目覚める前の。

歳をとって良かった事の中の一つに、
(主に自分に対する)激しい気持ちを持たなくなったと言うか、出てこなくなったと言うか、
そういう自分の中に潜む訳のわからないモノに嫌な感じに振り回される事が無くなって、
良い事ではあるのだけれど、
でもやっぱりなんか物凄くつまらない、とも思う。

芯の部分(なんてモノがあるのかはわからないけれど)はずっと変わっていないように思っていて、
それでも、歳と共に薄まったと言うか、なんだろな。楽になれた筈なのに楽じゃない。
ずっとグレーの靄がかかっている。
薄まった訳ではないのかもしれない。

下のは2019年の12月に書いて、下書きに入れていた文章。
自分で書いておきながら、今読んで「へ〜」と思ったので出す。
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深い仲になった相手から、
「幼い子供みたいだ」
と言われた事が何回かある。

そのどの人も出会った当初から私を記号としては見ない、
中も外も含めた全体像に興味を持って面白がってくれる人だった。

そこでまた思い出した事を二つ。

一つは、
最近そう言ってきた人との会話で、
「自分の精神年齢を幾つだと思うか」
という話になり、私は14か15だと答えたのだけれど、
それは何故かと言うと、
その辺りで、この世界の違和感とか自分のズレとか何かおかしいなというもやもやしたものを感じ始めた(その時から大筋で変わっていないように思う)からかな、と思っていて、
相手もなるほどそうかも、と納得してくれたのであった。

もう一つは、
最近始めた短歌が、その人との仲が深まる事で自分の時間が減って、ぱたりと書かなくなってしまって、わかりやすいなと思うのだけれど、
そういう「ひとりの時間にもやっとした事を考えてしまう→それを外に出したいが上手くいかない」というのは、
考えてみれば小学校5年か6年の時に既にあって、その時の短歌を思い出したのだった。

それは授業で、何か短歌を作って、短冊状の紙に書いて絵も描いて、壁に貼り出しますよ、というものだったのだけれど、
書いた短歌が思い返してみると結構暗くて、
うろ覚えなのだけれど、
ひとりだけ時間の中に残されて 話し相手は花となんとか、みたいな内容で、
授業参観でそれを見た母親が、
「こんな事考えるのねぇ」
みたいな反応をした事もぼんやり覚えている。

これを踏まえて考えると、
違和感をぼんやり持ち始めたのはそのくらいの年で、
深い仲になった人が垣間見る幼い私は、
違和感を感じ始める前の私なのかもしれない、
となんとなく思った訳です。なんとなく。

普段あんなに凛としているのにこういう時にそんな面影が出るんだ、とか、あんなにしっかりしているのにお菓子ぽろぽろ零すしうっかりし過ぎだし簡単な下ネタで盛り上がるし小学生男児か、と言われるし、
そうなのかもしれない。
何にも気付いていなかった、幸せな私。

私が引き受けていないのは、許せていないのは、
目覚めていない幼い私なのだろうか、
目覚めたまま成長していない私なのだろうか。
全てなのだろうか。

許されている感覚をくれる人と一緒に居る事が、
とても怖い。
変わっていない。
早く嫌いになってくれたらいいのに、と思う。

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