46. 土曜日

土曜日

今日(昨日、202279日)海に行くか行かんかわからんかったけれど、結局海行こってそれとなしに合意があって3年ぶりくらいに会う友達と海行った。俺が駅までバイクで迎えに行って、そこで彼を拾ってビーチに向かった。駅で彼を迎えにいった時にそこにいたうずくまって何かを待っているような浮浪者と2人きりになる時間があって気まずかった。友人は午前に肉体労働を済ませてから俺に会いに来てくれた。鉄骨等の重量物をある地点からある地点へ運ぶ仕事を今やってる、と彼は教えてくれた。天気がよかった。陽が照っている訳でもなく、光量は程よく、ぬるい風がだらしなく吹いていた。今日みたいな天気が海に行くのにうってつけだとほとんど無意識に口にするたびに、だからお前は海が似合わないと彼は遮った。海辺に到着してしばらく経って、俺たちだけ居場所がどこにもないようだった。お互い口に出して確認しなかったものの、2人ともそれを最初から理解していたような気がする。ずっと風に当たっていた。でもなんかそれでよかった。
3年ぶりに会って話したことは、冗談が以前より判別しづらくなっていることについて(表情が見えないから)、どのスポーツが肉体的・精神的に負担が少ないか、棒高跳びという競技の特異な感じ、スポーツにおいての金メダルとは、ボクシングの孤独さ、不良とは何か、エレクトリック・マイルス期の普遍さ(これは俺が最近70年代前後のマイルスを改めて好んで聞いていて、一方的に話しただけだ。)、等。彼も俺もお互い今何をしていて、どんな物が欲しくて、どんな女が好きで、何に悩まされているか、なんてことについて気にも留めなかった。いつもそうだった。
陽も落ちて、潮風を浴び続けるのも疲れたから、バイクを置いて、駅前に戻って適当な店で酒を飲んだ。そこでもう1人と合流した。3人で店で何を話したか忘れた。ただ、楽しかった。
友達は自分から関係を維持する努力をしない限り、友達であり続けることは難しいと思う。だから俺は人といる時、その関係がdramaconnectionだとどっちに属するかを最近よく考える。別にそれがどっちの関係であってもいい。が、dramaの方が何か起こりそうな気がする。自分の位置がわかっている人はどっちに行けばどうなりそうかある程度予測がつく。そういう関係の捉え方の中で自分の位置を見つけて何となくの指針にする。そうすると自分が迷っている時にどこを向けば新しいものに出会えそうか、そういうのを察知するような勘が錆びないような気がする。別にどこに行ったって構わないが、なるべくdramaに流れていくようにと俺は思う。彼とは3年ぶりとはいえ普通に話せてよかった。今日海に行ってよかったと思う。

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