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断髪小説 断髪の連鎖(後編)

7)顧問の苦悩

駅伝部員の断髪に対する反応は保護者にも広がった。
「家に帰ったら今まで髪を短くしてこなかったうちの娘が坊主のような髪型になっていたのだが、何かあったのか?」
「切っちゃったものは仕方ないけど、学校で一体何があったんですか?」
「全国大会に行けなかったというが、そこまで本気では狙っていなかったのに、なぜみんな髪を切ったのか?」

抗議ではないけど、自分の娘たちがびっくりするくらい短く断髪したことに混乱した保護者から、問い合わせの電話が何件もかかかってきた。
問い合わせが来ると顧問をしているミネは「こちらで強要した事実も、子どもたちの間で断髪が強制になっている事実もない」ということを誠心誠意説明するしかない。

3年生が引退して保護者同士の役割決めがあり、土曜日の午前中に保護者が学校にやってくる。顧問としてそこで挨拶や近況を報告するのも恒例だ。
きっとここでも話題になるに違いない。
保護者よりも生徒たちの方が歳が近いくらいの私。
面と向かって詰め寄られたりなんかしたら、正直自信がない。
副校長にそれとなく相談をすると、自分も保護者にあいさつしたいからと一緒に参加してくれると言ってくれた。
少し肩の荷が下りた気分だ。

金曜日の夕方
さっき生徒たちが言ったことが気になっている。

「先生も髪切ろうよ」「先生だけだよ」…。
生徒が髪を切ったからと言って、私がそれに合わせる必要はそもそもない。
現にバレー部やバスケ部は部員は普段から全員ショートにしているけど、顧問やコーチは髪型は自由にしている。第一こちらとして断髪を強要した事実はない。
だけど、雰囲気的に私も髪を同じように切った方がいいんじゃないかと思う。
それも中途半端な長さじゃなくて生徒たちみたいに思いっきり短く…。

だけど、そんなことしたら私の20代が終わる。
実は私はこの歳になっても男性とちゃんと付き合った経験がない…。
「ミネは美人だし、いい仕事に就いてるのになんで彼氏をつくらないの?」と学生時代の友だちによく言われる。
交際することに興味がないわけではないし、チャンスがないわけでもない。
スポーツをやっていると同年代の男性とも知り合いになるし、いっしょに飲んだり遊んだりしようとすればできるはずだ。
だけど特定の誰かと交際するまでに至らない。仕事も充実しているし、自分磨きも合わせて部活の指導もできて、それが自分の中で優先事項となっているのかなぁ…。
普段は寂しいとか虚しさを感じないんだけど、時々急にそうした思いが頭を巡る。
あとは、プライドが許さないのか、どう告白していいのかもわからないのに、振られて傷つくのが怖いというのもあると思う。
29歳で髪を短く切ってしまうと再び髪が生えそろうのは30歳を確実に過ぎてしまう。なんだか切った後に後悔するかもしれないって思っちゃう。

ああ、どうしようかなぁ…。
部活が終わって、まだ仕事は残っているけども頭を切り替える意味でもさっさと今日は帰ることにした。
今日は生徒と一緒に走ってもいないし、汗もかかず普段の格好のままだ。
久しぶりに駅の近くのイタリア料理のお店で美味しいものでも食べるかなぁって思いながら、電車を下り改札を出た。

秋は日が短い。6時を過ぎると真っ暗だ。
「あっ。イルミネーションが点いてる!」
駅前の広場では恒例のイルミネーションが始まったようだ。
色とりどりの電飾がキラキラ輝いている。
きっとこれからの季節、街は賑わいを見せるのだろう。
私はこの冬何をして過ごそうか?やっぱりマラソンかなぁ…。
ここでまた自らのストイックさを痛感してしまう。
彼と2人でこのイルミネーションを見るのはいつになるんだろうな。

イタリア料理屋に向かって歩いているところに、赤と白のサインポールがクルクル回る低料金の理容室がある。
ここは夜8時まで営業しているお店。彼女は知らないけど実は日曜日にミラが髪を切った店だ。

(今ここで髪を切ったら、明日の保護者会に間に合うなぁ)

ストイックさを痛感した直後、やっぱり髪を切っちゃおうと気分になった。
そういえば、優勝した光北学院の新田コーチも生徒と同じように髪を短く刈り上げていたし、私もその路線でいこうって。
女性のカットもやっていると書いてある。
ガコッと大きな音を立てて重たいドアを開けた。
私は29歳にして理容室という未体験ゾーンに足を踏み入れたのだ

8)ミネの断髪

「いらっしゃいませー」ドアを開けると白髪混じりのおじさんがあいさつをしてきた。
店には仕事帰りのおじさんが奥の席でカットをしてもらっている。
「荷物を預かります」とおじさんは私の上着とバックを受け取って、レジの奥の戸棚にしまった。

「こちらにどうぞ」
おじさんは手前から2つ目の茶色の椅子私を案内する。
厚手で大きめの椅子は美容室より座り心地がいい。
おじさんは私の髪を捻りながら持ち上げて頭にクリップで留めるとタオルを首に巻いて、大きなケープを巻きつけた。

ハサミと櫛がたくさん乗ったトレイを鏡の前にゴトンと置いて、おじさんは髪をほどいてケープの上に広げた。
見納めかもしれない私の髪はこうして見ると長い。
日中はいつも後ろに束ねていて、ほどいて過ごすことがなかった。
こんな風に髪をほどいて過ごしててもよかったなぁって今更ながら思う。
だけどこの髪ともお別れだ。
少し日に焼けた髪が白いケープの上に胸のあたりまで黒く覆い被さる。

ボーっと見とれていると
「お客さん。今日はどうされますか」とおじさんが鏡越しに聞いてきた。

「あのースポーツ刈りにしてほしいんですが…できますか?」
「えっ?お客さんもスポーツ刈りにするのかい?この前も女の学生さんがここで切ってったけど、流行ってるの?」
おじさんは少し驚いているが止める気はないみたいだ。

「横や後ろは刈り上げちゃっていいのかい?」と聞いてきたから
「短く刈り上げてもらって大丈夫です」と答えた。

おじさんは手際よく櫛で私の髪をひと通りとかしたら、
「じゃあ、これから切っていきますね」と一旦私から離れて大きな黒いバリカンを持ってやってきた。
おじさんはケープを少し持ち上げて椅子にあるプラグにコードを挿した。

ヒュルルルルーーーン
バリカンは音をたてて起動した。
少し驚いたが、おじさんは私の左横に立ったまま、手のひらで耳の前の髪を持ち上げてバリカンを髪の中にl潜らせた。

頬の横あたりに少し冷たい金属の感触が伝わる。そしてそれがもみあげにあたりから上に上がっていった。
ザザザザ…ザザザザ…。
こめかみの上の方までバリカンが上がり、前髪を巻き込みながら耳のかなり上で髪が断ち切られた。

あっ…

驚いている間に、耳を折りたたまれて同じように左サイドの髪にバリカンがあたり、刈り上げられていく。
ザザザザ…ザザザザ…
2、3回バリカンが通過した左の頭からは髪がなくなり、青白い地肌と耳が現れた。
(ウソ。超短い…)
ミラは髪が多いのもあるが、ここまで青白くはなっていなかったはず。
スポーツ刈りって注文したけど大丈夫かな。

おじさんは後ろに回りこみ、髪の毛を鷲掴みにしながら持ち上げてうなじからバリカンを入れていく。
ザザザザ…ザザザザ…
バリカンの平べったい金属の板が、丸い後ろ頭に沿うようにつむじのあたりまで登っていった。
(ウソっウソっ…私の髪どうなったの?)
青白く刈られた耳の周りと同じ長さでそんなに上まで刈り上げられたら丸坊主になっちゃうじゃないのよ…。
もうどうなっちゃうか怖くてたまらない。長い髪がまた掴まれて首の後ろにバリカンが入って、切り離された髪は床に落ちていく。

おじさんは髪を踏んで滑らないように気をつけながら横に立ち、残った右の髪の切除に取り掛かる。

ザザザザ…ザザザザ…
耳を折りたたみながらぐるりとバリカンが頭の周りを一周すると、こめかみの上で髪が切り離され、その下は数ミリで剃り上げられた衝撃的な姿になった。
おじさんはそこから刈り上げた部分をさらに丁寧に何回もバリカンで剃り上げていく。
奥から散髪の終わったおじさんが歩いてきて、私の散髪している姿をしげしげと見ている。こんな恥ずかしい頭、誰にも見られたくないのに…。
右から後ろ頭、そして左にバリカンで刈り直しがされて、おじさんはバリカンのスイッチを止めた。

おじさんはコンセントを外して、バリカンの労を労うかのように刃についた髪を撫でて落としながら、後ろに戻しにいった。
ほんの少しの間だけど私は、「工事中」状態の自分の姿を鏡で確認する。
首を思い切り左右に向けて後ろ頭を確認してみると、今まで存在していた髪がすっかりなくなって、サイドと同じように青白い地肌が上の方まで続いている。
床を見ると驚くほど大量の髪が散らばっていて、私の変貌を裏付けるものになっている。
さっきまでサラリーマンの散髪をしていた別の理容師のおじさんが、自分のカットの掃除ついでに私の髪をホウキで掃いて、おじさんの髪と一緒にチリトリに入れて持っていってしまった。記念に持って帰るつもりもなかったけど、さっきのおじさんの髪と同じにされてゴミ箱に捨てられるのは軽くショックだった。

おじさんが、さっきよりも小ぶりなコードレスの黒いバリカンと霧吹きを持って再び私のもとに来た。
頭の上に短く残った髪をシュシュっと濡らされて櫛で雑に整えられると、目の上あたりで残っていた前髪が持ち上げられて、数センチの長さで櫛に合わせてザリザリザリと切り離される。
前髪がなくなると私の風貌はさらに違った印象になる。
額も隠れなくなり、顔全体が白く浮かび上がる。
頭の上でバリカンが私に残った最後の髪をどんどん刈っていく。
前髪が気持ち程度に残されて、丸い頭の形が少し平べったい感じに仕上げられ、丸坊主っぽくはないのだけど、なんというかお寿司屋さんみたいな感じの髪型だ。
サラや他の部員もこんな髪型じゃない。

ひと通りバリカンでカットが終わると、おじさんは私の頭に白い粉をつけてシャキシャキシャキと形を整えるように切っていく。

コトっ
おじさんがトレイにハサミを置いた。
硬い毛のブラシで頭全体をゴシゴシと擦られて髪のクズを落とされた、

おじさんが、鏡を持ってきてパカッと開いて、私の後ろ頭を映しながら、
「はーい。お疲れ様。これでいいですかーー」
と聞いてきた。

「うへぇ〜」思わずこんなため息が出てしまった。
後ろ頭に髪が全くなくて、涼しげを通り越して寒々しい。
これおじさん何ミリで刈り上げたんだろう。
首を左右に振りながらしばらく確認し続けてしまった。

この店はシャンプーをしてくれないみたいだ。
確認が済むとケープとタオルが外されて、首や耳の周りをそのままタオルで擦られて終了となる。

立ち上がりながら変わり果てた自分の姿を鏡で映す。
短いタートルネックの白いセーターに紺のロングスカートを履いた私。

「いやー全く似合っていない…」
トップは1センチちょっとのスポーツ刈りにこの格好はヤバいくらい似合っていない。

思い付きの断髪だったから頭を隠す帽子も持ってきていなかった。
おじさんにお金を払って、荷物を受け取りグレーのカーディガンを羽織り外に出た。
金曜日夜の駅前は人で溢れている。
「いやだ。恥ずかしい…」
自意識過剰かもしれないが、みんなの視線が集まっているような気がする。
イタリア料理を食べるのはまた今度にしよう。今日は冷蔵庫にあるものを食べるしかないな…。
隠すことができない短いスポーツ刈りの頭で秋の夜道を歩く。
頭も首筋も寒い。今年の冬は帽子とマフラーが必要だ。


9) 後悔

次の日の朝、「ミネ先生まで髪を切ってきた」と学校中はまたまた大騒ぎになった。
部員たちは昼になれば会えるのに、私の変身ぶりを一刻も早く確認したかったのか、大した用事もないのに職員室までやってくる。
キャーキャーうるさいし、他の先生にも迷惑だから廊下に出て生徒たちの感想と質問攻めに対応する。

「すごくせめてますねその髪型」「先生顔がいいから短くしても大丈夫ですよ」と褒めているのか微妙な反応がほとんどだ。
はっきり褒め称えてくれる部員はいない。
仕方がない。私だって同じ感想だ。昨日の夜からどうすればこの髪型にあうメイクができるか試しても最適解は見つからなかったし、ワックスやジェルを使ったヘアメイクももう少し髪が伸びないとできそうにない。髪が長かった方がよかったって自分でも思い知ったから仕方ない。

心配だった保護者会は無事終了した。
生徒の断髪は自分たちの思いつきでやったことを娘たちからみんな聞いていて納得していたらしい。
むしろ会議が終わった後、「先生までそこまで髪を短くすることはなかったのに」と心配して声をかけてくる人が何人もいた。
あーあ。やっぱり髪切らなくてよかったじゃないか。掻きむしっても乱れないくらい短く刈り上げた頭をゾリゾリ擦りながら後悔をしてしまった。

エピローグ

秋の陸上競技場。
銀杏もそろそろ色づき始めるなか、生徒たちは思い思いのペースでトラックを走っている。その中で一人、ミネ先生も来月に出場するマラソンに向けて、中学生を追い抜きながら黙々と走っている。
ミネ先生の後ろで揺れていた長い髪は今日はなく、スポーツ刈りで走る姿は髪型は遠目で見ると男女の区別もつかないほどだ。

生徒がトラックから帰り、思い思いに休憩し始めた頃、高校生と一緒にミネ先生も戻ってきた。
「荷物見てもらっててすみません」とオレの足もとにおいてあったスポーツバッグからタオルを取り出すために近くによってきた時、ふわっとミネ先生の匂いが漂った。
それは、汗と体臭と頭皮に染み込んでいたシャンプーの匂いが混じった甘酸っぱいというか、何か本能が刺激されるような匂いだ。
汗で濡れた先生の短く刈り上げた後ろ頭や首筋を見ると、オレは何だかちょっと変な気持ちになった。

ミネ先生が「どうかしました?」と刈り上げた地肌を擦るようにタオルで汗を拭きながらオレを見る。
最初見た時は驚いたけど、見慣れていないだけだった。ここまで髪を短くしてもミネ先生はやっぱり美人だ。

「ミネ先生って、今日は練習終わって予定ありますか」オレは思い切ってミネ先生に声をかけた。
「いえ、特に予定はありませんが」不思議そうな表情でミネ先生が返事をしてきた。
「よかったら、夕方一緒に飲みに行きませんか?自分も空いているので」
「いいですよ」

ついにミネ先生を誘うことができた。
そして「美味しいイタリア料理の店が〇〇駅の近くにあるから、そこに行きませんか?」ミネ先生が逆にオレを誘ってくれた。

練習が終わって、お互い生徒を連れて学校に戻り、〇〇駅の改札の前で待ち合わせをした。先に駅に着いていたオレ。
何本か電車を待ち、急行が着いた後、人混みからスポーツ刈りの元気そうな女性がオレを見つけて近づいてきた。

駅の前にはキレイなイルミネーションが輝いている。
赤と白のサインポールの飾ってある理容室の少し先に目的地のイタリア料理屋があるそうだ。
いきなり付き合ってほしいなんて年上の女性には失礼かな。
とにかく今日はたくさん話がしたいな。
楽しい夜にしよう。
(終わり)


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