に登板するなど身体も元気だ。
 その強い意志を持ち続けて、まだまだマウンドで投げている姿を見たいと強く思う。
 そして、今季こそは、''優勝の立役者 ベテランリリーバー久保裕也''の笑顔が見たい。

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