幸せなのは、日常がありきたりであるが故
「今日、この場で、此処にいる方々とヨガが出来たことに感謝します。」
その言葉を聞いた瞬間、無償に涙が溢れそうになりました。
一体何故?
その答えは、私が心がけていたものにありました。
気まぐれで行ったヨガ
今日私は久しく行っていなかったヨガスタジオに行きました。
本当にただの気分転換、気まぐれで。
これはただの私の偏見ですが、ヨガって、女性なら一度は興味を持ったことがあるのではないでしょうか。
体型キープのためとか、ダイエット目的とか。
3、4年前、私も初めて行こうと決断した理由はダイエットのためでした。
ですが結論、汗をかくよりも瞑想の方にハマりました。
たった15分、目を閉じて自分自身に神経を集中させる。
深い呼吸、神経を指先に集中させる感覚、全身に巡る血液。それらすべての音を、自分だけが聞いています。
目を開けたとき、これまでになく心の淀みが浄化されたように感じました。
まあ、その後も通い続けてトライはしてみたものの、その感覚に浸れたのはその1回だけだったんですけどね。
それでも最近低迷気味の気分を紛らわせられたらと思い、軽い気持ちでレッスンを受けました。
前置きは長くなりましたが、ここで冒頭のインストラクターの言葉に戻ります。
「感謝」という言葉を、久々に人の口から聞きました。
もちろん、普段周囲の人から「ありがとう」と聞くことはあります。
ですが、初対面の人たちしかいない中で「感謝」という言葉が出たことが、何故か驚くほど私の心に刺さりました。
ああ、私大切なことを見失いかけてた。
と、はっとしたんです。
つもり:実際はそうでないのにそうなったと仮定した気持ち
「私の命は私のものだが、私のものではない。」
何処で耳にしたか覚えていませんが、ふと今日思い出しました。
嫌なことに遭遇したとき、私は
「こういうこともあるんだな、でもいい勉強をさせて貰えた。」
そう思います。
また、嬉しいことに遭遇したときもそうです。
「この出来事は、この場面に出会わせてくれた人や環境があってこそ出会えたこと。」
だから私は、常に感謝の気持ちを忘れないでいるよう心がけています。
どんなことに関しても、そこに行き着くまでの経緯や、原因がある。たくさんの人の気持ちや言葉、行動や環境が偶然重なって結論が生まれます。その結論がどうであれ、それが「今」です。
人間は独りで生きていない。だから「私の命は私のものだが、私のものではない。」のです。
ですが今日、その心がけが「つもり」になっていたことを思い出しました。
普段口にする「ありがとう」にいつの間にか何も感じなくなっていて、自分が心がけていたはずのことが当たり前になっていたことに気が付いた瞬間だったんだと思います。
いつの間にか、私の心がけは「つもり」になっていました。
当たり前の日常に改めて「感謝」する
今少しばかり心に余裕が無くて、沈んでは上がっての繰り返しの毎日は、変に焦りばかりが募ります。
たまに職場に顔を出すと「待ってるけど、焦らないでいいよ」と声を掛けてくれる人がいて、それでもそんな人たちがいると早く仕事に復帰したいと思って余計に焦る。
クリエイティブな人たちに出会うと、私も何か形にしたいと焦る。
調子が悪くて何も出来ない日は、やりたいことたくさんあるのに出来ない自分を責める。
すべては時間が有限であるから。
でも裏を返せば、休む時間も、何かする時間も、たくさんの人たちが与えてくれている。
そうして私の「今」は出来上がっていることを改めて実感しました。
そんな日常を与えてくれているすべての人に、改めて感謝の気持ちを思い出して、尚且つ忘れないでいたいです。
そしてその与えられた時間を、どうせなら楽しく、自由に過ごそうじゃないか。
私の好きな映画監督さんに、最近頂いたメッセージ。
「大事なのは今が1番楽しくあれることだよ。」
ありきたりな日常が、こんなにも幸せに感じたのは久しぶりです。
さて、明日はどんな日にしようか。
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