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いつか許せたら

大型連休も終わり
わたしは心がへとへとで
GW疲れという名の五月病を懸念している

同じような状態の人へ
お茶を差し入れして回りたいな
言葉はなにもいらないから🫖🌿

𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃

私は自分自身を許せないときがある
それは時に自分を苦しめる

さらに最近気付いたことは
傷付けられた相手のことも許せないということ

語弊を恐れず書かせていただくと、
他人を受け入れるストライクゾーンはかなり広い方だと思う

ただ、一度 許せない のゾーンに入った場合
そこから許すに至るまでがなかなか難しくて


そうなってしまったら
その人から離れることにしているけれど
身近な人はなかなかそうもいかない場合がある

許せなくても顔を合わせなければならない日常がある

まさに今、私はこの壁に塞がれている



そのことを許すということは
今までの経緯や傷付けられたことを
受け入れること(なかったこと?)になると思っていて

許す?いや許せないよ。を永遠としている



私は日々許さないことをコツコツ続けていて
( 心のシャッターを閉じるとなかなかあけない )
( その人に言われたことをずっと考えている )
( どこかに書き出して、されたことを忘れない )

執着がすごい。笑

自分を傷付けた相手に対して
こんなにもエネルギーを消耗して
許さないことを続けている

なんだかおかしな話だなあ…



相手を許さないことは全部自分のためで
自分を守るためだと分かっているけれど、
そんな相手が自分の脳内を占めていると思うと
これは本当に正しいのか?と疑問に思った


自分が大切にしているものを
ぞんざいにされてそれを許すなんて
今の私には難しい

でも身近な人であればあるほど
許すことが必要なのかもしれない


それは決して相手のためではなくて
自分のためだと思い込む

手放すことで得られるものがあるとか、
相手に割く時間がもったいないと思えば
ギュッと抱えていた執着の手も緩むのでは…



そんなことを考えてはいるものの
まだ許すことが出来ずに日々が過ぎる

いっそどうでもいいと思えたら楽なのだろうか

私の心のシャッターは重い
閉じることもなかなか無ければ
開けることも容易ではない

今日もシャッターの前に座り込んで ため息をつく


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