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第38代泡盛の女王に選出されました

あのドン底の悔しさを味わってから約2ヶ月。
2024年4月21日。全ての記憶を上書きすることができました。

お陰様で、「第38代泡盛の女王」に選出していただきました、喜友名ひとみです。
これまで観光大使の選出大会に何度もチャレンジし、何度も辛酸をなめる経験をしてきました。

2023年ミスハイビスカス(沖縄市観光親善大使)ファイナリスト
2023年那覇観光キャンペーンレディ(那覇市観光親善大使)ファイナリスト
2024年那覇観光アンバサダー(那覇観光親善大使)ファイナリスト
 ※2024年度よりキャンペーンレディから名称変更

全て、選ばれた方のうち1人は「元泡盛の女王」の方でした。一度観光大使を経験している方は強い。何より立ち居振る舞いや品格が違う。

ここまできたら、私が「泡盛の女王」になるっきゃない。
2024那覇観光アンバサダーの最終審査に敗れた後、エントリーすることを決めました。
前年の2023那覇観光キャンペーンレディの最終審査後も、2023(第37代)泡盛の女王にエントリーしていたので二度目の挑戦でした。
昨年は「泡盛飲めない」という意識のまま受けたので、当然ファイナリストには残れず。
今年も受けるからには「泡盛飲めないんです」は通用しない。やるからにはとことん対策しないと勝てない世界であるというのは、これまでのファイナリストの経験から身をもって体感していました。

そして今回の再チャレンジにおいて、これまでと比べて一番変わったこと。
それは、「応援してくれる人、協力者の数」です。

2024那覇観光アンバサダーの最終審査の後、私は悔しさのあまり大号泣。1週間は悲しみ、悔しさを引きずっていました。それぐらい本気だったから。

本気でやると、応援してくれる人が増えます。

2023年那覇観光キャンペーンレディの最終審査の時に司会を務めた「こりん」さん。
私がお世話になっているエフエム那覇のパーソナリティでもあるお方。那覇観光キャンペーンレディ経験者でもあり、観光大使の選出大会の厳しさ、大変さを理解してくれている方です。そんなこりんさんがたくさんエールを送ってくださいました。

まず、2024那覇の最終審査後、大号泣している私に話しかけてくれました。

その後、インスタのDMでも色々と気にかけてくれて。とても助けられました。そして、「受け続けないと選ばれないよ!」という金言を頂き、泡盛の女王にチャレンジしようという気持ちを奮い立たせてくれました。

そこから、那覇観光キャンペーンレディと泡盛の女王の両方を経験している金城希さんを紹介してくれました。3名でのお茶会を開いてくださり、女王になるために必要なヒントをたくさん教えてもらいました。
後日、希さんに「泡盛と琉球料理のペアリングが学べるフルコースのお店に行こう」と誘ってもらい、泡盛伝道師とも呼ばれている比嘉康二さんを紹介していただきました。

比嘉さんの手ほどきで、「泡盛飲めない」という先入観を見事に払拭してもらいました。希さん曰く「泡盛飲めるポテンシャルはあると思った」とお墨付きもいただき。そこから自分でもお店で飲む時に泡盛があったら飲んでみようのマインドになりました。
2024那覇観光アンバサダーに真剣に向き合ったからこそ、このようなご縁の繋がりがあったと思います。

そうやって迎えた第38代泡盛の女王の一次審査。審査員3名と応募者1名の個人面接。

昨年はここで躓いてしまったけれども、「泡盛の飲み方」「泡盛の魅力」をしっかりとインプットした私は、前の年とは比べ物にならないくらい泡盛についての想いを語ることができたと思います。
とは言え、「泡盛の製法や歴史について知っている事をお話しください」という質問に上手に答えることができなかったので正直不安ではあったんですが・・・
一次面接通過の連絡をいただいた時に、「今年はイケるぞ」というマインドになることができました。

最終審査は3分間のセルフプレゼンテーション+質疑応答。
プレゼンテーションの内容をどうするか。約2週間で考えることになりました。

那覇観光アンバサダーと泡盛の女王の選出大会の一番の違いは、「事前にファイナリストと顔を合わせるか否か」という点。
泡盛の女王選出大会は、最終審査1週間前に「ファイナリストレッスン」があります。そこでファイナリスト10名と顔を合わせることができるのです。これが、最終審査を戦う上で大きなプラスになりました。

ここからは最終審査を戦う上で意識したことを言語化しておこうと思います。一定期間が経ったら有料記事にしたいと思いますのでご了承ください。

強いものが勝つのではなく、勝ち方を知っているものが勝つ

私の強みでもあり悩みでもあるのが「肩書がたくさんある」こと。
現在、私が携わっている仕事が
・ツアーコンダクター
・バスガイド
・挙式司会&アテンダー
・司会業
・ラジオパーソナリティ
大きく分けると「観光系」と「声のお仕事」に分類できます。

ファイナリストは10名。私以外の9名のうち、司会業やラジオパーソナリティ、レポーターの仕事をしている方が多く、その土俵に上がるとキャリア的に勝てないな、という結論に至りました。

私自身のキャリアの長さ的にも、今回のファイナリストの面々的にも「観光系」、特に「ツアーコンダクター」として勝負した方が一番強いなと考え、「泡盛ツーリズム」をベースにプレゼン内容を構築しました。

そして、こりんさんの
「セルフプレゼンテーションでは自分がどんな人間なのかを伝えるのが一番大事」
という金言を思い出し、この一年を通して色々な方に言われた
「キングスの話をしている時の喜友名ひとみが一番キラキラしている」
という「バスケットに関する知識」の強みを掛け合わせ、
「泡盛ツーリズム」×「Bリーグ観戦にきた人への泡盛PR」という提案をプレゼンするという内容に固めました。

「小道具は無理に使わない方がいい」というアドバイスも受け(実際に公務をするときはマイク1つでスピーチしなければならないので)、
導入→展開→提案というスピーチ内容の組み立ては「ライター講座」で学んだことを活かし、これまでの経験をフルに動員して3分間のプレゼンテーションを構成。

唯一のネックが順番。またしてもエントリーNo.1だったのです。
ファイナリストレッスンの時点でエントリーNo.も教えてくれるのはある意味親切だなと思いつつ。相当なインパクトを残さないと勝てないなー、という不安が最後まで残っていました。

ギリギリまでインプットを怠らない

そんな中、最終審査の直前に泡盛のイベントが開かれている情報を得ました。久茂地のタイムスビルで4/19(金)、4/20(土)に行われた「shimmer fes」。これは行くっきゃないな。金曜日に行きたかったものの、都合が合わず。前日の土曜日に行くことにしました。

3杯で帰るつもりだったのに、「明日泡盛の女王の最終審査に出るんです」と各酒造所のブースの方々に言って回ってたらチケット貰っちゃったりしてなんと5,6杯飲んでしまい、ベロベロで帰宅。若干の二日酔いで最終審査を迎えることになってしまいました。

今考えたらよく女王になれたなっていう前日の行動。笑

当日は美容室でヘアセット→コンビニで買った沖縄そばを食べ(二日酔いは麺類食べたら大抵治るタイプ)、会場であるノボテル那覇へ向かいました。

ヘアセットのオーダーも、衣装も那覇観光アンバサダーと同じにして、あえてあの日のトラウマを上書きしようと思いました。
あの日の自分のビジュは本当に最高だった自信があったので、嫌な記憶で終わらせたくなかった。

会場に到著したあとは緊張がMAXになり二日酔いはどこへやら。次は緊張のあまり気分が悪くなりました。笑
今まで緊張で食事が喉を通らない、ということはなかったんですがこの日は無理にお昼を食べたら気持ち悪くなる始末。

朝から立ち居振る舞いのレッスンを受講し、立ち位置などのリハーサルを行い、13時に選出大会スタート。
ファイナリストが全員入場して、開式の挨拶などがあり、ファイナリスト退場の後、すぐにエントリーNo.1のプレゼンテーションスタート。

息つく間もなく、本番。

正直いうと、ギリギリまでプレゼン内容の後半を覚えられてなかったんです。前半は練習した通りに話せる自信はありましたが、後半はもう自分の口が走るままに、それでも体感3分に収めようという感じで夢中で話していたのを覚えています。

選出大会の様子はYouTubeにUPされていたのでご覧いただければと思います。(昨年は選ばれた人のプレゼン載ってなかったのに、載ってるので驚いています)

正直な感想は、「那覇観光アンバサダーの時よりは自信がない」でした。
質疑応答も自分的には納得いく答えは言えなかったな・・・という感じで
控え室で 2番以降の方々のプレゼンが聞こえてくる度に、「あぁ、大丈夫かな・・・」という気持ちに苛まれていました。

ただ、「若い女性に泡盛をPRするために何が必要だと思いますか」という質問はなんとなく自分の中で答えを用意していて、その想いを伝えられた自信はあったのであとは天に身を任せよう、の精神でいました。

そして審査が終了し、いよいよ結果発表の時。

これまで何度もこの瞬間を迎え、そして自分の名前が呼ばれずに悲しい気持ちになり、でも笑顔で拍手をしないといけない瞬間を迎えていた私は何度もその瞬間がフラッシュバックしていました。
結果発表直前までその光景が脳裏にこびりついていました。

でもなんとなく、「今回は呼ばれる気がする」という気持ちもありました。

泡盛の女王の選出人数は3名。
今回は辞退者1名でファイナリスト9名の中から選出。確率で言えば1/3。
私のエントリーNo.は1番なので、一人目で呼ばれなければ終了フラグ。

本当に緊張しました。時が止まったような感覚でした。

そして呼ばれた数字は

「エントリーNo.1」

驚きと安堵と嬉しさと、沢山の感情が入り乱れ、涙となって発せられました。

これまで名前を呼ばれた瞬間に涙を流す人を目の前でたくさん見てきました。
自分が呼ばれたら本当に泣けてくるんだなぁ。
これ、現実なのかな。
そんなふわふわした感覚で前に進んだのを覚えています。

そこからは認定証の授与や副賞や花束の授与、選出者のスピーチ、マスコミの方のインタビューなど、あっという間に時が過ぎていきました。

16時に終わった選出大会の後、コスチュームの採寸も行い、18時半に解散しました。
朝の9時半から本当に長い1日でした。

選出大会から10日弱経ち、本当にたくさんの方々からお祝いの言葉をいただきました。
日が経つにつれて「選ばれたんだ」という実感が湧いてきて、これまでの苦労が報われた、そんな気持ちに包まれています。

「成功するまで諦めない者だけが成功する」

昔から言われている事に間違いはないんだなと実感しています。

正直、2月末の那覇観光アンバサダーに落選して、本当に心が折られてしまいました。観光大使の選出大会に出れば出るほど傷ついて終わるだけだ。

出なければこんな思いすることなかったのに。

なんて思う日もありました。でも、そこから立ち直って再び挑戦しようと思えたのは周りの応援してくれた方々の激励の言葉のおかげです。

諦めずに挑戦し続けたからこそ掴めた今回の結果。
もちろん私にとってここがゴールではありません。むしろようやくスタートラインに立てた気がします。
7月から始まる公務で一人でも多くの方に泡盛の魅力を伝え、私のように「お酒は好きだけど泡盛だけは避けている」方へ扉を開くきっかけを作りたい。
そして「お酒が大好きな喜友名ひとみ」の存在を一人でも多くの方に認知してもらい、その先に向かって進んでいけるよう、これからも努力しつづけます。

今回の結果は私ひとりで掴んだものではないと思っています。
応援してくれる方々へ最大限の感謝を込めて、一生懸命務めたいと思います。どうかこれからも見守ってていてください。

いつも応援に駆けつけてくれる母。この日は12:45開場だけど12:30には来てくれてたみたい。母の前でようやく結果を出すことができて本当に良かったです。

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