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海辺のほうへ

 生まれて初めて彼が海を見たのは、切り立った崖に沿って走る列車の窓からだった。もちろんその列車は時々トンネルをくぐることはあったとはいえ広い意味ではずっと海沿いを走っていて、木々の生い茂った葉の隙間や家々の向こうに海がちらりと覗くことはあっただろう。けれど彼は母に連れられて長い列車の旅だったので、疲れ切っていて、人でごった返した始発駅のプラットフォームで運よく母と並んでシートに座ることができてから、少しして眠ってしまい、窓から差した柔らかい日差しの中で目を覚ますと海を見晴らすことのできる崖の上だった。もちろん崖沿いに生えた木々の葉やぽつりぽつりと家も見えるけれど、印象としては視界いっぱいが藍色の海だった。吹く穏やかな風に小さな白波がいくつもたって、その上にある太陽の光にきらめいていた。それが本当にどこまでも続いているのだ。何ということだろう。それは幼い彼にとって初めての体験であった。いや、こんなことはこれからの何十年もの人生でも、けして味わうことなどないのではないか。びっくりした、うっとりした、何といえばいいのだろうか、とにかく突然目の前に飛び込んだ景色から目が離せなくなって、窓枠は額縁になって、絵画の中に吸い込まれてしまったみたいに、眺めている彼は彼を忘れて、世界もうっかり時間が流れるのを忘れてしまい、風景の中に溶け込んだ。彼の頭の中では漠然と、この風景は母もそのまた母もそのもっと先の何千年前の原始の時代の人々も、彼と同じようにこの海を見ているのだという想念が浮かんできたが、このことをはっきり意識するのはもっとずっと彼が大きくなってからのことだ。
どれくらいの時間眺めていたのだろう、列車がガタンと音を立てて軽くはねたとき、彼ははっとしてあたりを見渡し、彼が列車の中にいることを認めた。もうその時には人はまばらで、立っている人もいなかったし、それどころか席もがらがらで、彼と母のほかには十人ほどしか車両にはいなかった。母は彼の小さな手を握りしめて、目を伏せていたが、彼がその顔をのぞき込むとすぐに気が付いて弱々しく微笑んだ。その当時は母病気で弱っていたというわけではなかったはずで、実際その後母は八十九歳まで生きたのだ。ただその弱々しさは、浅い眠りから覚めたばかりの人のものだったと彼は思ったが、それは三月の光の暖かさによるまどろみのせいだった。いや、それが三月のことだったのかは確かではない。幼いころの記憶はひどく混濁していて、一つの記憶を呼び覚ますと同時に別の記憶までそれと混ぜ合わされて惹起されるものだ。だからこの列車旅が父のいる町に向けたものだったのか、それも本当かどうかはわからない。
 父は物心がついたときにはずっといなかった。彼には別にそのことが不思議でもなかったし、そのことで困ったこともなかった。父がその町で何をしているのかはよく知らない。けれど母がそれで勤めに出なければならなかったわけでもないし、数ヶ月に一回、いや何年かに一回だったか、こうして母に手を握られて父の町へと電車に乗って会いに行っていた。父の町は田舎で、彼らが住んでいたのは東京の郊外だったし、そこまでは電車で二、三時間でつく距離だったので、少し考えるとなんだか変だったが、とにかくそうだった。
 母は、その町に行くときにはいつも手を握ってくれた。それは人ごみのプラットフォームで離ればなれにならないためだった。あんな人の波の中で手を放してしまったら、きっともう二度と母には出会うことができない。そう感じて彼は母のか弱い手を強く握りしめて、少し汗ばむ。だけどもう列車にも乗って、安心しきって眠ってしまっても、母はその手を離さない。彼の幼くて、すべすべした手の甲をなでて、本当にきれいな手だと、もう若くはない自分の手のことを思った。彼が目を覚ましても、母は長い間ずっと彼の手を握っていて、顔を見上げると、弱々しくも優しく微笑んでくれる。こんな時彼は、母がぼくのことを愛しているということを、何度も何度も、しかしそのたびに驚きに満ちて実感する。そしてそのたおやかさが彼に、自分が母を守らねばならないということを感じさせた。
 
 その記憶は、その列車の断片だけで途切れている。その列車はそのまま父の住む町の無人駅のプラットフォームについたはずで、そうして彼と母は父に再会したはずだったが、それは覚えていない。というよりも思い出すことができない。彼の幼少期の記憶は驚くほどにはっきりとしないのだ。だのにどうして初めて海を見た列車での記憶が、彼の人生で何度も何度も反駁されるのだろうか。こうしたことはどれもありきたりではなかろうか。それがどうして彼をこんなにも縛り付けるに至ったのか。一人の人間の人生の出来事を、一本の数直線上に並べて鳥瞰し、ここの出来事がのちのこの出来事に繋がって、というふうに説明するのは一見すると合理的説明にも見えるかもしれないが、そんなことは実際にその人生を生きている彼を納得させはしない。
 けれども少し不思議に思われるかもしれないが、彼は運命を信じていた。「運命」とは何かと聞かれたとき、まず浮かぶのは二人の恋人たちがお互いに向けて「あなたと出会ったのは運命だ」というようなもので、まあ今どきそんな風にささやきあう恋人は陳腐な少女漫画でもあるまいし現実にはいないのかもしれないけれど、まず浮かぶのはそうした「運命」であり、それは大別すればキリスト教的な運命観だといえるのだろう。わたしたちは日頃、宗教とは無縁なような顔をして生きているし、ましてやキリスト教ともなると、一部の熱心な信者を除いては全く無関係だと思っているが、生活の端々にはクリスマスを祝うなどといった世俗化された事柄以上に、深いレベルでキリスト教的な要素が垣間見える。すでに世界創造の当時からあらゆること、自分に訪れる幸福も災難も神の采配のうちにあって、たとえ自分にとって困難な時に直面することがあったとしても、それは来るべき祝福の時に向けて必ず通過しなければならない、というのが一般的な認識におけるキリスト教の運命観なのかもしれないが、そうした運命観は先ほどの数直線上の時間の認識であり、彼のものとは違う。そういう意味では彼が運命を信じていたとして、すこしもおかしくはない。彼の運命観はもっとのっぴきならないものだ。ある困難なことに直面したとき、あるいはひとつの僥倖で、それは過去の罪や徳の帰結でも、将来の恵みや辛苦とは何のつながりもなく、ただその困難や幸福が逃れようもなく自分に迫ってくるというものだ。
 だからそうした運命観を彼のそれ以降の人生に深く刻み付けたであろう出来事はあまりに突然にやってきたのではあるが、そうした言い方をしてしまっては結局は俯瞰的に見られた時間論からは逃れられていない。だから、ただ、その時が来た。彼はその時中学二年生の秋で、何もすることのない夜、寝付く前に彼は彼の部屋のベッドのヘッドボードに背をもたれさせて、そのわきのランプだけをつけて本を読んでいた。退屈な本だったからか、もうすでに眠気にやられていたのか、行を追っても目が滑るばかりで、ちっとも文章の意味が頭に入ってこず、もう何十分も同じページの同じところを読んでいた。廊下を歩く足音が聞こえる。この家には自分と母しかいないのだからそれは母のもので、母もそろそろ眠るのだろうと思った。小学生のころまでは彼も夜九時ごろにはベッドの中で眠りについていたが、中学生になるとなぜだか急に眠る時間がどんどん遅くなり、下手をすると日付けが変わるくらいまで起きてることもあるようになり、母に軽く叱られることもしばしばだったが、母が眠りに行く足音が聞こえるまでベッドの中で本を読みながら待って、母が眠りについてから眠るのが習わしになっていた。そろそろ寝ようかと彼は思う。しかし、ドアをたたく音が正確に二回聞こえた後、ドアがゆっくりと開いて廊下の明かりが部屋の入り口だけを照らした。そこにいたのはもちろん母だったが、逆光になっていたからか、顔のところは陰になって真っ暗で、その表情は見えない。彼は一瞬、モローの絵の中のパルクのことを思った。その方をまぶしくみていた彼に、母は落ち着き払って、ゆっくりと彼に告げた。
「あなたは、これからは、父のもとで暮らさなくてはいけないの。けれど、母さんは一緒にはいけない。あなたは、一人で、行かなければならないの」
はっきりと、有無を言わさぬ響きであった。この何の前触れもなかった言葉に、一瞬狼狽えた、その母の言葉に返事をすることができず、それでも何か言おうと口を開いて、音が出で来ない。しかし意外にもすぐに彼は受け入れることができた。そのことが彼にも不思議だった。母は「おやすみ」と言ってドアを閉める。閉じたドアをしばらく見つめて小さく「おやすみなさい」とつぶやいてから、彼もランプを消して布団の中にもぐりこんだ。これはどうあっても避けることは出来ない。そう彼は直感的に感じた。これが思えば彼の避けようもない運命という観念が築かれ始めた最初の体験だったのかもしれない。
 次の日には彼は二、三日分の着替えの服と二、三の文庫本だけをトランクに詰めて父の町に行くことになった。他の荷物はや母が彼に買い与えたたくさんの本は、母が父の家まで送ってくれるという。母はいつも父の町に行くときに乗った駅まで彼を送ってくれた。彼が改札を通った後も母は人ごみの中の彼が見えなくなるまでずっと見ていた。彼は二、三度振り返ってみたが、母はずっと変わらずそこにいたのだ。これがはじめて父の町へと彼がひとりで行かなければならない時であった。その春も彼は母と連れ立って父の町に行ったばかりで、その時はさすがに彼と手をつないではいなかったが、列車の中で彼が目を覚ました時、母は彼の少しごつくなった手をそれまでと変わらず撫でていた。その時彼は、恥ずかしさなんて微塵もなく、やはり母からの愛を感じるのであった。しかし今彼はひとりで行かねばならない。ただこのことを彼に告げたとき、いったい母はどのような表情をしていたのだろうか。
 
 彼の乗る列車のプラットフォームは、思ったほど人は多くなかった。とはいえいざ列車に乗り込むと、座席に座ることは出来たもののの、入り口の付近やシートの前に人が並んで立たなければならないぐらいに車内は込み合っていた。それまでは彼は数駅もすればすぐに眠り込んでしまったが、今は母がいない。だから彼はトランクがとても不安だった。もしここで一人眠り込んでしまえば、だれかがこのトランクを奪い取ってしまうのではないか。これだけの人がいる車内ならだれかが窃盗を働けばすぐに気づかれてしまう気もするが、むしろこの人ごみの中の方が気づかれにくいのかもしれない。いやそもそも周りが気が付いたとして、わざわざ声を上げてそんな面倒ごとにかかずりあいたがるとは思えない。もちろん大したものは入ってはいないのだけれど、出発前に母が持たせてくれた一万円を隠しポケットの中に入れていた。一万円にしたって大した金額ではないが、子供からすれば欲しいものはたいていは買える金額であり、けして手放したくはない。それにそもそもトランクを盗もうとするものがあるとしたら、その人は中に何が入っているのかなどわかるはずもない。では一万円札だけトランクの中から取り出して、ポケットの中に入れておけばよいだろうか。そうすれば、少なくとも周りの者には、トランクには大したものが入っていないことを見せられるし、それに仮にトランクが奪われたとしても、一万円だけは無事だ。いやもし私と同じ年ほどの悪童がそれを見ていたら、わたしが眠っているうちにポケットからそれを抜き取るかもしれない。そう思うと彼は列車の中で眠ることができなかった。
 しばらくはトランクを膝の上で抱くようにしていたが、何駅かが過ぎて、車窓がずいぶん田舎めいてきたからか、列車の中はずいぶんとすいてきた。東京や周辺の都市で電車に乗ると、窓から見えるのは様々な建物ばかりで、ここそれぞれの色調はあるものの全体として灰色っぽく見えるが、今正面に座っているグレーと紺のスーツを着た五十代とそれより少し若く見える二人の男たちの肩越しの窓からは、線路沿いに茂生した木々の葉が見え、全体として明るく見えるが、その奥の街並みのさらに奥には、いまだ海は見えなかった。地図の上で見た線路は全体として海を通っているように見えたけれど、実際にその列車に乗ってみると、意外とそうでもないらしい。彼は膝に抱えているトランクを開けた。隠しポケットの中には一枚の写真が入っている。出発の前、母が彼に渡した写真で、そこにはスーツを着た父と着物姿な母、その間にワインレッドの布を張ったアンティーク調の椅子に座ってチョキを着て蝶ネクタイを締めた幼いころの彼が写っていた。父は長い髪を横に流しており、口は一文字に結ばれている。母はと言えば例のか弱げなほほえみを浮かべて、片方の手を彼の座る椅子の背の上にのせていた。彼はこの写真を撮ったころの記憶がない。しかしこれが彼の家にあった、父も含めた家族三人でとった唯一の写真だった。少なくとも彼が知っている唯一の写真だった。父は写真が嫌いなのかもしれない。だから父はこんなにも不機嫌そうな顔で、母の笑顔はこんなにも弱々しく写るのではないか。いや、ひょっとすると、彼の家庭は円満ではなかったのかもしれない。であれば、彼の家庭が今もばらばらに暮らしていることの説明がつく。そんなこととは知らずに、写真の中の彼は幸福そうに笑っていた。
 しだいに彼を眠気が襲った。先ほどと比べれば車内の人もまばらになっているし、わざわざ彼のトランクを奪いに来る者がいてもすぐに気が付くはずで、しいて起きていなければならないというわけではないものの、彼は何とか眠気にあらがおうとした。それで鞄の中の文庫本を開いて読み始めた。それは昨晩、ベッドの中で読んでいた、黒い牛の写真が表紙のものだ。母は本を読む人ではなかったが、私が欲しがる本には金を惜しまず何でも買ってくれた。それで彼も、興味がわいた本は何でもすぐに買ってもらったが、どうやらこの本は外れだったらしい。ちっとも目は冴えず、昨晩と同じように行を何度もなぞるばかりで、そのまま気が付くと眠りに落ちていた。

 目が覚めると、そこはもう目的地の駅の手前だった。驚くことにその時もう車内には彼のほかにはだれ一人としていなかった。長い長いトンネルを抜けると、窓の外にはあの海が広がっていた。あの記憶の中で見た初めての海とは、そうか、この海だったのだ。まだまどろんだ意識の中でも彼の目の前の景色は容易にあの甘美な記憶と確固として結びついた。吹き込む風と穏やかな白波、それが燦々と照る日の光に輝いた一面の海。思えばなんどもここにきているというのに、そのことには少しも気が付かなかったのは少し変だ。しかしそんなことはもはや問題ではない。駅で降りると、無人の改札を通過する。階段を下りたロータリーには、葉の多くを散らしてしまった、しかしどこか力強い感じのするゴツゴツした幹の桜が囲むように立ち並んでいて、何台かの止めっぱなしの自転車やバイクの隣に、白い車のわきに立った父がいた。父は彼を見ると再会のあいさつをするでもなく第一声、
「なんだ、何も持ってこなかったのか」
と言い、そういわれて初めて自分がトランクを列車の中に置き忘れてきてしまったことに気が付いた、さっきまでは奪われるんじゃないかとびくびくしながら大事に抱えていたというのに、いざなくなってみると、あんな大したものも入っていないトランクを誰かが盗むはずがないと思える。あの鞄の中で唯一大切なものはあの家族写真だけで、それだってほかの人からすれば紙切れ同然、何の価値もない。
「電車の中に忘れちゃったみたい」
「そうか。それなら、あとで鉄道会社に電話してみなさい。きっと届いているはずだ」
とだけ父は言って運転席に乗り、それで彼も助手席に座った。その車はずいぶん旧式のものらしく、オートマティック車でないばかりか、窓も自動開閉ではなく、ドアについたハンドルを回して開けるタイプだった。父の車は急な坂道を下ると、海沿いの大きな道路に出た。大きな道路とはいっても、余った土地があったから広く作れたというだけで、それほど交通量は多くない。彼は父の車でこの道を走るのは初めてではないが、いつもは母がいた。母がいるときは、母に従って彼も後部座席に座っていたが、今日は後ろに一人で座るのもなんだか変な気がしたし、そんなことを考えるまでもなく助手席に座ってしまったのだから、やはり後部座席よりも視界が開けていて、とても新鮮だ。あたりを見回していると、海の方に人だかりができていることに気が付いた。今は秋で、もちろん海水浴の季節ではない。そちらの方をじっと見ていると父は彼の方を向かずに、
「クジラが浜に上がったんだ、珍しいことじゃない。何年か一度こんなふうになるんだ」
といった。すると父は車を歩道に寄せて止めてから、「少し見てみよう」とその時はじめて彼の顔をじっと見ていった。父は写真と比べてやはり少し老けていて、目じりにしわが増えている。彼はうなずいた。
 海沿いの道路は海よりも少し高い位置を走っていて、おそらくは大波が来た時には堤防のような役割を果たすのだろう、その道路と海の間には黒々とした湿った砂浜が、かつてはもっと広がっていたのであろうが、海の水が嵩を増してしまったために、ほとんどの場所ではその堤防の真下まで水が来ていて、一定の周期で水は高まったり低まったりしていたが、砂浜はほんの一部だけ残っていて、道路の下をくぐってまちから注がれてきた水の流れが一筋あり、その周囲にはやや背の高い葦みたいな草が生えていた。その黒々とした砂浜には、海から流れ着いたであろう大きな白っぽい流木や、陽ざしに輝いて見えるグリーンの空き瓶や、踏みつぶされてぺちゃんこになった煙草の箱なんかが転がっていて汚らしかった。忘れられた砂浜といった風情だ、というと少しセンチメンタルすぎるだろうか。この黒々とした砂浜もいずれは水に浸食されて失われてしまう。だからこそ、新たに人工的にこの砂浜がつくられたのであろう。道路と同じ高さに二つの突堤が海の方に伸びていて、その間の海は半ばまあるく囲われるような形になっている。だからか波は穏やかだった。そこには自然のものとは思えないような真っ白な砂がどこかから運ばれてきて、美しい砂浜を形成している。浜の周りは一部海沿いの道路の舗道の延長みたいな形で敷石の広場や舗道になっていて、その傍らに湿った黒い砂浜がある右側の突堤は、突堤というよりは延長された遊歩道で、途中までは黒い欄干が付けられてあり、その先端だけはほかの場所より少し高くて厚い堤防になってあり、その周りにたくさんのテトラポットが配置されている。左側の突堤は純粋な突堤であり、セメントで固められていて、外側は少し高まっていて、内側の側面には等間隔に船をつなぎとめるための先が輪の形をした杭が打たれていて、そのうちの一つには小さな海釣り用のボート一艘がつなぎとめてある。左側の突堤には、その側面にテトラポットがないため、水の跡が打たれた杭の少し下のあたりで高まり低まりを周期的に繰り返していることが見て取れる。また浜の周りの別の一角は道路の歩道と白い浜を囲う舗道とに囲まれた形でやや広く芝生の広場になっている。全体としてきれいに刈り込まれているが、ところどころに黄色や白の小さな花が咲いていて、それは刈られずに残っていて、芝も花も一様に海から吹き込んだ来る風に揺れている。風が強くないためか、地形上の問題なのか、波は高くはない。秋口ならば、いや冬にだってサーフィンをする人がいるということをそれまで海のない都市に住んでいた彼はだんだん知るのだが、この海はサーファーたちの気に入るような海ではないらしい。ただ周期的にソーダ水の泡がはじけるような音が聞こえてきてとても心地よかった。太陽は南中にあり、そこから海を、あの幼いころに崖の上を走る列車から彼が見ていた時と同じように照らしていて、建てられた小さな白波が、きらきらと照って見えた。彼はこれが見たかったのだ。鯨なんて正直どうでもよかった。ただ父はオレンジ色のハザードランプをチカチカさせて止めてある車を降りると、海を呆然と、ある種の恍惚を持って眺めている彼をおいてさっさと人ごみのほうに歩いて行ってしまったから、彼もそれについていくほかなかった。
 クジラは砂浜の中ほどに転がっていて、人ごみは舗道と砂浜の境の少し短い草がまばらに生えているあたりから、クジラと一定の距離を保ちながら、囲うように集まっている。人々のなかには小さな子供と手をつないだ若い母親や、小学生くらいの子供が何人かいるものの、全体としては年寄りばかりで、母親に手を取られた子供などは海の方や真上の空を眺めたり落ち着かなかったが、全体として人々の視線は一点に向けて注がれていた。父はそのいちばん端についた。彼もその隣について一度父の顔を覗き込んだが、父の視線は一直線にクジラの方に向けられている。視線の先にはびっくりするくらい大きな黒々とした塊が横たわっていた。こんなにも大きな生き物がいるものなのか。さっき少し遠くから眺めたときにはそれほど大きくは見えなかったけれど、あらためて目前にみてみると、それは驚くべき大きさだ。クジラは背の方をこちらに向けて横たわっていた。かなり長い間ここに放置されていたのだろう、その表面は写真で見たことがあるようなてらてらしたものではなくて、水を吸ってから乾かされた本みたいにしなしなしていて、砂浜に面したあたりには白い砂がびっしりとくっついていた。ところどころ引っかかれて皮が削れてしまったような跡があるが、致命傷になるような傷は見当たらない。おそらくは生きたままであらがうことのできない波の流れに流されてここに打ち上げられたのだろう。しかしほんとうにそんなことがあるのか、だいたい波は小さな音を立てるだけで、こんな大きな塊を押し流すほどの力を持っているはずがないじゃないか。いや、それでもクジラはここに流れ着かねばならなかった。クジラの大きな黒々とした体にちょんとみえる、陽差しに照らされてうるんだように輝いている小さな目を見たとき、彼はクジラへの憐れみと共感を覚えた。彼自身、説明のつかない小さな力に押しながされて、ここにたどり着いたのだ。
 父とともに車に戻るとき、海沿いの道を二人の少女が歩いてくるのが見えた。彼女らは二人は彼とそれほど年も違わないように見える。背の高い方の少女は紺のワンピースを着ていて、そこからのびる手足はほっそりとしていた。少し背の低い方は白のシャツにベージュのガウチョパンツのいでたちで、もう一方の少女との対比のせいか、少しふっくらして見える。背の低い少女はワンピースの少女の顔をのぞき込んでにこにこしながら話しかけているが、ワンピースの少女は軽く微笑みを浮かべながら、まっすぐに道の先を見据えている。彼女らはちょうど三叉路で敷石の広場の方に曲ってこちらの方に向かってきた。このあたりに住んでいる子たちだろうか、もしかしたら彼女たちもあのクジラを見物しに来たのかもしれない、そうすれ違う時に彼は思った。海にいたのは年寄りばかりで、そこにいた子供たちも母親に連れられたほんとに小さな子たちだったから、この町にも自分と同じ年ごろの子供がいるという当たり前のことに少し驚いた。彼女らの服装もふるまい方も、それほど田舎めいては見えなかった。ここは彼が初めそう考えたほどは異郷ではないらしい。彼女らは、彼が今まで東京で暮らしてきたのと同じように、この町で生活を営んできたのだし、これからは彼も母と離れて、ここで生きていくのだ。そういいうことを、父の背中を見つめ、少女たちのつつましやかな笑い声を背中で聞きながら、あらためて現実のこととして意識した。
 
 父の家はそのまま海に沿った道を進んで五分ばかりのところにある、川沿いに建った小さな二階建ての一軒家だった。もともとあったボロ屋を買い取って改築したもので、前主の趣味なのか父がそうしたのか、外壁のわきにはアロエが植わっていて、セメントで固められた川沿いの小径と家の間にはフウセントウタや様々な小さな名前も知らぬ花々が植えられている。それに玄関の前にはいくつかサボテンの鉢が置いてあった。仮に前主がそうしたのであっても枯れていないのだからやはり父もちゃんと世話をし続けているということなのだろう。川は両端をがっちりと石壁で固められていて、細いが緩やかな傾斜で比較的早い流れで海に注いでいる。父は彼を二階の一番奥の、山側の部屋へと案内した。
「ここを好きに使っていいぞ」といって木製の引き戸を開くと、そこは床も壁も木でできた東南アジアを風の部屋であって、それよりなにより彼が長年使ってきた白く塗られたベッドもサイドテーブルとランプもすでにそこにあり、それどころか壁際の大きな本棚には彼の本がみんな収まっていて、部屋の感じと運び込まれた洋風な家具がミスマッチだった。父は目を丸くしている彼のそばを通って部屋の外に出るとき、一度振り返って、
「忘れないうちに鉄道会社に電話しておきなさい、電話はしたにあるから」といってそそくさと階段を下りていった。彼はもう一度部屋を見回した。そこには見慣れない家具もあった。部屋の隅には、黒く塗った木にパイプの足の机とオフィスチェアがある、おそらくはもともとはここが父の書斎だったのだろう、本棚もよく似ているものの自分のものとは少し違う。本棚の側面には姿見が張り付けて会って、彼はそこに少し疲れた彼の顔を覗いた。彼の服は押し入れの中にあったプラスチック製のチェストと部屋に備え付けられたクローゼットに収められていた。部屋にある二つの窓のうち、川の反対側の窓からは隣の家の壁で何も見えなかったが、もう片方の山側の窓からは家の裏手の川沿いのやや急な上り坂とそのわきの橙の木、その奥に川にかかった橋と川沿いに並んだ家並みが眺められた。彼はすぐにこの新しい部屋を気に入った。木の机の表面の木目や、運び込まれたお気に入りの本の背を指の腹で一通りなでて、満足すると彼は父に言われた通り階下に降りていく。
 
 こうして彼のこの町での生活が始まった。彼は姿見を見ながら、学生服のボタンを留めていった。机の上には登校用の手提げ鞄があり、その鞄も学生服も東京で彼が使っていたものだった。机のわきには取り戻したトランクが置いてある。トランクは数駅先の終点駅で保管されてあって、父に送ってもらって受け取りに行ったのだが、その中にはしわくちゃに詰め込まれた服と三冊の文庫本、隠しポケットの中には母が持たせてくれた一万円札が確かに入っていた。しかしながらなぜなのか、あの写真、若き日の母と父とまだ幼い彼が写った写真だけがなくなっていた。鞄の中身を全部取り出して探したり、あのとき読んでいた本の中に挟まっているのではないかと、あの黒い牛の本も含めた三冊の文庫本を全部パラパラと開いてみたりもしたが、見当たらなかった。駅員にもあらためて、写真の落し物はなかったかと確認したが、そんなものは届いていないという。あの写真はどこへ行ってしまったのか。そのことが気がかりだったが、ずっと悩んでいても写真は出て来やしない。彼は襟のピッシリとした黒の学生服に着替え終わり、鞄を持っているのと反対の手で学帽をとって家を出た。
 

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