改札で別れた後に振り返らない。

だから愛情が薄いと言われた事をふと思い出した。

そんな事はどうでもいい。

言う相手が居ないとも言えるし、
その中身を自分で捉えられていなくて言葉に出来ないとも言えるのだけれど、
最近と言うかここ一年くらい、
浮かんできたもやもやした不安みたいなものを、
無かった事に、見て見ないふりをしていて、
なんかよくわかんないけどやべえ
みたいな事を口に出してこなかったのですよ。
でもやっぱりやべえなと思って、
あっでもそう思うのやめだやめ!とか思って、
そんな事の繰り返しで今です。
まぁなんとかなっているのなら、それでいいんじゃないの?と思わなくもない。

さて。

非常にメモ魔な死んだ人の、仕事・プライベート兼用の手帳が30年分くらい、
これまた別の死んだ人が捨てられなくてとっておいたらしくて、
それをちまちまぺらぺら、見てから捨てています。
疲れる。面白いけれど疲れる。
なのでたまにやってしばらく休み、
の繰り返しでこれはもしかして没後何年まで引きずるのか...という感じで。
そりゃ、その人の一日一日を何年も追っている訳ですから。
不思議だ。そして少しの罪悪感。

手帳も含めて遺品も何もかも、
ざばっと処分するか業者に一括で依頼すれば楽だったのだろうけれど、
何故かね、何故か、
私が責任を持って一つ一つこの目で見てそれからお別れをしなければ、と思ってしまって、
要した時間も労力もかなりのものでした。
でもそれで納得出来ているからそれでよいのだ。

思い出す度に後悔しかなくて、
もっと私が大人になって、二人に何か出来ていればと、
今更何を思っても遅いので、考えないようにしているけれど。
出来る事と言えばちゃんと生きていく事くらいで、
でもそれが私には酷く難しい。
せめて、ありがとうとごめんなさいは感じて言える人でいたいと思っています。
お墓の前でもそう言ってしまいます。
あと、困っている人には手を差し伸べられる人でいたいと思っています。
ここ数年色んな人に助けられたように。

生まれ変わったら樹になりたいとたまに思う。
樹みたいだと言われた事もあるけれど。
校庭に植わっている大きな樹のように、
木陰を作って、その下に来る誰かの背中をずっとそこで変わらず見送る。
さようならが下手だ。


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