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尼僧道場 第一話(20世紀の情景)

第一章 7月25日

私は鏡水。寺の3人娘の次女だ。
その地方では名の知れた大きなお寺で、何不自由なく大きくなることができた。
ただし私たちには義務がある。
近い将来、お坊さんの婿取りをして誰かが寺を継がなければならないということ。
そのため成人したら、結婚前に親が倒れてしまった時でも寺を守れるくらいの僧侶になることが求められている。

姉は頭がいい人だったが、自由すぎる人間で高校を卒業すると海外に行ってそれっきり帰ってこない。なので私と妹のどちらかが寺を継がなければならない。
そのため大学3年の夏、一つ年下の妹の鏡海といっしょに1ヶ月尼僧道場に修行にいくことになった。
1カ月間外出はおろか外部との交流も一切禁止のハードな修行。
ただわりと厳しいうちの宗派にあって「有髪」(うはつ=髪を剃らなくていい)でもいいという条件だったのでここに決めた。

当日、道場に着くと私と鏡海を含め8人の尼僧見習いが修行に集まっていた。
夏休みを利用してということや、有髪が認められているから若い参加者が多い。
ただ全員が有髪ではなく、40代の慈鸞と大きなメガネをかけた高校生の妙恵の2名は真面目に髪を剃り上げて参加している。
おばさん尼はともかく、遊びたい盛りの高校生が剃髪をしているのをみんなが物珍しそうにジロジロ見ているが、妙恵は全く気にする素振りを見せない。

午前9時
教師で年配の慶華先生が指導係の若い尼を3人引き連れて部屋に入ってきた。
一気に緊張した空気が部屋を支配する。

「これから30分時間を与えますから、皆さんは荷物を持って部屋に行き、置いてある道着に着替えてからここに戻ってきなさい。化粧をしてここに来たものはきれいに落としてくること。髪が長いものは整髪料やパーマを落としてから後ろに縛ってくること。いいですね。」

「えっ?」いきなりみんな驚いた。

だってこの部屋から私たちが寝泊まりする宿坊は、石段を下るのも合わせて10分くらいはかかる。30分で着替えて身なりを整えてくるなんてシビアな要求だ。

「無理なんて言ってもここでは決まりに従っていただくだけなので必ずやってくださいよ。それと剃髪してきた慈鸞と妙恵は下の宿坊ではなく、私たちの寮で寝泊まりしていいのでそちらに行くように」

(えーすぐ近くじゃん。剃髪しているからってずるいなぁ)
そう思ったのは私だけじゃないだろう。
しかし慶華先生は

「ここは有髪も受け入れていますが、剃髪と有髪は扱いを区別します。見ての通り寺にいるものは全員剃髪しています。それに剃髪してくるものは修行と向き合う心掛けが違います。嫌なら帰っていただいて構いません。」と、私たちの心を見透かして言い放った。

「あと、時間を守れなかったり決まりを破った場合は問答無用です。帰っていただくか、頭を丸めて心を改めていただきますのでよろしいですね」

よろしいですねと尋ねられたけどここで異を唱えるなんてできるわけない。
慶華の横にいた恵久という絶壁頭の若い尼が
「それでは準備をして30分後にここにくるように。」と手に持ったストップウォッチをカチリと押した。

(いきなりかよ)

有髪の6人は大きな荷物を抱えて我先にと部屋を出た。
遅刻は即刻剃髪。その恐怖に私たちは支配されている。
外に出ると寺には朝から参詣客が来ている。
人の間を縫うように私たちはふもとの宿坊に走る。
特に背中を覆う派手なソバージュヘアをした大学生の美鈴は必死の形相をして履き物のかかとを踏みながら石段を一段飛ばしで一目散に先に走っていった。
彼女は濃いメイクをして、パーマをきつくあてた髪にムースもつけている。
修行には明らかに場違いな格好で来ていた。
果たして時間内に世俗まみれの姿から清貧な尼僧に変身できるのだろうか。

ただ私たちも人のことを心配していられない立場だ。
整髪料はつけていないけど、普段の身だしなみとして薄いメイクをしてここにきたから化粧を落とさなきゃいけない。これは他の大学生や社会人の尼たちも同じだ。
宿坊に入ると6人がこれから生活する8畳の間にくたびれた道着が1人2着づつ畳んで置いてあった。どうやらサイズは個人個人に考慮されておらず、ダボダボになるものもいれば、袖が七部丈のようになる人もいる。
競争するようにバタバタと着替えて身支度を整え始める。
メイクをしていない高校生たちは着替え終わると髪を後ろにきっちりと束ねてさっさと寺へ戻っていく。

残された私たちはタオルや手ぬぐいを片手に洗面所や洗濯場に駆け込み、顔をゴシゴシと擦り洗して化粧を落とす。
肌を労わるように丁寧に落としている場合じゃない。一刻も早く山に上がらなければ女の命の黒髪がなくなってしまうから力づくだ。
描いていた眉毛がなくなって、薄っぺらい顔になっても仕方がない。今日からは世俗を断ち切って修行なんだからと言い聞かせる。

美鈴はというと蛇口に頭を突っ込み髪を濡らしてタオルで整髪料を必死に拭き取り、パーマヘアを必死に伸ばそうと格闘しているがパーマなんて簡単に解けるもんじゃない。

とにかく時間がない。

「もうあと10分しかないよ」と誰かが叫ぶや否や、全員が手ぬぐいを片手に草履を履いて一目散にお寺に向かい石段を駆け上がる。
パーマと格闘していた美鈴も最後は諦めて湿った髪をゴムで束ねて走り出した。
朝とはいえ夏だから汗が一気に噴き出して、着替えたばかりの道着が汗で濡れる。
息を切らしてなんとか私たち有髪の尼僧は時間までに講堂へ辿り着いた。

午前9時40分

「全員間に合いましたね。とはいえ有髪の者は非常にだらしないです。すぐに汗を拭いて身だしなみを整えなさい!」と慶華先生はさっそく私たちを叱りつけた。もう汗まみれでグッタリだ。
一方で剃髪している2人は余裕しゃくしゃくの態度。
道着も有髪の私たちとは違ってサイズもあっているし新しい。
扱いは既に雲泥の差だ。これから1ヶ月私たちはどうなるんだろうか。

指導係の小太りの尼、照華が「次は全員爪を見せなさい!」と言ってきた。
何人か「しまった!」という表情をした。爪を伸ばしたまま、中にはマニキュアをしたものもいるようだ。
剃髪している2人は私たちがいない間に爪を切っていたのか涼しい顔で座っている。
その横でチクチク嫌味を言われながら、私たちは深爪になるほど爪を切らされ、マニキュアをつけてきたものは除光液で剥がした。

これでようやく研修が始まると思っていると、今度は恵久が
「まだ講義は始められません。修行に相応しくない格好をしている者はこれから直します。」と言う。

(きっと美鈴のことだ)

ここにいる全員がそう察した。美鈴は目を閉じて下を向いている。

「美鈴。こちらに来なさい」と前に来るよう呼んだ。
恵久が指を指した場所には、私たちが着替えに行っている間にレジャーシートが敷かれパイプ椅子が用意されている。
パイプ椅子の上にはコンセントに繋がれた黒い電気バリカンが置いてある。

「そんなみっともない頭で道場に来るなど言語道断です。この場で髪を切りなさい」と即刻剃髪が命じられた。

「髪を切れ」というが、ここではそれは坊主にしろということ。

美鈴は天を仰いでパイプ椅子に腰掛けた。
ばっちり決めたメイクを落としてもなお、美鈴は顔のパーツが大きいので華やかさも残っている。
派手な顔にソバージュはすごく似合っているのだが、修行には不必要だ。

照華の手によって大きなケープが首に巻かれ、髪を束ねているヘアゴムが乱暴に外されていく。
パーマヘアにいちいちゴムが引っかかるものだから「痛い、痛い」と美鈴は叫ぶけど容赦しない。

「こんな髪で修行にくるなんて尼寺舐めてるの?」
恵久はバリカンを手に持ちながら、皆にも聞こえる声で美鈴を叱る。
パーマを伸ばすとたぶん腰くらいある長い髪が白いケープを覆った。すごいボリュームだ。

「鏡を貸してあげるから、剃髪の様子をしっかりみてな」そう言って、今度は中学生くらいの小柄な体格をしたもう一人の指導係の尼僧の妙真が美鈴に手鏡を渡した。

恵久がスイッチが入ると、バリカンはヒューーーーンという音を部屋じゅうに響かせながら動き始めた。
いよいよ美鈴の剃髪が始まる。

「いくわよ」

恵久は薄ら笑いを浮かべながらこわばった表情をした美鈴の前髪をかき上げ、額のど真ん中からバリカンの刃を入れた。

ガガガガガガ…

めくり上がるように刈られていく太くて黒い髪は、他の髪に絡みしがみつくように地面に落ちることを拒否しているようだ。でもやがて重さに耐えられずボトボトと美鈴の周りに落ちていき、そのあとに数センチ幅の青白い頭皮が浮かび上がった。
「本当に鬱陶しい髪ね」
恵久は一旦バリカンのスイッチを切って、左手で絡んで落ちない髪を摘み美鈴の目の前にバサバサと落としてバリカンが作った道を見せつけた。

「ヤダーーーーー」 

講堂に美鈴の悲鳴が響いた。
私たちは黙って見守るだけだが、同じ女として見るに忍びない屈辱だ。

さらにふた刈りめ、み刈りめ…とバリカンが美鈴から髪を奪い捨てていく。
左に右にバリカンが進むと、バサバサと長い髪が音を立ててケープからブルーシートの上に滑り落ち、白い頭皮の領域が広がっていく。

「イヤ。もうイヤだよーーー。やめてよーー。ねえお願いだからーー」

美鈴は子どものようにダダをこねる。
剃髪はまだ半分も終わっていないけど、ケープや足元には夥しい量の髪が既に溜まっている。
前髪と頭頂部だけが剃りとされ、落ち武者のような屈辱的な頭にされている美鈴は顔をくしゃくしゃにして手鏡を膝に置こうとした。

だけど妙真が許さない。

「全部済むまでちゃんと鏡を見てなさい」
「イ、イヤ…」
「イヤじゃない。ほら、ちゃんと見てなさい」
「もう…本当に…イヤ…かんにん…して…」

美鈴のプライドは叩き折られ、唇を噛んで黙り込んでしまった。
恵久は前半分の髪をすべて剃り上げると、後ろに回り込んで残った髪を淡々と処理していく。
パーマがあてられた髪が刈られる様は羊の毛刈りのようだ。
私たちは固唾を飲んで黙り込んでしまった美鈴の剃髪を見守る。
バリカンのモーターの音と美鈴がすすり泣く声に混じって髪がパサパサとシートの上に落ちる音が聞こえる。
美鈴の頭に何度もバリカンが這い回り、とうとうすべての髪が0.5ミリで刈られた。
あんなにボリュームがあった髪が全て消えた美鈴の頭は驚くほど小さくなり、華奢で長い首がむき出しになった。色白な彼女は彫りの深い彫像のようだ。

恵久はケープを外して手のひらでザリザリとうれしそうに美鈴の頭を撫で回し、「終わりましたよ。カミソリをあてる日は決まっているので今日はここまででやめておきましょう。お昼になったら頭を洗って、荷物を持って寮に移っていらっしゃい。もうあなたは有髪じゃないので、そのように扱います」

「はい…」

ついさっきまで気の強そうな女性だった美鈴は涙で顔をくしゃくしゃにしながら弱々しい声で答えた。

慶華先生がここで「美鈴。ちゃんと剃髪のお礼を言いなさい」と言った。
美鈴は立ち上がるとバリカンを持っている恵久に「ありがとうございます」と言って小さく丸くなった頭を下げた。

その後「髪は自分で片付けなさい」と照華からホウキとチリトリを手渡される。
美鈴はしゃがみ込んで、椅子の周りに落ちている自分の髪を確かめるかのように手で拾い集める。
「早くしなさい。時間がないの」
尼たちは美鈴をせき立てながら、落ちている髪を掴んで青いゴミ袋に投げ捨てた。
自慢の髪を剃り落とされたうえに、ぞんざいに投げ捨てるなんて美鈴はきっと悔しいだろうな。
数分前までは体の一部だった髪を美鈴は泣きながら、全部拾い集めてゴミ袋に捨てた。

これでようやく講話が始まるかと思ったが、次は妙真が口を開く。

「あともう一人、この場で髪を剃り落としてもらいます」と言った。

(え。誰だろう)
有髪は残り5人。場内の空気がまた凍りついた。

「千花。こちらに」

突然の剃髪の命令が下されたのは高校生の千花だった。
「えっなんで?なんで私がですか?」と信じられないという表情で千花は恵久たちに食い下がる。
無理はない。私たちも何故彼女が剃髪されなければならないのかわからない。
美鈴のようにメイクもパーマもしていないし、髪型は耳たぶあたりで切り揃えた清潔感あるショートボブだ。
「修行の邪魔にならないように髪もちゃんと切ってきたのになんでですか」千花はしつこく食い下がる。
「うるさいわね。あなた中途半端に髪が長いのよ。前髪も長いままだし短くするなら下を向いたときに垂れてこないくらいに切ってこなきゃダメでしょ。まだ長くしたままにして束ねてた方がよかったのよ。早く来なさい」妙真は千花にきつく言い返す。

千花は「えー。せっかく短くしてきたのにやだよー」と呟きながら、パイプ椅子に座った。千花は修行を前に長い髪をわざわざ切ってきたらしいのに逆効果だったのだ。

妙真は千花に手鏡を手渡すと、手早くケープを巻いて、バリカンのスイッチを入れた。

ヒューーーーン
2人目の剃髪が始まった。
美鈴の時と違って左のこめかみの上あたりから最初のバリカンが入った。
千花の髪は細くて直毛だ。
乾いている髪は刈られた先からパラパラとケープの上に落ちて、床に散らかっていく。
千花は大声で泣き叫ぶことはないけど、ブツブツと恨みごとを呟いている。

妙真は女子高生の頭を容赦なく剃り上げていく。
「あなた頭の形が変ね。ジャガイモみたい」
絶壁頭の恵久よりはマシだけど、刈られたばかりの彼女の頭頂部の形は上の方が少し凹んでいる。

「やめて下さい。恥ずかしい…」千花は悔しそうな顔をしながら呟いている。

千花もお寺の娘だ。好き好んで現役の女子高校生がこんなところに来るはずはない。
ここに修行に来たのも有髪で大丈夫だからという条件で親に説得されたからだろう。
それなのにいきなりバリカンの洗礼を受けるなんてどんな思いだろう。
大騒ぎした美鈴の時とは違い静かに剃髪は執り行われ、千花はあっという間に0.5ミリの坊主頭にされてしまった。
地味な顔つきなのに黒髪が奪われたうえ、歪な頭の形が露わになり千花の容貌は一気に悪化してしまった。
それでも千花は先輩尼たちに頭を下げなければならない。
「ありがとうございます」心にもない言葉だと私たちにもわかる言い方だけど、彼女は指摘される前に言った。

「あなたも昼になったら荷物を持ってこっちにいらっしゃい」
妙真はうれしそうに醜くなった千花に声をかける。
こうなれば修行に励むしかなくなった千花は「はい」と小声で返事をして髪を片付け始める。

午前10時05分
2人の剃髪が執行された後、5分ほど予定より遅れて講話が始まった。
私の前にはさっき頭を刈られたばかりの千花が座っている。
かわいそうな感じだけど、なぜだか刈られたてホヤホヤの白い後頭部は生々しくてどこかエロティックを感じてしまう。
私の頭もこんな風に刈られたらどんな感じになるだろうか。
そんなことをふと考えてしまう。

尼僧道場の有髪は私たち姉妹含めて残り4人だ。
黒髪を保持したまま修行を終えることができるのだろうか。
結果を先にバラすと、そんな甘いことはなかった。
実はこの道場。毎年有髪の尼を受け入れているが、帰る時に髪があったものはこれまで一人もいないそうだ。
次に髪を失うのは誰なのだろう…。

(つづく)

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