52. コインランドリー

諸事情により洗濯機とベランダが使えないので、コインランドリーに出向く必要があった。コインランドリーは家から歩いて20分くらいのところにあり、冬の寒い中洗濯すべき物たちを抱えながら向かうのは億劫だった。死ぬまでの時間は有限で、学者や金持ち、革命家、傭兵や貧乏人、漫画家、アスリート、カラオケの店員、長距離トラックドライバーや俺のような何の変哲もない人間にも残された時間はおおよそ一つの時間に収束するのであって、その時間を洗濯(やその他諸々、生活を続けるためだけに必要な時間全て)に費やすのが耐えられなかった。社会人となって日中のある程度の時間が拘束されることになってから、前にも増してこの有限な時間をどう使うかと無意識に考えているのだと思う。この前会社の昼休みの時間に、帰宅してから寝るまでの時間と休みの日の残り時間をざっくり計算したら、20代である俺が本当の意味で自由に使える時間は65歳で会社を辞めるまで10年弱しかなかった。この根拠不明瞭な計算も相まって、なるべく家事はその施行回数が少なくて済むように調整しておきたかった。であるから俺は可能な限り(かと言って部屋のスペースを圧迫しないほどに)下着を揃えている。下着さえあれば、例え家が火事になってもすぐ外出できるから。当然ながら洗濯の施行回数を極力減らすことができるから。そういう感じで過ごしているから洗濯の時、下着の量が自分でも毎回小さな驚きを感じるほど多い。
朝4時半に家を出て20分ほどかけてコインランドリーに着くと、先客がいた。今日は2023年2月23日の祝日だったからだと思う。普段の俺なら祝日にコインランドリーに来るのは考えられない。
洗濯に800円、乾燥機に400円使って1時間半ほどそのコインランドリーで過ごした。ちょうど俺の愛聴盤のマイルスデイヴィスのネフェルティティを2周半するくらいだった。ネフェルティティの一曲目のタイトル曲と二曲目のフォールが好きで、ここ最近このアルバムを優先的に聞く。マイルスの持つ唯一無二の気高さをいつでも感じられるから音楽(音楽をいつでも聞くことができるという現代)は凄いと思う。三曲目それ以降も素晴らしいのは言うまでもないが、今回のコインランドリーの滞在時間の間では三曲目のハンドジャイヴの途中で終わった。2周と半分ネフェルティティを聞けて(しかも俺の好きな冒頭2曲に至っては3回も聞けた!)嬉しかった。ここ数年マイルスをよく聞いていて好きなアルバムも自分の中で固まってきたのでいつか別の機会に話したいと思う。
洗濯と乾燥という正反対の効力を、洗濯層/乾燥層*の回転という方法で解決しているのは面白いと思う。下痢止めと便秘薬が正反対の効果を持つのに、処方薬は同じように、この世界には俺が知らないだけで正反対の効果を持つのにも関わらず一つの同じ手段で作用し、それが一般的な方法として定着しているやり方は他にもたくさんあるのだろうと思った。今は洗濯/乾燥と下痢止め/便秘薬の二つしか思いつかないがいつか時間がある時に思いつく限り洗いざらい並べてみたいと思う。
コインランドリーなんて年に一度来るか来ないかであるから俺の洗濯物が無慈悲にも回転している間、手持ち無沙汰な時間をどう使えばいいのかわからなかった。
そういえば家を出てくる前にGoogleマップで近所のコインランドリーを調べたのだが、24時間営業のコインランドリーとそうでないコインランドリーの数が半々で、それが意外だった。コインランドリーは24時間常に営業しているものだと思っていたから。24時間営業でないコインランドリーで洗濯中に閉店時間を過ぎたらどうなるのだろう?翌日までそのまま放置されるのだろうか?洗濯物が乾燥もできずあの回転だけに特化した層の中にずっと、しかも湿っているのにも関わらず脱水されしわくちゃになった状態で自分の持ち物がそこにあることを想像してみると、どんなに好意的に考えても持ち物が侘しくなるような感じがする。教室の落とし物箱に自分の持ち物が入れられていて、誰にも忘れ去られているかのような、あの侘しい感じ。
16kg乾燥機、30kg乾燥機と2種類の大きさがある中、俺は分量を鑑みて16kg乾燥機を選んだ。乾燥機を40分にセットして待っていると、後からやってきたジジイが乾燥のフェーズに移った。俺の洗濯物の分量の半分くらいのように見えたが、彼は大きい方の30kg乾燥機を選んでいた。俺は異動前の前職で乾燥について知見を集めそれを製品に活かす形で試験方案を考え、それを実行し、データを集めて考察する、それを繰り返した物を報告書の形にまとめ、上司や周りの部署に指摘されたり改善に関するいくつかのアイデアをもらうことメインに仕事をしていたから、大きい炉を使った方が物を温める(乾燥させる)のに有利なことを知っていた。俺は一時期乾燥に関する情報の扱いで金を稼いでいた。俺は洗濯物の分量に適した16kgの方を選んだが、彼(さっきの後から来たジジイ)はそれを生活の延長上の一部として、何気なく、だが確実に恣意的に大きい層の乾燥機を選んでいたのがかっこよく思えた。俺も彼のやり方は正しいと思う。16kg乾燥機は10分100円であるのに対して、30kg乾燥機は7分100円という値段設定に惑わされていないのもかっこよかった。次からは俺も分量が少なくても可能な限り大きい乾燥機を選ぶべきだと思った。
乾燥が終わって洗濯物を乾燥機の層から出すと少し温かい。天日干しではごく稀にしか感じられないようなあの温かさ。全体が均一に温かくて、乾燥していて、機械で制御された温かさ。いい意味で無味乾燥な感じ+機械発するの人工熱による温かさ。今持っている洗濯物の温かさはいつか気温やその繊維が持つ性質によってしばらくするとまた冷たくなっていってしまう。洗濯物のこの温かさがあったから、いつもの洋服を畳むめんどくささも、今日は何か静謐な儀式の終わりが近づいているような感じがして苦ではなかった。
コインランドリーに来る前はコインランドリーで待っている時間は意味不明だ、と思っていたが、清潔で、24時間空いていて、明るくて、程よく暖かく、それでいて少し寒い感じもして、ある程度の広さがあり、同じ目的を持った人同士が集まる中に、洗濯機と乾燥機の機体の四角とその蓋の円が規則正しく配置された空間で、天気や労力の問題を数百円の硬貨で解決し、物思いに耽ったり本を読んだり音楽を聞いたりする時間が生まれるのは、なんだか優雅な感じがした。

* 俺はこの記号”/”を好んで使う。日々の業務で報告書を提出しなければならない時、この記号を使うことでこの世のあらゆる事情を並列に並べられることの素晴らしさを知っているから。基本的に2つのものを並列させたい時に使うが、場合によっては、例えば同様のものを列挙したい場合などにももってこいだと考えている。自分が選んだ単語が同じように並列に並んで整列しているのは、Weblioの類語辞典を見る楽しさと同じように、何か同じ意味を持つ物を同じ棚に置いておいてラベリングできる素晴らしさと同じ響きを持っていると思う。俺は部屋の掃除や片付けは学生時代それらをサボりまくったが故に片付けや掃除を始める時、何から手をつけていいのかわからず、本当にどうしたら良いのかわからない(掃除や片付けなどいつ終わりにすればいいのかも未だにわからない、自分の気が済んでいるのかどうかもわからない、歯磨きや身体を洗うのだってそうだ、漠然と多分こんな感じかな、みたいな感じでここまで来てしまった!)のだが、書類を整理したり、本を棚にしまったりすること自体、つまり整理には関心がある。自分だけのルールに従って周りの物を制御している欲、しかも家に限って言えばそのルールが自分だけのものであればあるだけ素晴らしく感じる。例えば本を五十音で揃えるのではなく、大きさや色で並べるのはもちろんのこと、それらを無視して本の厚み順や、読んで面白かった順番に並べたりするのが好きだ。恐らくこれは俺が何らかのランキングが好きなのと繋がりがあるのだろうと予想していて、どれだけ関心のない分野のものであっても、売上順だとか、人気順、数の多い順や大きい順などデータベースにプールされた物のある一部のスペックに焦点を当ててそれを眺めるのが昔から好きだった。かつて10歳にも満たない頃、俺は親に買ってもらった遊戯王カードを攻撃力/守備力の高い順に並べるのが好きだったのにも深く関係していると思う。遊戯王はトレーディングカードゲームであるから、そのランダム性、引いてはデッキと呼ばれるある目的のために集められたカードの集合体をシャッフルしなければ本来の目的であるカードゲームでのプレイはできないのだが、俺は遊ぶ時以外頑なに攻撃力/守備力の順番を崩さないように細心の注意を払っていた。自分のデッキのモンスターカードが何枚、魔法カードが何枚、罠カードが何枚と枚数も常に把握していた。デッキのモンスターカードの攻撃力/守備力の平均値を計算するのも好きだった。既に平均値は前計算して知っているのにも関わらず電卓を使って何度も計算し、改めて電卓の文字盤に映ったその解を見て陶酔している時間も好きだった。であるから比率や平均の概念はすぐに理解できた。後に理系に進み簡単な算数から微分積分、三角関数などを飯の種にしている今の仕事にありつけたのもそれと関わりがあるに違いない。

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