楽はつまらない。
朝起きて、しばらく嫌な気分と格闘する。
少しずつマシになってきて、何かできそうならブログ記事を書く。そこまで頭が働かないのなら、寝転がって読書をする。それもむずかしい場合はYouTubeやAmazonプライムビデオを利用してぼーっと動画を見る。
11時半くらいになったら下の階へおりて昼食を作る。作れない場合は冷凍食品やカップ麺を食べることもある。
食べるとしんどくなるから、再び布団にもぐる。ここでも読書をしたり、動画を見たりする。
ぼーっとしていると17時半のアラームが鳴る。犬の散歩の時間だ。散歩といっても老犬のおトイレを見届けるだけのもので、早いと5分くらいで帰ってくる。遅くても10分ちょっとくらいだろうか。
散歩から帰ると疲れてしまう。そういうときはやっぱり布団にごろんとする。運良く疲れずに帰宅したときはつくえに向かい、記事を書いたり、記事を書こうとするも上手くできずにやきもきしたりする。
夕食をとったらお風呂に入り、しばらくぼーっとする。今日も何もできないまま終わってしまった。あと数時間もしたら明日になってしまう。後悔と恐怖を感じながら、部屋を暗くして、布団に入る。
ぼくの毎日はだいたい上のように進みます。
この生活がもう10年以上つづいています。上のような過ごし方をしていても、心身ともにしんどかったりしますけど、だらだらとしているのは、楽であっても楽しいものではありません。
ただ楽しい毎日を送るためには、動きつづける体力と、動きつづける心が必要不可欠です。
今日は昨日の焼きましで、明日は今日の焼きまし。
すなわち今日を嫌な気分で過ごすということは、明日も明後日も、この嫌な気分は変わらないということなのです。そうやって10年も生きてきたのです。
自ら率先して死のうとは考えない(考えることもあるけど)し、希望を完全に捨ててしまったわけでもありません。でも、外部的な要因によって死んでしまうのは仕方がないし、そういう場合には諦めが付きそうです。
だから誰かに殺してほしいと思うことがあります。そうすればすんなりと諦めが付いて、穏やかな気持ちで眠れるんじゃないかと。
なかなか諦めが付かず、覚悟ができないから生きているという現実は、無視できないほど虚しいものです。
生きるか、死ぬかを、ハッキリと選んでしまったほうがいいんでしょうけど、どちらかと言われれば、ぼくは死ぬ方を選んでしまうかもしれません。
死ぬ覚悟と同様、生きる覚悟もないのです。
そんな中途半端な人間が楽しく生きるなど、できないのでしょうか。
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