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日記

ピアノ教室の帰りにすこし遠まわりをして分譲地になる予定の場所を見にいった。そこはこれまで畑をやっていてビニールハウスがあったのだけれど、もうなくなっていて、掘り返したりまだ手をつけていなかったりで濃淡がまだらになっている地面の上でショベルカーがぽつねんと雨に打たれていた。そういえば中学生のころに通っていた塾の前を通ったはずなのに見当たらなかったことに気がついて、Google Mapで調べてみたら閉校したらしかった。「ひとに死ねとか言ったらあかんで、どうしても言うんやったら生きるなって言い」と塾長が言っていたのをいまも憶えていて、守っているようないないような、きびしい感情の波に防波堤があればよかったのかなとおもう日々が続いている。猫のトイレがなくなって綺麗になった実家の玄関で靴を脱いで二階にあがると、おむつをつけているせいで痩せ細っているのが目立つようになった黒猫の姿があり、座っているだけなのにどことなくよろめいてみえた。〈Time goes by, we can never stay the same〉。命には二種類あって、知っている命と、知らない命だ。実家から自宅に帰る時間になっても雨は止まなくて、その日のうちに三度も着ることになったレインコートに袖を通すと内がわまで湿っていて嫌だった。川沿いの梔子が咲いていて、けれど雨は葉の苦いにおいを強めるばかりだから花の香りはしなかった。

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〈I was born.〉のことで自我を語れた気になっていいのは中学生までだとおもう。

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「お寿司も焼き鳥もたべんの?」
「焼き鳥はあしたのお昼やで。——さんも持ってく?」
「えー、串がめんどい」
「取ったらええがな」
「串抜いたらようわからんやん」

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リラコが一本見当たらない。衣替えをすれば出てくるとおもっていたのに夏物の衣類のなかにはなく、どうやらふだんは服をしまわないような変なところに突っ込んでしまったらしい。内見のときに広いなあとおもっていた部屋は物がかなり増えて、どこになにをしまったかわからなくなってきている。身軽になりたい、としょっちゅうおもうのに、物を捨てるのはそれはそれで面倒くさいのだった。傷んだフライパンも、底がとれたざるも、コンロの下の収納にどんと居座っている。夫と一緒に地元を出てきて、ここで暮らしはじめてもうすぐ五年になる。近隣の飲食店の入れ替わりは激しいけれど、バイクがけたたましい音をたててマンションの前の道路を通り抜けていくのは変わらない。いったいだれの帰り道なのだろう。たぶん、優しいひとが隣にいてくれなかったら、安心して眠ることなんてできなかった。次に暮らす場所はぜったいに静かなところと決めていて、でも、きっと静寂の夜におもいだすのはだれかのバイクの音だ。

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