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井の頭通信 06

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 美味しいけど,ノリが合わないラーメン屋がある。家からも会社からも遠く,それでもわざわざ暇をみつけて食べに行くくらい気に入っているが,美味しいこと以外はまったく好きではない。まず店名からして全然好きではないので,ここには明記しない。こういう屋号のラーメン屋に通い詰めていることを知られたくないので,友だちにも一切話題に出したことはない。一応お店の名誉のために断っておくと,下品とかではない。ただただ本当にノリが合わない。
 入口の,げた箱のうえに飾られている店主の似顔絵が好きではない。どこの観光地にもいる,ひとの顔の特徴的なパーツをやたら誇張して描く似顔絵屋のタッチだからだ。
 提供されるラーメンの味はずばぬけてうまい。ラーメンのジャンルとしてはややマイナーな流派のようだけど,そのジャンルのラーメンを出す,いわゆる名店と評されるお店を何軒かたずねても,ここに匹敵する水準のものにはついぞ出会っていない。というより,別の設計思想で組み立てられた味のようにも思える。スープまで残さず飲んでしまう。このジャンルのラーメン屋は,基礎的な味付けの骨格は維持しながら,各店舗でそれぞれ意匠を凝らしたアレンジを施して風味の差別化をはかることが多いようだ。私が好きなこのラーメン屋は(厳密にいうと,味以外は好きではない),スープの基礎部分の完成度がめちゃくちゃに高い。磨き上げられている。何度も推敲を重ねた結果だといえる。それになんだか,行くたびにうまくなっていっている。この一杯は完成形ではなく,まだまだ進化の余地があるのだ。

 本当に関係なくてごめんけど,インドカレーって今後も一生食べ続けることが確定しているのに,前菜に突き出される意味不明なサラダとドレッシングをあと10倍は美味しく改良できる余地が残されているのがすごい。

 この間そのラーメン屋に行って,トイレに入ると,なかやまきんに君の日めくりカレンダーが掛けられていた。ヤー! パワー!
 ヤー! なのはこっちなんですよね。本当に。

 井の頭線に,運転が荒い車掌がひとりいる。ずっといる。電車に乗って動き出した瞬間に「そいつ」だとわかる。トロッコアドベンチャー? と思う。トロッコアドベンチャーではなくてここは井の頭線だ。吉祥寺から井の頭公園の区間は特にカーブが多く,右に左に吹っ飛ばされそうになるのを頑張って踏ん張らなくてはいけない。降りるころにはへとへとで,恨めしい車掌の顔を確認することも忘れてしまう。

爆サイという掲示板サイトがある。これはもうどうしようもないカスどもの掃き溜めのようなインターネット空間だが,興味深いのは,トップページを開くと日本地図の形にカテゴリが分類されており,そこから各地域,最小単位は市町村まで専用のスレッドに飛ぶことができる。たとえば,福島県会津若松市のスレッドには「昔遊んだヤリマン情報」「〇〇のトイレでアナル掘られ待ちです」「運転マナーの悪いやつのナンバープレートを晒すスレッド」「〇〇のファミマの店員の接客態度の悪さについて」「Pokemon Goのレアポケモンが出現する場所」「シャブいりますか?」「〇〇の工場の特定の従業員に対する,同じ工場で勤務する従業員たちからの誹謗中傷」といった話題が提供されている。冗談だと思うなら見に行けばいい(会津若松市は適当,皆さんの出身地で見てみればいい)。なぜか人口がいちばん多いはずの東京都板ではスレの活気があまりなく,こういうところも興味深い。

 私が爆サイ民だったら,この車掌に対する呪詛を武蔵野市板に吐き続けていることだろう。

 家の更新手続きで印鑑が必要になったため,吉祥寺のはんこ屋さんに行った。前持っていた印鑑は紛失しており,半年ほど印鑑いんかん生活を送っていた。とくに実務上困ったことはなかった。
 はんこについてまったく知識がないので,店員のお姉さんに「はんこが欲しいんですが」というと,向こうに安いはんこの棚とあんま安くない棚があるから,自分の苗字を探してみてください。と言われた。果たしてどちらにもあった。安い方は私の試算よりもずっと安かった。はんこって100円で買えるんだ! と思った。さすがにものを知らなすぎる。一方で,あんま安くない方は,確かにあんま安くなかった。高くはないんだけど,安くもない。歴史が長い業界なだけあって,やはり値段設定も練られている。
 じゃあ絶対こっちじゃん。と思って100円のはんこを筒から抜き出し,さっきのお姉さんの方へ持って行こうとした。その瞬間に,なにか,羞恥心のような感情が自分のなかからぬらっと顔を出した。

 自分の苗字,100円か〜。

 自分の苗字の入ったはんこを100円で買うわけで,自分の苗字の価値が100円なわけでは決してない。それくらいは理解できる。理解はできるのだが,結局私はきびすを返し,はんこを筒に戻し,あんま安くない方の筒からさっきのよりちょっと重くて,ちょっと素材に気を遣っているふうのはんこを買った。
 お会計をしながら,はんこ屋が,というかこの業界がなかなかくたばらない理由について少し分かったような感じになった。と同時に,これは時代遅れの男女二元論になってしまうので,ここから先のことは戯言ざれごと程度に受け取ってくれると助かる。助かるンゴ。
 ここらへんはヒップホップのアーティストが自身の楽曲にネームタグを散りばめる感覚と照らし合わせると想像しやすいかもしれない。「名義」というのはもっともシンプルで,もっとも強力な,アイデンティティを維持・増進する道具のひとつだろう。ここまでの意見ならポリティカル・コレクトネスはクリアしている。ただ苗字の話になると性差が強いのでややこしい。
 私は以前山梨県にある象牙彫刻美術館(話が脇道に逸れて申し訳ないんだけど,この施設は旅行先で変な場所に行くのが好きな人は絶対に行ったほうがいい。何もかもが変すぎる。変すぎるし,歴史の教科書に乗るようなレベルの稀少な工芸品や,いわゆる超絶技巧に分類される頭のおかしい美術品の類が,全然適当な感じで展示されている)に行ったさい,象牙の印鑑が数十万円で実際に売られているのを見て,酔狂だなと思っただけで理解はできなかった。
 だが実際私は,自分の経済で買える範囲でより高価な値段のはんこを選んだ。これは私のアイデンティティにお金を支払いたかったからだ。アイデンティティはなかなかお金では買えないと思うんだけど,数少ない例外として印鑑がある。当事者になってみてはじめて,この仮説に納得している。私のようなタイプの,虚飾にお金を支払うことに愉悦をおぼえるタイプの人間がいる限り,はんこ屋さんは街角にあり続けるのだろう。

持ち物に緑色のものが多いので,色合わせのためにからし色の印鑑ケースまで買い,しかもそれを写真に撮った

*この話に,ていうかひいては苗字と男性性に由来するマチズモにどのような相関関係があるか興味はあるけど,ちょっと調べるのが大変そうなのでこれは皆さん各自で考えてもらえればと思います。ヒントが出たら私に教えてね〜。


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