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白木蓮を植える

ドラマ 『秘密の森』の二次創作 〈ヌングンナム荘〉の続編です。というより、後日談です。
魔女ハンヨジン・〈ヌングンナム荘〉・白木蓮を植える、全部まとめて、ドラマ『秘密の森』+アガサ=クリスティー著『ハロウィーン・パーティ』の二次創作です。

*参照
魔女ハンヨジン
〈ヌングンナム荘〉(1)
〈ヌングンナム荘〉(2)
〈ヌングンナム荘〉(3)
〈ヌングンナム荘〉(4)

*〈ヌングンナム荘〉より、抜粋


〈ヌングンナム荘〉を建てたのは、ホンスギョンの夫の伯母のイジュヒで、造園師を雇って妖精の庭園を造らせたのも、その人であった。

イジュヒは、外国で事業を経営して成功した人だった。心臓が弱っていると診断されて、6年前、韓国に戻ってきて、甥のイソクとその妻のホンスギョンの家に同居した。

イジュヒは、甥の夫婦と一緒に、〈ヌングンナム荘〉に引っ越した。最初は、二棟の切妻屋根を持つ3階建ての家だけだった。その後、二つの箱で出来たような家を建てて、造園師のチェサンウを雇って住まわせた。

10月31日午後9時40分頃、救急車が、〈ヌングンナム荘〉の車庫の前に停まった。

12歳の少女シニョンは救急車に乗せられた。一緒に乗った母親のパクセヒョンが、病院に着くまでの間に、救急救命士に話した。

9時少し前に、ハロウィーン=パーティが終わる頃を見計らって、シニョンを迎えに行った。

家の中のどこにもおらず、庭にもおらず、妖精の庭園まで探しに行って、池に顔を突っ込んで倒れているのが見つかった。すぐに引き揚げて、水を吐かせようとしたが、息を吹き返さなかった。

刑事たちは、シニョンが通っていた小学校に行き、担任の教師に会った。シニョンは、本を読んだり、絵を描いたりするのが好きだった。

あの妖精の庭園の植木の造形やセメント彫刻のような、想像上の動物や実在の動物が、巨大な植物の繁る森で、遊んだり、おしゃべりをしたり、あるいは、冒険したり、悪魔と戦ったり、していた。

なかに、一枚、変わった絵があった。深い穴の底に人が倒れている。昔のヨーロッパの人のような、裾の長い服を着た女の人である。眼を瞑って、片方の腕を横の地面に伸ばし、もう片方の腕を胸の上に載せている。胸の上の手はスズランの花を持っていた。穴の中だけが薄明るくて、ほかは、真っ暗である。まるで、墓のような絵だった。

その絵も、こどもの絵の展覧会に出品された。独特の雰囲気があるというので話題になったが、賞は貰えなかった。

11月の第2週に、スウォン地方検察庁のアニャン支庁のファンシモク検事を、医師のクォン氏が訪ねてきた。二人は、先週、シニョンの葬式で、会っていた。

クォン医師「キムウンミさんという、若い女性が、住み込みの家政婦をしていました。といっても、毎週、火曜日と金曜日とに家事代行業者が来て、家中の掃除をするので、キムウンミさんは、イジュヒさんのために、お茶を淹れたり、部屋を片づけたりしながら、話し相手になるのが、仕事でした。キムウンミさんは亡命者です。イジュヒさんは、おかあさんの故郷がキムウンミさんの故郷と同じなので、雇ったんです。懐かしい方言を聞きながら老後を過ごしたかったんですよ」

クォン医師「展覧会があったのは、2019年の5月でした。絵を描いたのは、それより前でしょう。その展覧会の世話役を、ホンスギョンさんがしていましたし、イジュヒさんも見に行ったと思います。イジュヒさんが見に行ったなら、キムウンミさんも同伴していたでしょう」

ソウルに初雪が降ったのは、11月10日だった。

翌週の水曜日の午後、国家警察情報部の捜査員たちが、〈ヌングンナム荘〉に到着し、封鎖した。

ハンヨジン「亡命者支援活動をしている弁護士のペクソックンは、既に、わたしたちの手で捕えてあります」

アニャン市警察の刑事が、ホンスギョンの腕を捕えた。「キムウンミさんがイジュヒさんから相続した財産の窃盗、および、キムウンミさん殺害の容疑で、ホンスギョンさんを逮捕します。ホンスギョンさんの発言は、裁判で不利になる可能性があります。証言を拒否する権利と、弁護士を呼ぶ権利があります」

ホンスギョンが、手錠をかけられながら、チェサンウの方に身を乗り出して言った。「この人が、キムウンミの首を折ったんです。わたしにはできません」

チェサンウ「わたしが見ていました。ホンスギョンさんがスマホで、手伝ってくれと呼び出したので、妖精の庭園に行きました。わたしが池に着いた時、ホンスギョンさんは、シニョンさんの頭を池に押し込んでいました。わたしが手を出すまでもなく、シニョンさんが動かなくなりました」



白木蓮を植える

2021年11月第3水曜日に〈ヌングンナム荘〉と妖精の庭園で警察に逮捕されたホンスギョンとチェサンウの裁判が、12月第5水曜日におこなわれた。

ホンスギョンは、チェサンウがキムウンミを殺害するのを目撃したと証言したが、シニョンの殺害については、黙秘していた。

チェサンウは、ホンスギョンがシニョンを殺害するのを目撃したと証言したが、キムウンミの殺害については、黙秘していた。

妖精の庭園で発見された白骨死体は、科学警察研究所で、若い女性の遺体であると判定された。ペクソックンが、白骨とともに掘り出された衣服の残骸とブレスレットとを、キムウンミの物だと認めたが、キムウンミのDNAを採取できる資料は、ペクソックンの家にも〈ヌングンナム荘〉にも残っていなかった。遺体の頭蓋骨をもとに生前の顔が復元された。その顔を見て、ペクソックンは、キムウンミに間違いないと証言した。もう一人、生前のキムウンミを知る、クォン医師も、彼女だと認めた。彼らの証言と、キムウンミの住民登録証の写真とによって、キムウンミであることが確定した。

国家警察情報部のハンヨジン警部補と、スウォン地方検察庁アニャン支庁ファンシモク検事とは、アニャン市警察の捜査に加わったが、取調べには、加わらなかった。

検察の、ホンスギョンとチェサンウの取調べは、スウォン地方検察庁の本庁の検事が担当した。その結果、ホンスギョンによるイソク殺害の容疑は証拠不十分、不起訴とされた。ホンスギョンがスズランの毒を飲み物に混入させるのを目撃した人はおらず、イソクは火葬にされており、死因を再調査することができなかったからである。

ホンスギョンの両親は今も健在で、スギョンの妹夫婦と一緒に暮らしていた。ホンスギョンはキムウンミから奪った財産を返さなければならなかったが、そのあとに残る彼女自身の財産の管理を、妹が引き受けた。また、ホンスギョンのために、妹が弁護士を雇った。

イジュヒの相続人であるキムウンミが既に亡くなっていることがわかったので、〈ヌングンナム荘〉と妖精の庭園を含む財産の所有権が、宙に浮いてしまった。

しかし、ハンヨジン警部補が、キムウンミの銀行口座を調査したときに、彼女の代理人をしている法律事務所を見つけていた。

キムウンミは、イジュヒから外国の銀行に預けてある資産を譲渡された時に、ペクソックンの勤め先とは別の法律事務所で遺言書を作っていた。遺産の半分を亡命者の支援団体に寄付し、もう半分をペクソックンに渡す、というものだった。キムウンミは、その法律事務所の弁護士を、銀行の手続きの代理人に指定していたのであった。

ペクソックンは、キムウンミの遺体を引き取って、お葬式をした。キムウンミの葬式に、クォン医師も、ハンヨジンとファンシモクも、参列した。

ペクソックンはプロテスタントの教会に通っていた。イジュヒとそこで出会い、キムウンミを引き合わせたのだった。

一方、ハンヨジンとファンシモクとが、1年に、1回か、2回か、3回あれば、いい方だが、通っている教会は、カトリックだった。

アニャン市のカトリックの聖マリア教会の、当代の神父は、ホンスギョンとイソクの結婚式、ホンスギョンの妹の結婚式、パクセヒョンの結婚式、シニョンの洗礼、パクセヒョンの夫の葬式、イソクの母の葬式、イソクの父の葬式、ファンシモクとハンヨジンの結婚式、イソクの葬式、そして、シニョンの葬式を、執り行ってきたのだった。

ファンシモクはハンヨジンと結婚してからの信者で、ふたりとも、クリスマスやイースターのときぐらいしか、教会に行かない。だから、ファンシモクは、ホンスギョンとイソクの顔は知っていても、話をしたことはなかった。

ハンヨジンは、子供の時から、親に連れられて、聖マリア教会に通っていた。だから、ホンスギョンとイソクに挨拶をしたことぐらいはあった。シニョンの母のパクセヒョンとは、特に親しいというほどではないが、年が近いので、お互い、子供の時から、知っていた。

一度、ハンヨジンとパクセヒョンとが、軽く挨拶を交わし、ファンシモクも挨拶したことがあった。そのとき、シニョンは、他の子供としゃべっていて、母親のそばにいなかった。だから、ハンヨジンは、シニョンを小さい時から見て、知っていたが、ファンシモクは、シニョンに会ったかどうかさえ、覚えていなかったのだった。

聖マリア教会では、11月の初めにシニョンの葬式をしたところだったが、12月の初めに、改めて、キムウンミとシニョンのためのミサをした。ファンシモクとハンヨジンも含め、ほとんどの信者が参列した。また、ペクソックンとクォン医師も参列した。ホンスギョンの両親と妹夫婦は参列しなかった。

〈ヌングンナム荘〉と妖精の庭園は、11月第3水曜日以来、警察によって封鎖されていた。12月には、それらはペクソックンの所有財産となっていた。

妖精の庭園は、キムウンミの遺体発掘のときに破壊された、四阿も池も、修復されていない。寒い季節だから、雑草が生い茂ることはない。しかし、誰も世話をしなくなった庭は、次の春には、夏には、秋には、もう、以前と同じ美しい庭では、なくなっている。

チェサンウが造った妖精の庭園を、チェサンウ自身のように管理できる造園業者を見つけるのは、むずかしかった。ペクソックンは、現在の妖精の庭園の動画をyoutubeに公開し、任せられる業者を募った。何人かの候補者が現れた。彼・彼女らを、妖精の庭園に来させて、見積りをさせた。一件の業者だけでは無理かもしれなかった。だが、ついに、信用できる造園師が見つかった。

ペクソックンは、その造園師に、四阿と池のあった場所に3本の樹を植えたいと話した。イジュヒ・キムウンミ・シニョンのための木であった。いろいろと話し合って、白木蓮を植えることに決まった。

その翌日、ホンスギョンとチェサンウの裁判に、ペクソックンは証人として出廷した。クォン医師とハンヨジン警部補とファンシモク検事も、証人として出廷した。

ハンヨジン警部補が、キムウンミの遺体を発見するに至った過程を、次のように証言した。

「シニョンさんに、枯れた泉に行く道を教えてくれた、おばあさんには、わたしも、こどものとき、同じ道を教えてもらったことがありました。枯れた泉は、窪地のまんなかに、浅い穴が残っているだけでした。わたしがその浅い穴に入って座ると、わたしの姿は、穴の中に、すっかり、隠されてしまいました。しばらくして、もうひとり、女の子がやってきて、穴の縁まで来て、わたしを見つけて、びっくりしました。その子が、シニョンさんのおかあさんの、パクセヒョンさんだったんです。セヒョンさんも、穴の中に入りました。わたしたちふたりで、穴の中は、いっぱいになりました。

その経験から、シニョンさんの他にも、森の中を通って妖精の庭園に行った子供がいるのではないか、と考えました。わたしは、枯れた泉の話をしてくれたおばあさんに、会いに行きました。わたしが子供だった時でさえ、既に孫のいた方です。今では、曾孫がいらっしゃいます。会って、最初は、わたしがわからなかったようですが、話しているうちに、思い出してくれました。シニョンさんの他にも森の中を通って妖精の庭園に行った子供がいるんではありませんか、ときいてみると、いる、と教えてくださいました。その子に、警察のおばさんが訪ねて行ったりしたら、こわがるだろうから、一緒に会ってあげよう、と言ってくださいました。その子は、シニョンさんよりも年下の男の子です。その少年は、実は、とても、気に病んでいることがあったと、打ち明けてくれました。自分は、ある日、学校に行くのが嫌で、さぼって、妖精の庭園に行った。その日、彼は、庭園の壁のそばの木に登って、中を見たんです。彼が言うには、植木屋のおじさんが、枯れた泉のあったところの穴を、シャベルで土をすくっては、埋めていた。そばに、おばさんが立っていた。おばさんが、こっちを見た。とても、こわい顔だった。こわくてたまらなくなって、逃げ出した。そのことを、シニョンさんに話した。少年自身は、あれから、こわくて、妖精の庭園に行かなかったけど、シニョンさんは、ハロウィーン=パーティに行って、あの枯れた泉を埋めて作った池に行って、死んでしまった。きっと、僕が、おじさんとおばさんが枯れた泉のあとにできた穴を埋めていた、って言ったからだ、学校をさぼったことを誰にも言えなくて、自分と同じこどもで、妖精の庭園に行ったことのある、シニョンさんだけに言った、そのせいで、シニョンさんが死んでしまったんだ、と。

わたしは、考えました。子供だった時の、わたしとパクセヒョンさん、小学生二人が入ると、いっぱいになるほどの、浅い穴を、わざわざ、埋めていたのは、どういうことか。少年の話では、かなり、たくさんの土で埋めるのを、眺めていたそうです。そんなにたくさんの土で埋めるということは、その前に、それだけ、深い穴を掘った、ということだろう。もちろん、庭園の別の場所と土を入れ替えたとか、いくらでも、理由は見つかることでしょう。でも、少年が、穴を埋めているのを見たのは、キムウンミさんが行方不明になったのと、同じ頃なのです。二つのできごとを関連づけ、わたしは、発掘調査をする必要があると、判断しました」

判決は、翌年に持ち越された。

2022年1月、第2回公判が開かれた。審理の結果、ホンスギョンのシニョン殺害容疑は有罪とされた。チェサンウのキムウンミ殺害容疑も有罪とされた。

ホンスギョンもチェサンウも上告せず、結審した。

ペクソックンと造園師とは、妖精の庭園に、3本の白木蓮を植えた。かつて、枯れた泉の跡に造られた八角形の浅い池と、白い四阿と、その二つの間の細い水路が、あったところとに。

植樹には、シニョンの母のパクセヒョンも立ち会った。

その後、ペクソックンは、〈ヌングンナム荘〉と妖精の庭園を含む、キムウンミからの相続財産を、市に寄付した。聖マリア教会でも、信者達から寄付を集めた。それらを合わせて、公園を運営する基金が創られた。そのなかから、造園師への給料も支払われるのだった。

〈ヌングンナム荘〉は、カフェ兼レストラン兼ペンションになり、こちら側からも、妖精の庭園に入って行けるようになった。

公園のなまえは、<ヌングンナム公園>とされた。

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