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断髪小説 春休みの変身

「平安京」

私には変なあだ名が付けられている。
面と向かって呼ばれたことは数えるほどしかないけど、私のいないところで男子たちはふざけて呼んでいる。
お尻まで届くほど伸びた髪をセンター分けにしているからこのあだ名が付いていることは間違いない。

逆に言うと私にはこの髪くらいしか特徴がない。
だから男女比が2対1という理系のクラスの中にあってもパッとしない存在だ。
まあ仕方ない。頑張っておしゃれしようとか、目立とうなんて努力はしてこなかった。
髪をこんなに伸ばしていることにも大層な理由はない。
変わる勇気もないし、頻繁にカットに行くほどのお金もないので伸ばしているだけだ。

うちの家は小さい頃から母と一つ下の弟と3人暮らしだ。
いろいろと切り詰めていても母1人で高校生2人を養うことは難しい。
私は学校に許可をもらい放課後や休みの日はアルバイトをして、スマホ代や生活費の一部を稼いでいる。
アルバイトをしているところは知り合いに見られたくないから、学校や家の近くじゃなくて、通学途中の駅で降りたところにある回転寿司屋で働いている。

宿題のない春休みはまとまったお金を稼げるいいチャンスだ。
クラスメイトたちは塾に行ったり遊び回るなかで、私はほぼ毎日フルで日中シフトを入れてもらい稼げるだけ稼いでいる。
アルバイトの時には伸ばしっぱなしの長い髪を後ろで一つに束ね、三つ編みにしてそれをお団子のように丸めてネットにしまっている。
働くのに邪魔に思われるけど、きっちりまとめると髪の毛が落ちないから中途半端に伸ばしているより余程いい。

4月になってあっという間に春休みは終わろうとしている。
来週からは高校3年の始業式だ。
夕方、アルバイトが終わって駅に向かって歩き出す。
母は夜勤でいないし、弟もバイトで10時くらいにならないと帰ってこない。

あたりは少し薄暗くなり、駅前の商店街には灯りが灯り始めている。
6時半を過ぎると駅の近くの肉屋さんで売れ残りのコロッケやトンカツの安売りが始まる。弟の分まで買うつもりで時間まで待つことにしたが、いくらなんでも店の前で待つのは恥ずかしい。
本屋で立ち読みをしたり、ドラッグストアに寄ったりブラブラしていると、近くの美容室の看板が目に付いた。

「カットモデルを募集しています」

綺麗な文字とハサミのイラストがチョークで書いてある。

ここはサクマ美容室というお店。
入ったことはないけれど、こぎれいな店構えの美容室だ。
店にはいつも薄いカーテンがかかっていて、中を覗くことはできない。
伸ばしっぱなしの私の髪は、普段自分で枝毛を切ったり最低限のケアをしている他、半年に1度くらい2,000円でカットをしてくれる安い美容室で腰の高さくらいで切り揃えるだけ。
前髪も中3の頃から作らず伸ばしっぱなしだし、うなじの後れ毛も処理していなくて髪をまとめると気になるから普段は結ばずにダラリと垂らしっぱなしだ。
だから平安京だなんて不名誉なあだ名がついてしまった。
新学期を前に少しはおしゃれをしたいって気持ちが芽生えたけれど、結局は踏ん切りがつかなかった。

店の看板を見ながら、どんなお店なんだろう?って興味が湧いた。
若い子も利用しているのかな?
カットモデルってタダで髪を切ってくれるのかな?
そんなことを考えていると、突然

チリンチリン… 鈴の音と共にドアが開いた。

「どうしたの?」

中からスタイルのいい、年齢不詳の女性が出て来た。
きっとこの店の美容師さんだ。
キリッとしたメイクに髪型は耳たぶが見えるラインで真っ直ぐに揃えられたボブヘア。そこから下は見事に刈り上げている。

「い、いいえ…。なんでもありません…」
そう言ってそそくさと立ち去ろうと思ったのだけど

「あなた。カットモデルに興味があるのね」おばさんはそう言って嬉しそうに私を呼び止めた。

なんだろう。この感じ…。立ち去れない…。

「はい。ちょっと気になって見てました…」振り向いて本音をつい口にしてしまう。

「そう。時間あるならちょっとお話ししましょうよ」

おばさんはそう言うとさっさと私を店に招き入れると看板を店の中にしまい込み、店を閉めてしまった。

2人以外は誰もいない静かな店の中。
ソファーに座って言われるがままにカルテに名前を書いていると
「コーヒーは飲む?」サクマさんという美容師は紙コップに入れたコーヒーを手渡してきた。
なんとなくもう、ここから立ち去れない。

「ルリちゃんっていうのね。なんでそんなに髪を伸ばしてるの?」サクマさんが私の三つ編みを見ながら単刀直入に聞いてくるから、私も「特に理由はなくて。あんまり美容室に行かないから伸ばしっぱなしなだけで…」と正直に言ってしまう。

「そうよね。長く伸ばしてるっていっても、ちゃんと手入れもしていなさそうだし、おしゃれしているって感じもしないわ」

「いえ。今はアルバイトの帰りで今日はそのまま三つ編みにしていただけで…」
自分なりにはケアをしているし、三つ編みだって丁寧に編んできたつもりだ。
ちょっとだけムッとして言い返すようにサクマさんに言ってしまったけど図星かもしれない。確かにちゃんとケアをしているかと言われると自信がない。
サクマさんはさらに言葉を返してくる。

「本気で変わろうって気持ちもないから髪伸ばしっぱなしだったんでしょ」って…

「いいえ。そんなことはないです。私だって本当はきれいになりたいって言うか、みんなが驚くくらい変わりたいですよ」

「あらそうなの?じゃあこれから思いっきり変わってみましょうね」

サクマさんはその言葉を聞くと私から紙コップを取り上げて上着を脱がせると、さっさとカット用の椅子に座らせた。

いつも美容室では立ったまま髪を切っていたからちょっとびっくりした。
本当にこの髪をばっさり切られるのかもしれない。

正面には後ろに髪を持っていったおでこ全開の私の顔。
友だちみたいにメイクもちゃんとしていないから、高校生っぽくないというか少し老けて見える。
彼女の言う通り、私はこれまで変わる勇気もなくここまで生きてきたんだと、つくづく思い知らされる。

白いカットクロスを着せられ、その上に首にグレーのネックシャッターが付けられて、ハラハラと三つ編みがほどかれた。
床に届きそうな髪が霧吹きで湿らされて、コームで毛先まで優しく梳かされていく。
丁寧に梳かされた髪は三つ編みをしていたクセもだいぶ直り、サイドの髪が肩より前に持って来られる。
サクマさんはつむじの位置や頭の形を念入りに確かめながら髪が整えていく。
湿り気を帯びて艶を帯びた髪がだらりと左右に分けられて垂れ下がった。
たぶんこの髪はもう見納め。目に焼き付けておく。

やがて
「カットモデルっていうことにするからカットもシャンプーも全部無料でいいわよ。眉毛のカットも全部やってあげるわ」
髪を整え終わるとサクマさんは私の頭を両手で触りながらそう言った。

「はい」

「だから髪型は私に任せてちょうだいね」

「えっ?」

そういうとサクマさんはカットの道具を載せたワゴンを横に運んできた。

私は心配になってきた。どんな髪型にされちゃうんだろうって…。

「あの…すいません。私の髪これからどのくらい切っちゃうんですか」

初めてここで大事な質問をここで私は投げかけた。

でも「それは言わないわ。大丈夫よ。きれいにしてあげる」と素っ気ない返事。

(えっ?なんで言ってくれないの?)

「あなたってわりと顔が整ってるし、顔の輪郭も頭の形もすごくいいのよね。それを生かさない手はないわよ」

サクマさんは櫛を左手に持ち替えるとワゴンから散髪の道具を手に取った。
それは銀色のハサミではなく、赤い色のボディをしたバリカンだ。
カチャカチャと刃先にアタッチメントをはめ込むと、カチッとスイッチを入れる音がした。

静かな店内にブーンというモーターの音が響いた。

(ウソっウソっ。髪刈り上げられちゃうの?)

思わず肩をすくめて身構えると櫛を持った左手を私の右肩にそっと添えながら

「怖いの?大丈夫よ。これからあなたは変わるのよ」と彼女は耳元でニヤリと笑いながら言った。ああ。もしかして私はとんでもない美容室に入ってしまったのかも。

櫛でサイドの髪がめくりあげられた。

(ああ、いや。怖い。やっぱり髪切りたくない)

声をあげようとしたその瞬間のことだ。

ザザザザ…
 ザザザザ ザザザザ…

もみあげからこめかみ辺りにバリカンの刃が2度、3度と滑り込んで、サイドに分けている前髪ごとあっという間に刈り落としてしまった。

肩の上にドサドサと音を立てて髪が落ちていく。

その後には、こめかみあたりの長さで途切れた髪と目の高さで斜めに残された前髪…。

衝撃的な断髪を呆然と見届けるしかない私。

気がつくと湿った髪が一束右手のあたりに落ちている…。

「いやっ、いやっ…」

落ちた髪を手に取ってやっと声が出たけれども、サクマさんは顔色ひとつ変えずに、耳の上あたりで髪をどんどん、どんどん刈り落としていく。

トサドサ…ドサドサ…
湿って重くなった髪の根本が私の肩に落ちて、一瞬しがみつくように引っかかるけど、あっという間に耐えきれず床に落ちていく。

気がつくと右の耳周りが刈り上げられて男の子のようになっってしまった。
無傷のまま頭から長く垂れ下がっている左側とは対照的だ。

イヤだ。こんなに短い髪型にされるなんて聞いてないよ。
もうこのままでいいから早く帰りたい。じゃないととんでもない髪型にされちゃう。
頭の中で不安や恥ずかしさや恐怖がグルグル巡るけど、バリカンと髪が落ちる音は止まらない。

サクマさんはサイドの髪を刈り終えると、後ろに周りこんで髪を持ち上げながら首のあたりをから何度も何度もバリカンを下から上にに動かして、後ろの髪を刈り落とし始めた。
よく見えないけども、彼女は刈り落として手に取った髪を躊躇なく後ろに投げ捨てている。
踏んだら滑って危ないだろうけどなんてひどいんだろう。

抵抗する術もなく、ただ断髪を受け入れている私。
悔しいけれど、バリカンが頭を通るたびに感じるこの奇妙な感覚はなんなんだろう…。

頭が軽くなるだけじゃなくて、モーターの振動やザリザリという髪を引きちぎる音が私をだんだん狂わせていく。
悔しさや恥ずかしさという感情の隙間から、ちょっとだけ気持ちいいっていうか快感めいたものが顔を出している…。


そんな気持ちよさを感じ始めた私を見透かすようにサクマさんは後ろ頭を刈り終えるとニヤリと笑いかけながら、最後の牙城の左サイドの髪を刈り落としにきた。

バリカンのモーターの音と髪が切られる軋むような音がだんだん近づいて、ついに耳の上の髪が刈り落とされていく。
ここまであっという間なんだけど、ぐるりと頭の周りをバリカンが一周するまでの間、私の心の中にはいろんな感情が駆け巡った。

不安、後悔、屈辱、快感、そして今は諦め…。
とにかくこんなに衝撃的な出来事は生まれて初めてだったかもしれない。

こめかみあたりに残っていた最後の長い髪が前髪を巻き込みながらバサバサと刈り落とされると、また折り返すように刈り直しのバリカンが頭を一周して大胆なヘアカットが一旦終了した。

トップの分け目あたりは今まで通りなんだけど、こめかみから下の髪は跡形もなく地肌が透けないくらいの長さまで刈り上げられたショートカットの姿。

あたりの床を見ると、ギョッとするほど大量の髪が落ちている。

「切っちゃった髪はいらないでしょ?それとも寄付するつもりだった?」

落ちた髪を見つめる私にサクマさんは声をかけてきた。

「いえ。もういいです…」

これだけ長い髪だから、切るなら記念に取っておきたかったけど、床に散らかってサクマさんに踏みつけられた髪を拾って持ち帰るのは抵抗がある。
今手に持っている髪だけで我慢するしかない。

それにしても何も言わずにこんなに短くした彼女はひどい。
いくらタダにするからと言ってもここまで短くするなんて許されるわけないよと、鏡を見ながら怒りを覚え始めた時だった。

サクマさんはワゴンからハサミを手に取って

「じゃあ次はハサミで仕上げていくわよ」と話かけてくる。

(えっ?まだ終わりじゃないの)

またドキッとして顔がこわばる。

彼女は櫛で目のあたりまである前髪を持ち上げて指で挟むと

サクリサクリ、サクリサクリ…と一気に切り始めた。

「えっ、えっ?」

声にならないくらいの短さで髪が切られてしまった。
前髪を切ると次はセンター分けのクセがついた頭頂部の髪にハサミが入る。

ジョキリジョキリ、ジョキリジョキリ…

さっきより重たい音が私の頭上で響いてきた。

バサバサとカットクロスに落ちてくる10センチくらいの髪。
重さから解放された短い髪はそれでも折り合おうとせず、斜めに立ち上がって惨めにロングヘアだった名残りを主張し続けている。

ジョキリジョキリ、ジョキリジョキリ…

サクマさんは指で挟みながら頭頂部の髪をあっという間に2、3センチの長さに切り揃えていく。

「こんなに短くしてって頼んでないですよぉ」

絶望的な断髪に今さら歯向かっても仕方がないのに、私は鏡越しにサクマさんに抗議するのだが、彼女は知ったことじゃないとばかりの態度でさらにサイドの刈り上げた部分に櫛の歯を滑り込ませて、ハサミでどんどん刈り上げてられていく。
上の方はそれほどでもないが、耳周りとかは地肌が見えるほどにされていく。

チクチクと櫛の先が頭皮に当たるくすぐったさを感じながら

(ああ、もうやめてよ…。そんなに短くされたら学校に行けなくなっちゃうよ)

今までみんなに注目されてこなかったくせに、いきなりこんな髪型にされちゃったら恥ずかしい。

だけどハサミの音は止まない。
そういえば後ろ頭って一体どうなっているんだろうか。
首筋から上に上にとつむじのところまでハサミが当たっていくけど、すごく短くされている気がする。確認がしたくて横を向こうとするけどその度に頭を両手で固定され許してくれない。

短く刈り上げたサイドや後ろ頭に合わせるように待つトップの髪にハサミが入る。

サクサク,サクサク…
 シャキシャキ…シャキシャキ…

さっきと違って頭から落ちてくる髪は短くなり、ハサミの音も軽くなった。
当然だろう。頭に残っている髪は2センチほどしか残っていないのだから。
それなのにサクマさんはまだ時間をかけて念入りに頭頂部の髪を切っていく。

チクチクと短い髪が肌に張り付いて耳の周りがむず痒いけど、私は必死で我慢しながら鏡を見続けている。
前髪と呼べないくらい短くなった額の髪にもハサミが入り自然な感じで整えられ、最後にバリカンで耳の周りやうなじの産毛が処理された。

「こんな感じかなぁ」

サクマさんがハサミをおいて櫛で分け目のあたりを撫でつけながら言った。

鏡には、耳の周りの髪はすっかりなくなって首筋がすらりと浮き立ち、丸みを帯びた頭の形もわかるようになったおしゃれな坊主の私。
ロングヘアの名残りはセンター部分に残った分け目のクセだけ。

「最悪だー」

あまりの激変に感情が追いつかず頭を抱えると、さっきまであった髪がなくなってザラザラとした奇妙な手触りにまた驚いた。

あーどうしよう、どうしよう、どうしよう…。
どこを触っても髪が無い、無い、無い…。

不恰好に分かれている頭の真ん中の分け目も気に入らない。
なんでここまで短くされているのにパックリ割れ残っているのよ。
無性に気になって指で前に梳かしても直らない。

「分け目のクセはしばらく取れないわよ。あなた今まで髪を洗ったあとちゃんと乾かしてなかったからクセになってるのよ」

サクマさんが見かねたように私に話しかけた。

「どうするんですかこの頭。恥ずかしくて学校行けない!」私は声を荒げたけど、彼女はまったく動じない。

「本当にそうかなぁ?とりあえずシャンプーしましょ」

おばさんはカットクロスを外して私をシャンプー台に連れて行き、頭を流し始めた。
長めの坊主のような頭にされたから温かいお湯が地肌に直接あたり、そのまま流れていく。そしてサクマさんは私の頭をマッサージするような指付きで洗い始めた。
あぁめちゃくちゃ気持ちいい…。

夢見心地のなかでパチャパチャとシャンプーが洗い流され、短すぎる髪にコンディショナーが付けられてまたすすがれ、再びカット椅子に座らされると、リクライニングを倒されてトリマーで眉毛や顔の産毛が剃られ、化粧水が塗られてペタペタとマッサージを受けた。

再び椅子が起こされて頭のタオルが外されると、ドライヤーで髪が乾かされてセットをされていく。ワックスでトップの髪をねじるように立てられて真ん中の分け目のクセが目立たないように仕上げてくれる。
落ち着いた気持ちで変身した私の姿を見ると、さっきと全然印象が違う。

すごくいい

こんな髪型なんて絶対似合わないと決めつけていたけど、ロングヘアの私よりずっとずっと素敵に見える。
このおばさん。すごく意地悪なのかと思ったけど腕はすごくいいんだ。

だけどこんなにうまく私にスタイリングができるかしら?
生まれて初めてのショートだからコツも覚えなきゃいけないな。

「終わったわよ」

首からタオルが外されて、ようやく私は解放された。
床に落ちていた髪はもう一箇所に掃き集められているがものすごい量だ。
これだけのものを捨てて、新しい私に生まれ変わったんだ。
平安京なんていう変なあだ名で呼ばれることもないだろう。
なんだかいろいろ吹っ切れた気分だ。

「まあ、こんなに切っちゃったからしばらくはタダで髪切ってあげるわ。今度は予約しておいで」
とサクマさんは名刺を渡してきた。

店を出るとすっかり日が暮れていた。
ドラッグストアに行ってワックスを買った後、閉店間際の肉屋に行き、残っていたメンチカツを4つ買って駅に急いだ。

ここまで外見が変わったんだ。
内面だってきっと変えることができる。
春の夜の少し冷たい風が頭や首筋に当たるのがとても気持ちよかった。

⭐︎いつもお読みいただきありがとうございます。
 新月は4月9日ですが、20万PVに届いたため少し早めに公開します。
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