沼田天音 一人芝居企画「さがしもの」


自分の足で劇場へ向かうと、芝居は生モノだと改めて思い知る

 というわけで劇場まで足を運んで、久しぶりに観劇ということをしてきました。

基本的に昨今の事情だったり自分の体の問題もあって、中々お外に出られなくなって時間が経過してましたが、今回はこちらの千秋楽にお邪魔させていただきました。

【フルーツ★マジック】

 その昔、魔法使いの国、エクレール王国に魔女見習いの双子が暮らしていた。ポンコツの妹ミカンと、優等生の姉レモン。独り立ち前の最終試験が迫る中、二人は揃って魔法を禁じられてしまう。処分取り消しの条件は「二人で課題に合格する事」。外身はそっくり、中身はあべこべの姉妹は力を合わせる事にする……(引用)

というあらすじ。
 所謂【魔法】という幻想的要素を取り入れ、あべこべ魔法使い姉妹が課題に合格するための奮闘するのだが…、といった内容。
あらすじにもあるように、見た目は全く一緒なのに中身がまるで違う二人がそれぞれの視点での出来事や心中や奮闘を、天音さんが大好きな「かわいい」という要素を詰め込んで演じていらっしゃる印象でした。

ミカンとレモンを例えるならば、二人が言ってた属性の話。
『天と地』
自分が候補に挙げてみるなら
『絵と文字』
『掛け算と足し算』
『光と影』
『JUDY AND MARY』
…余談ですがこちらの舞台が始まる前のBGMで、JUDY AND MARYの「Hello! Orange Sunshine」が流れまして、JUDY AND MARYに10代の頃何かに惹かれていた自分を思い出し、椅子から転げ落ちるかと本気で思いました。
JUDY AND MARYのJUDYは、明るい女の子のイメージで
JUDY AND MARYのMARYは、ネガティブな女の子のイメージというバンドの由来はこの双子の魔法使いにもぴったりだったんじゃないかと思います。
喧嘩ばっかりだった双子が力を合わせて協力することを、奮闘と葛藤と大喧嘩の中で身に着けていく、という夢見心地な気分を味わえながらも、どこか等身大で現実的な要素も混ざったお話だったなぁと。

またあべこべの双子という全く違う二人を一人で明瞭に演じ分けされていたのは、さすがだなと思わせていただきました。

終演後、観客席からは「かわいかった」「かわいかった」という声がとても上がっておりました。

俺もそう思った←

しかしその「かわいい」という要素を自分が纏えるか?と聞かれたら大きく首を横に振るのです。
「あれは、自分が身に纏えるものじゃない あれは、自分のものじゃない」
という何とも言い難いほろ苦い気持ちを感じた幼少期を思い出させてくれました。(決して嫌味などではなく、これ違うな 俺じゃないな という違和感が働く)

でも「かわいい」を見ることはとても好きです。
なんせウチのおネコ様が「かわいい」ですからね。←突っ込みどころ

舞台装置の変更から次の作品に自然につながる流れは、面白い演出だなと感じました。真似しよ。(何を)

【月にはもう誓わない】

四畳半の1K、役者の磯村憲吾は台本片手に苦闘する。傷付けると分かっていて、好意を伝えるものか?堂々巡りの役作りの中、昔書き切れなかったラブレターの事を思い出す。磯村は続きを書き始める。演技の邪魔をする、過去の恋を終わらせる為に。月明りに照らされて、小道具の鮫が優しく見守る……(引用)

 レジ袋を被って何か大声で言っている、少々「え?ええ?!」という戸惑いを自分が感じてしまったところから始まりました。(割と本気でええ?!ってなったけど、そうよね、練習よね)
部屋の鮫(のぬい)に、いろいろぶつぶつ言いながらも、思考回路のドツボに…。

そんな時に電気代は払ったはずなのに、突如部屋の電気が落ちてパニックになる磯村。
こんなに部屋が暗いと逆に月の光がまぶしく感じる。「何ムーンだっけ…なんでもかんでも名前つけりゃいいってもんじゃない」とぼやく磯村。
でも人間ってそういうとこあるからね、仕方ないね。
スマホのライトで部屋を照らしながら見つけた、昔書ききれなかったラブレターを見つけて、続きを書き始める。

しかしまぁ「すき」という想いを、どういったものであれ「形」にするのは、結構な難易度だとしみじみ思うのです。
こうして感想を徒然書いてる自分が言うのもあれですが、自分にも「おい、それいつまで続き書かないんだ?」ってやつありますね。

(鏡の仮面はブラフにての感想とか…)
書き上げた恋文を仰々しく叫び始める磯村。
鮫とのやりとりは孤独のはずなのに、どこかコミカルで。
電気が復旧すると、それまで役の中に入ろうとしていた磯村は、現実に引き戻される。
そのタイミングで想い人から、電話。
通話でやり取りをしながら、背を向けているのにどんなやり取りなのか、ありありと浮かばせてくれました。

台本とブロマイドを、開演前に買ったやつがいるってよ

俺だよ。

台本とブロマイド


「すき」のジレンマ

 「若気の至り」ではありませぬが、若い頃出会ったものに対して
「自分にはこれしかない!!」とダイブしていく現象は、多かれ少なかれ心当たりある人間はいるんじゃないでしょうか。

かく言う自分にもあるんですけどね、それしか見えなくて盲目になってた時期というか…若さって振り向かないことさ…振り向いた俺はもう若くないのさ。
 「すき」を続けていくということは、とても簡単ではないということ。
何故ならそれに合わせて「生きる」ということが付きまとうと、どうしても苦しくなることや不安を感じる。
 「すき」が「ステータス」に切り替わる瞬間、人間はそれを嫌というほど思い知らされる時があったりする。
「固執」や「執着」とまではいかなくても、義務めいた何かが心を蝕んでいくのかなと、思ったり思わなかったり。
 「役者」をしばらくお休み宣言された天音さんですが、今回「演じる」ということに焦点を置かれた天音さん。

ーさがしものは何ですか?見つけにくいものですか?ー
今回の舞台という「旅」を通して、天音さんの「すき」が見つかったことを、また別の新しい「すき」が発見できたのではないかと願うばかりです。(上から目線)

完全に隙あらば自語りという雑談(スルー可)

自分が天音さんと出会ったのは、自分が大ファンでもある動画投稿者「ゆっくり文庫さん」の投稿された「小泉八雲」の動画を主軸にした、旋風計画さんの舞台「ゆっくり小泉八雲~プレザントドリーム~」にて、天音さんがジョバンニを演じていらっしゃったことがきっかけでした。

もう3年前っすか、マジっすか

 ここから本当にいろいろなつながりが、それこそ今回の劇の内容を借りるなら「流れ星が天と地を繋ぐ」ではないですけど。
本当に様々な繋がりが星の如く出来上がっていったなぁと思います。
それがこうして彼が過去に演じていた銀河鉄道の夜に出てくるジョバンニが改めて繋がりを「流れ星」としたミカンを演じて下さったことに、何かを感じてしまう自分がいたりしました。

そんなきっかけにもなった「ゆっくり文庫さん」何ともうすぐ動画投稿10周年だそうで。

マジ、震えてきやがった…。

そういえば会場へ向かう途中のバスの中で、いろんな鮫のシルエットが描かれたTシャツの少年を見て「しょ、少年!!それはどこで買ったんだ?!」って心の中で叫びました。

そして、会場を確認してた時に偶然出くわした小田島さんに声をかけ、逆に驚かせてしまいました。誠に申し訳ございませんでした。
受付の千畝さんや、写真撮影された小雪さん、そして本作の台本を担当され今回照明も担当された奥田さんともお話できて(お前が一方的に話してたという自戒を込めつつ)、とても楽しいお時間をいただきました。
ごちそうさまでした!!(←)

改めまして、本舞台を上演してくださった沼田天音さん、並びに様々なところで携わった皆様、お疲れ様でした!!

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