朝の自分は誰が操縦しているか?

嫌な夢を見ました。

目が覚めたとき「ひさしぶりに嫌な夢を見たな」と感じたのは、きっと夢自体をひさしぶりに見たからでしょう。

ぼくはもうずっと嫌な夢しか見ていません。

良い夢、楽しい夢を見ることができた日は、もうこのまま永遠の眠りについてしまいたいと、本気で思うほどです。

嫌な夢を見ようと見まいと朝の気分は最悪なんですけどね。

ここでいう朝とは「午前」のことじゃなくて「起床後」のこと。起床してから数時間(日によってバラ付きがある)の気分は、逃げられないと分かっていても逃げたくなります。

体が重くなったのか、ぼくの力が弱くなったのか、とにかく、体を思うように動かすことができないのです。

今、こうして、キーボードをタイプしているのも、ふだんのぼくからは考えられないくらいノロマだし、タイプミスも多くなっています。ちょうど今「多く」を「大奥」とタイプしてしまったほど。

でも、体が重いのは、極論だけど「じーっと」していればそれほど不快じゃないかもしれません。幸いぼくは半ニート状態なので、じーっとしていようと思えばそうすることもできます。

じーっと、ぼーっとしていると、罪悪感や後ろめたさがぼくを殴ってくるので、あんまりそうしてばかりいるのも不快なんですが、風邪を引いたときに体を安静にするのと同じ……と考えれば、多少なり気がまぎれそうですね。

ただ、じーっとすることで体の不快感が消える、ないし緩和されるとしても、心の不快感が残ります。

体と同じように、心も重い。

金属のような重さを感じる体と比較すると、心の重さはまるで「泥」です。粘度が高く、どろどろ、ねばねばとした泥のように「ぼく」という器の内側にべったりとこびりつきながら、いつまでもいつまでも、下の方へ下の方へ、垂れていきます。

下へ下へと垂れていくのに引っ張られるかたちで、ぼくの心にも「下へ向かうエネルギー」が生じます。

ですから、ぼくが朝を元気に過ごすためには、まず「下へ向かうエネルギー」の力を相殺するだけの「上へ向かうエネルギー」が必要です。エネルギーを相殺できて初めて「フラットな状態」になることができます。

朝を元気に過ごすためには、ここからさらに「上へ向かうエネルギー」を生み出さなくてはなりません。

ふつうの人の朝が「フラットな状態」から始まるとしたら、そこから少しでも「上へ向かうエネルギー」を作り出せれば、すぐ元気に過ごすことができるようになります。

それにひきかえぼくは、まずマイナス状態にある心をフラット状態まで持ち上げるために、ひどくエネルギーを消耗しているのです。

心は心でそのような状態なんですけど、頭は頭でまた別な問題を抱えています。起床から数時間、ぼくの頭は、確実に「何者か」に主導権を奪われているのです。

朝をどう過ごしたかという記憶は、やや曖昧ながら残っているので、脳みそをすべて掌握されているということではないのでしょう。

でも確実に「何者か」がぼくの操縦桿を握っているんです。朝起きて「さて今日も操縦席にすわって自分の体を動かすぞ」とコクピットへ行くと、そこにはすでに誰かがすわっていて「いま起きたの?」とでも言いたげに仕事をしていいます。

おそらくそれが「うつ」の正体です。

ぼくが気を抜くとすぐに自己破壊的なことを考えてしまうのも、ぼくにはまったく理由が分からないまま涙が出たり、ものに強く当たりたくなってしまうのも、「うつ」の操縦によるものなのかもしれません。

体が金属のように重いのも、心が泥のように重いのも、上へ向かうエネルギーをなかなか上手に作り出せないのも、すべては「うつ」の操縦によるものなのかもしれません。

これらの言葉は「言い訳」のように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。「うつ」の操縦によりもっとも迷惑を被っているのはぼくだし、ぼくはこれを改善するために(自分のでき得る)あらゆる手を尽くしています。

それでも尚、彼は操縦桿を明け渡してはくれないのです。


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