能力を発揮すること・障がい者の価値

主張の根幹

はじめに,自分が主張したいこと端的に掲げます.

* 障がい者・健常者の区分なく,能力を存分に発揮できる社会を目指す.
* 人間の価値は,能力や生産性とは無関係な固有のものである.

上記2つの主張は独立であることに留意して頂ければ幸いです.

説明

2019.07.21投票の参院選,れいわ新選組から比例代表・特定枠1位で立候補したふなごやすひこさん(難病ALS当事者・全身麻痺ギタリスト・株式会社アース副社長)の当選が確定的な戦況であると言われています(07.19時点).

自分は今回の立候補までふなごさんを存じあげませんでしたが,立候補会見の実況を見ていて,彼の勇気と優しさに感動して涙を止めることができませんでした.

まず,ふなごさんの立候補記者会見からの一節を引用します.

スローガンは「強みは障がい者」だから気づけるものがある.しかしながら,私が目指していたのが,障がい者も健常者もない世界.今は,自説「人間価値論―命の価値は横一列に反映させています.

次に,同じ記者会見時の山本太郎の言葉の一部を引用します.

何よりもこれから高齢化社会が加速していく中で,寝たきりという状況は,おそらく多く見られていくと思うんですね.そのときにある意味,この寝たきり状態,その中でも体は動かないが,頭脳明晰であるというような人から学べること.言い方はちょっと雑かもしれませんけども,この寝たきり界のトップランナーと言いますか,フロントランナーの方に,やっぱりその知見を,これから日本が向かう将来に,そういった状況が多く増えてくるでしょうから,まさにこの知恵を国会の中に入れるということを,非常に重要じゃないかという風に思っております.

以上,心から同意します.障がい者だろうが寝たきりだろうが,人々には無限の可能性があり,環境次第で能力を発揮することができる.これはふなごさんが圧倒的に示している事実であり,超高齢化社会を前に,注目すべきことでありましょう.「障がい者は生産性が低い」などと主張するヒトもいますが,障がい者は決して生産性が低いとは限らない,ということでもあります.

しかし,蛇足めいてはいるのですが,ひとつだけ付け加えたいことがあります.「生産性の高い障がい者が存在する」という事実が反転して,「生産性の高い障がい者も存在するが,生産性が低い障がい者には生きる価値がない」などという流れが生まれないように,はじめからクギを刺しておく必要があるように思うのです.

つまり,障がい者も健常者もなく,それぞれができる限り能力を発揮することができる社会,それを望みたい.その一方で,すべての人間には生まれながらに固有の価値があり,その価値はすべての人にとって横一列,完全なる平等であると信じたいのです.

なぜ,人間には生まれながらに価値があるのか?と問う人も出てくるでしょう.しかし,これは生きていれば否応なく直観する事実に基づく原理であります.ヒトの歴史の中で,生まれてから一度も目を開くことなく亡くなったような方も無数に存在したことでしょう.また,もう手の施しようもなくただ死へ向かう途上にあり,可能性というものを喪失した状態は誰しもが通る道です.そのような状態の人たちも含めて,人間の価値・尊厳は,すべての個人に固有に備わっているのだ,ということを,神聖不可侵な原理として宣言したい,そう思っています.

補足1

品川での「れいわ祭り」のとき,車いすの方々が沢山集まっていらしたことは印象的でした.ビラ配りボランティアをしていると,車椅子に乗って首がよれて,目もどこを見ているのか分からない,話そうとしても何を言っているか分からない,そんなおじいさんと,介助の方を介してお話ししました.「何か手伝えることはないか」と仰いました.しかし,公選法が結構難しく,個人ができることはかなり限られているんです.色々と説明したところ,こちらの話は全部クリアに理解されていて,聴覚と思考能力には全く支障がありませんでした.どうせ通じないのではないかと思いつつ話したので,驚きました.いままで障がい者の方々と関わった経験があまりに少なく,見た目だけで誤った判断をしてきてしまっていたのです.情けない限りです.もっと障がい者の方々と日常で接することができるようになれば,きっともっと楽しくなるだろうな,そう思います.

10年くらい前の自分は,ベビーカーを鬱陶しい存在と感じていました.しかし現在,ベビーカーで電車に乗る人がごく普通に見られるようになってみれば,みんなが互いに配慮しあい,特段邪魔とは感じないようになってきているように思います.同じように,障がい者の方々が街に普通に出歩ける社会が10年後には実現されていると想像しています.ビラ配りをしていて,世の中にはまっとうな人ばかりということも知り,なおさらそう思うんです.

補足2

それでもベビーカーを邪魔に思う人もいることでしょう.しかし,それはモラルや人間性の問題なのでしょうか?そのような人々自体が日々ハラスメントにさらされている可能性が大きいような感じがしています.こちらもまた直視しなければならない問題であるはずです.

補足3

能力の低い・やる気のない人や引きこもりなど社会の「役に立たない」人たちにも価値があるとして,それで社会は成り立つのか,という問いかけも受けて立たねばならないと思っています.しかし,それは機会を改めることにします.

記事に賛同してくださる方,なんらかの学びが得られたと感じてくださった方は,経済的に余裕のある範囲で投げ銭をいただければ幸いです.