こころとこころの隠れんぼ。

私が、「私の周りにいる人の悩み事の背景」を観る様にしている理由は、私自身が辛かった時背景を見て貰えず、「たすけて」と言えなかった。私には口があるのに「たすけて」の4文字を発する事は出来なかった。

当時の私が欲しかった言葉は
「どうしたの?」の5文字なのだけれど、
条件付きだった。

・私自身にも非があったと認めているけれど、
「ごめんね。」と言える環境じゃなくなって
言えなかった事。

・「人のせいにしたい訳ではなくて」
でも、私はこれがされて嫌だったって
心境を伝えたかった。

当時の私には「本当の気持ち」を言える人がいなかった。

だから私は寄り添える人になりたいと思った。

でも、背景を見ると言うことは、その人が苦しんでいる理由や、可能性を洗い出すと言う工程でしかなくて。

私が頼って貰えている時はそれでよかった。
でも、私が頼る場所は気づいたらなかった。

それ故に生まれた
「こころとこころの隠れんぼ」

※タイトルにある、
「こころとこころの隠れんぼ」とは
本当の気持ちが言えない状況の事を現しています。

頼られる場所、逃げ道となってあげる事は大切なのだけど、また頼られている人も
頼る場所が人として欲しいものです。
強い訳ではなくて、寧ろ弱いから痛みがわかるのです。

でもそれは、
好きでやっている事なのかもしれない。
だけど報われたいし。満たされたい。って思ってしまう。でもそれが人と言うものだと思う。

※言うに言えない苦しみは存在している現実。寄り添って欲しい。分かって欲しい。気づいて欲しいって寂しいって感情は自分勝手の様で自分本位の様で自己中の様でなんだか嫌になるけれど、「これでいい。」「これでよかった。」と自分から自分へ許可を出して欲しい。
その一方で、「じゃあそんなの辞めたら?」と言われたらそれまでだけれど、自分がされたら嫌なことは他人にはしたくなくて、痛みがわかるからこそ、目指す場所がある。

言うに言えない苦しみにもがいている人は
自分をせめるのではなくて、自分で自分に
「今日もいいじゃん」って思えたら素敵ですね。

綺麗事を綺麗事で終わらせない事は難しいけど、綺麗事を綺麗事で終わらさなかった人はとてつもなくカッコいい。

こころとこころの隠れんぼをしなくて済む人が増えて欲しいと願った今日この頃。

#わかってほしい
#気づいて欲しい
#言うに言えない