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断髪小説 彼の願い

「行こう!」

アキラがうれしそうに声をかけてきた。
私たちがこれから向かう場所は市民センターの会議室。
アキラが所属しているフットサルチームの名前で夜間の使用申し込みをした。
費用は3,500円也。
マンションから歩いて10分もかからないくらいの距離で、駅の方向とは逆に歩いた街から少し外れた公園の先にある。

料金はすでに振り込んでいるから、職員からカギを受け取ってそのまま部屋まで行けばよい。
ここの会議室はしっかりしたフローリングの広い部屋で、壁のドアをスライドさせれば大きな鏡が現れてエアロビとかもできる。
この学校の教室くらい大きな部屋を今から2人きりで使う。

2人きりでやることとは…私の「散髪」だ。

正直いうと不本意である。
だけどこれまで私のわがままをずっと聞き続けたアキラのたった一つの望みとして聞き入れることになってしまった。
アキラはエリート会社員で実家は資産家。私はいわゆる玉の輿だ。

学生時代に知り合ってはいたが、実際には社会に出てから付き合い始めた。
アキラは誕生日のプレゼントも婚約指輪も私がほしいと言ったものをすべて与えてくれた。結婚式も新婚旅行も私の希望どおりにしてくれた。二人の新居も新車の購入も、そして転職をすることも許してくれた。

なんてやさしい人だろう。

だけど、ここまで言うことを聞いてくれて、私は何もアキラが願うことを一度も叶えたことはなかった。
別にこれまで何もしてこなかったことはない。
私だってアキラのために自分のお金でプレゼントをしたこともあるし、料理も頑張って作ってきた。
アキラが私に飽きないようにスタイルやヘアメイクにも気を使ってきた。

だけどアキラの会心の笑顔を見たことがない。何か釣り合っていない気がずっとしている。いつも私ばかり幸せでなんか申し訳ない。
そういえば彼が私に本当にしてほしいことってなんなんだろう?ちゃんと聞いたことがない。

結婚してから最初のアキラの誕生日が近づいてきた。
私はベッドの中で彼の胸にすがりながら
「ねえ。アキラくん。私あなたがしてほしいことやほしいものがあったらなんでも叶えてあげたいの。ねえ何かあるかなぁ」
アキラは「うーーん」と考えている。
「やってほしいことというか、サヤカにやってみたいことはあるんだけど…まぁ…いいや…」

「何?私にやってみたいことって」

「いや。これってとんでもないことだし、言っても絶対にダメって言うし、たぶん引くだろうから…」
アキラはそう言って私にしていた腕枕を外して背中を向けた。

「えっなんでそんなこと言うの?アキラのためならなんでも願いを叶えてあげたいの。絶対に引かないから言ってよ。夫婦でしょ?」私はアキラの背中越しに耳元で囁く。

「うん…」

しばしの沈黙
アキラはこちらを向き直して私の頭を触りながら

「あのね。サヤカ。オレね。髪を切りたい」
「えっ?私の髪を?」
「うん。君の髪を切ってみたい…」

正直驚いた。髪を切りたいだなんて。
「ね…引いたでしょ。ゴメン。聞かなかったことにして」
アキラはそう言って布団を被った。
だけど、彼がずっと言ってくれなかったことを思い切っていってくれたことが嬉しかった。だから彼の願いを聞き入れてもいいと思った。

「わかった。いいよ。私の髪、今度切らせてあげるね」
そう言ってアキラに抱きついた。

アキラは「本当?うれしいな。絶対だよ」と言いながら私の頭に抱きついて、鼻を埋めた。彼は私の髪に鼻を埋めるのが大好きだ。匂いを嗅ぐと落ち着くらしい。
散髪の日はアキラの誕生日が近い土曜日の夜にしようと決めた。

それからアキラは私に見せてくれなかったけど、その日のためにネットで道具を買い揃えていた。家には何回かに分けて商品が届いた。
アキラは仕事から帰ると、こっそり箱を開けて散髪の準備をしていた。
何が届いたかは教えてくれなかった。


ガチャガチャとカギを回して会議室の中に入る。
ついに髪が切られちゃう。髪が短くなったら一体どんな姿になるのか。
ずっとロングヘアをキープしてきたから似合うかどうか想像もつかない。
一体これからどんな髪型にされるんだろうか。正直不安だ。
希望的な展望は描けない。
絶対に短くされるだろう。
よくてもショートボブ。最悪なら超ベリーショート。
マンガみたいな刈り上げおかっぱにされるかもしれない。
もう少ししたら仕事をしようと思っているけど、面接とかに差し支えない髪型ならいいかな。アキラもそれくらいはわかってるはずだ。
とりあえず失敗されても大丈夫なように、深めに被れるニットの帽子を持ってきた。

アキラは青色の大きな荷物バックを床に置いて、壁の扉を開いて大きな鏡を出し、ブルーシートを床に敷いて、パイプ椅子を1つその上に置いた。
そして、長机を1脚出してきてそこに散髪の道具を置いていく。
種類は多くない。

私が愛用しているヘアブラシ。タオル。カットクロス。バリカン。以上

えっ?ハサミは?セニングハサミは?タッガールは?何もないの?ウソでしょ?

今回の散髪は私が考えていた最悪・最短を超えているようだ。
アキラはもう一つバッグから何やら黒いものを取り出して机の上に置いた。
ビニール袋に入ったウィッグだ。

きっとこれを被って帰れというんだろう。ああ私丸坊主にされてしまう…。

「準備できたよ。座って」
アキラは私を椅子に座るように声をかけてきた。
「う,うん」
これからどうなるかわかっているのに、すごくイヤなのに抗議もすることなく従ってしまう私。
椅子に座るとアキラは後ろで束ねていた髪を持ち上げながら、首にタオルを巻きつけた。さらにその上から真新しい白いカットクロスに袖を通されて、マジックテープで首に固定される。
「大丈夫?きつくない?」
アキラはうれしそうに私に尋ねてくる。

束ねていた髪がほどかれて、ヘアブラシが手渡された。
私は言われなくても髪との最後のお別れだと思い、丁寧にブラッシングをしていく。
髪の生え方に逆らわず、6−4くらいで分けている髪。会議室の照明が当たると綺麗に反射するほど手入れをしてきたツヤツヤの髪。
大きめの耳の先が長い髪から少しだけ覗くいつもの姿。
ブラウン系に染めているロングヘアは座るとおへそのあたりに届いている。
後ろから髪を持ってきて毛先まで丁寧に解いていく。

「その姿、記念に写真を撮っておこうよ」
アキラの提案に私は椅子から立ち上がり、カットクロスを着たまま、後ろと前からスマホで写真を撮ってもらった。
背中からとった写真は白いカットクロスの上に髪が長い布のように腰まで美しく垂れている。

座り直すと耳あたりより前の髪を肩より前に持ってきて、髪をもう一度整えてアキラにヘアブラシを渡した。

アキラが私の後ろに立ち、頭を両手で撫でながら分け目から見える地肌に鼻をくっつける。
そして顔を上げると、両手で額から頭の真ん中にかけての髪を根本から持ち上げて左手で握りしめた。おでこが全開になり、頭の上から髪が垂れ下がる。
右手を伸ばして机の上にあったバリカンを手に取り、カチッとスイッチが入る。

ブーーーーン

モーターの音が頭の上でした。
鏡を見ると私の額にバリカンが入り込もうとしている。

「いくよ」
モーター音に混じるように、その言葉が終わるか否かのタイミングで

ガリガリガリ…ガリガリガリガリ…

ものすごい音が頭の上でした。
大きな鏡に映る私の頭。
額の上にくっついていたはずの髪が頭から離れて、白い頭皮が見えている。

(あああああ)

ショックで言葉が出ない。
アキラは握った髪の束を全て刈り落とすために、そこから何度も何度も額にバリカンを差し込むように入れていく。

額のあたりだけでなく、頭頂部の手前あたりまで髪が離れていき、白く丸くカーブをした頭の形が見え隠れしてくる。

ガリガリガリガリ…ガリガリガリ…
徐々に髪は切り離されていき、ついにアキラが握っている髪が全て切り離された。
80センチ以上はあると思う、私の自慢だった髪がアキラの手中に収まり、それが机の上に置かれた。
そして、残ったトラガリ状態の頭の上をアキラは丁寧に刈っていく。

ガガガガガ…ガガガガガ…

数ミリ程度の短い毛が刈られて、私の頭の上に残された髪は1ミリもなくなった。
アキラは一度バリカンを置き、頭頂部だけが刈られた惨めな状態の私をスマホで撮影する。

「いや。恥ずかしいよ」制止しようとするけど、彼はいうことを聞かない。

断髪の作業が再開される。
今度は右側のもみあげからこめかみにかけての髪が握られて、その下からバリカンが入る。
ガリガリガリガリガリ…ガリガリガリ…
再びすごい音を立ててバリカンは私の髪を頭から剥がす。
刈られた髪の根本はダラリと下を向いて、あっという間に生命感を失う。
右の耳の周りから額、頭頂部まで髪がなくなった。
さっきまでツヤツヤ光っていた髪がなくなった代わりに、少々脂性の私の頭皮はテラテラと照明を反射させている。
アキラは刈り落とした髪の根本を整えてから、机に並べ、また私の写真を撮ってから耳より後ろの髪を刈っていく。

ガリガリガリガリ…ガリガリガリガリ…

後ろ頭の髪は何回もかけて刈られた。
耳の後ろや首筋の感じやすいところにバリカンが当たり、頭に沿って上ってくる感触。見えないところから響くガリガリという音。今私の髪はどうなっちゃってるの?
ゾクゾクして興奮してくる。

いい。このめちゃくちゃにされている状態が変なんだけどすごくいい…。

髪を喪失しながら、私は何か新しいものに目覚めている。
体中が…熱くなっちゃう…。

カチッ
バリカンのスイッチが切られて、刈られた後頭部の地肌をアキラが撫でた。
「いやん」
もう変な声が出るほど感じてる。

後ろの髪がどんどん刈り落とされて、根本が揃えられて机の上に置かれている。
さっきまで自分の頭にくっついていたはずのものなのに、自分のものとは思えないほどの不気味さが漂っている。
最後に残った左側の髪が頭から離れて、私はついにテカテカ光る0.5ミリの丸坊主になってしまった。

お尻のあたりがムズムズしてたまらない。早く立ち上がろうと思ったけど、アキラは「もう少し待って」と言い、もう一度頭全体をバリカンで刈り始めた。
ジリジリジリジリ…ザザザザ…ジジジ…
もうこれ以上刈ってもケープには髪が落ちてこない。
最後に額や耳の周り、うなじのあたりにバリカンが当てられて、私の断髪は終わった。

白いケープに身を包んだ坊主頭の私はてるてる坊主みたいだ。
ケープが外され、タオルが取られると私は真っ先に立ち上がって、両手で頭全体を撫で回した。
感じたことのないペタペタ感とゾリゾリ感に興奮がおさまらない。


「ねえ。アキラ。私キレイ?」私はアキラの方を向いて抱きついた。
アキラは片手で私の体を抱きしめながら、片手で私の頭を撫でて「ありがとう。キレイ。とってもキレイだよ」と言ってくれた。
でもここは公共施設。これ以上愛を確かめ合うことはできない。
机の上に並べた髪を太いひとつの束にして、それから掃除道具を借りて細かい髪は掃き集め私たちは会議室を後にした。

アキラが刈り上げた坊主頭。
ここで何をしたかがバレないように、市民センターを出るまではニットの帽子を被って頭を隠していたけど、外に出た瞬間帽子を脱いだ。
晩秋の夜の冷たい外気が一気に頭全体に当たる。

「あー。涼しくて気持ちがいいー」

髪がないってこんなに気持ちが良かったのか。
耳や首にゴワゴワと髪が当たる感触はなく、とにかく頭が軽い。

「この頭私気に入ったかも」
人目を憚らず、坊主頭を隠さずに歩く私にアキラは
「じゃあ、またあそこ予約して髪切ろうか?」と肩を抱きながら囁いてきた。

半年がたった。
あれから例の市民センターに私たちは一度も行っていない。
なぜなら行く必要がなかったからだ。
あの夜、家に帰って私はバスルームでアキラに頭をツルツルに剃り上げてもらい、その夜は何度も絶頂に達した。

それからというもの私は髪を1ミリたりとも伸ばすことはなく、スキンヘッドを維持し続けている。
家の近くで派遣社員として働き始めたが、普段はショートボブのウィッグを被って過ごしている。

今日も仕事が終わり家に着くと、真っ先にウィッグを外して蒸れた頭の汗を拭く。
今日もアキラが帰って来たら一緒にお風呂に入って頭を剃ってもらおう。
バスタブにお湯を溜めるボタンを押して、遅い夕食の準備を始めた。

※お約束したスキ×1000のお礼の作品です。
 いかがでしたか?
 これからも皆様の応援がある限り作品を作っていきます。
 引き続き、気に入った作品にはスキのクリックをよろしくお願いします。
 次はスキ×1500を目指します。
 次回以降は新月と可能ならば満月の日前後に作品を公開する予定です。





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