小さな魚への大きな過ち

水族館に、お客さんがこぞって見るような人気の魚とかいるじゃないですか、大きな水槽に入ったりして、泳いでいるじゃないですか。絶対的にそうなので、「〜じゃないですか」という表現を用いましたが、本当にそうじゃないですか。

わたしが一年くらい前に水族館に行ったとき、わたしそういう、大勢の人が注目してその魚を見るために来た、みたいな集団がとても怖いなって思ったんです。

何かに取り憑かれてしまったかのように一つの水槽にへばりついて感嘆の声を上げてみんなで同じ顔をしながら同じ輝きを目に浮かべながら同じ方向を見つめている光景にとても恐怖を抱いてしまったんです。

わたしもひねくれ者だなと思いますが、そういう場所にいたくなくて、その場から離れましょうと提案をしていました。今考えると、一緒にいた人はきっと何も考えることなくただ"人気の魚を見てみたい"と思ったに違いないのに、わたしは自分勝手にそんな提案をしてしまったことに今更ながら申し訳ないと思っています。でもあの時は、とても息が詰まる思いでした。

その集団から離れて、特に何が見たいというわけでもなく歩いて、歩いて、そして、一つの水槽の前で足が止まりました。水槽、と言っていいのか分からないほどに小さな小さな入れ物でした。その小さな入れ物の中に、それよりも小さな生き物が入っていました。

こんなに小さな生き物が、大きいとはお世辞でも言えない入れ物の中に閉じ込められていて、わたしは「なんとかわいそうなことだろう。」と思いました。ふと周りを見渡してみても、その生き物に足を止める人は誰一人としていなくて、この生き物がいることすら気がついていないかのようでした。

"僕を見て"と言っているかのようにゆらゆらと動くその小さな生き物にわたしは心を奪われ、誰一人としてこの子に気がつかないとしても、わたしだけはこの子の存在を確かにここにいると証明するんだと、誰でもない誰かに必死に誓っていました。

でも突然、突然といっても誓いをたててから少し時間は空きましたけれど、でも本当に突然に、わたしは自分がしていることに激しく間違いを覚えました。

わたしはその子の本当の気持ちをしっかりと聴くこともなく、勝手にかわいそうだと決めつけて、勝手に存在を証明しようとしていたのです。なんとおこがましいことか。全部、全部、自分勝手でわがままで、足を止めることもなく過ぎ去っていった彼らより、わたしはひどい奴であると気がついたのです。

それに気がついてしまってからは、もうこの小さな生き物を、生き物の姿を、生き物の目を、見つめることは到底出来ませんでした。自分が情けなくて、恥ずかしくて、たまらなくなって、どうしようもありませんでした。

そして、わたしはその小さな生き物の側から一度も目を合わせることなく離れました。その後、わたしがどんな魚たちを見たのかは何も覚えていません。わたしと一緒にいた人が、どんな顔をして、どんなことをわたしに話しかけてきたのかさえ、何も覚えていないのです。



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