マーキュリー・ファー。

苦しい内容の作品なのに、観るたびに少し優しくなれたような気がする、不思議な作品。
愛や優しさに気付いていけるのも嬉しいし、反対に苦しくもなってくる。

はじめは舞台上で繰り広げられる悲惨な光景に耐えることに必死だったけど、複数回観た今は、苦しい中にも確かにある愛を取りこぼさないように必死。

地方公演と配信が終わるまで感想ツイートできないので、何か思いついたら書き足していきます。
めちゃくちゃネタバレします。

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「ものすごく愛してる。だから~」の掛け合いは、エリオットは「ダレンと約束した」と言っていたけど、ダレンにとっては違ったんだね。

「そんな愛はもうどこにもない」って、すぐ近くにあったのにね。

ダレンにとっては、あの悲惨な出来事を受容するためだったり、困難を乗り越えてこの世界でエルと生きていくためのお守り的な存在だったのかな。

エルは、ダレンを傷つけたくなくて「この手で殺す」と誓ったけど、ダレンは、どんなに傷ついてもエルと一緒になんとか生きていきたかったんだろうな。
兄弟の間で解釈違いがあったのだと思うと、「俺は炎になって燃え上がる」って手を広げたエルに抱き着く、健気なダレンの姿が辛い。

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1回目観た後にミノタウロスの神話について調べたら、2回目以降ミノタウロスについて語るシーンがすごく好きになった。

ダレンの優しさを感じられるシーンでもあるし、終盤でナズを守るためにパーティーゲストを撃つことになるダレンにそれを言わせるのも…。

「ダレンにとってナズは人間でゲストは牛なんだな」とか、「ダレンがプレゼントにクローゼットの穴からご飯をあげてたのは、話したりすることでプレゼントを人間と認識することを防ぐためなのかな」とか考えながら観るのが楽しかったです。

ゲストやプレゼントの役名が、人間としての(?)名前でなく「パーティーゲスト」「パーティープレゼント」でしかないことにも繋がってくるのかな?と思ったり。

(にしても、観客のほぼ全員に「ナズは殺さないでほしい、プレゼントがそのまま殺されればよかったのに」って思わせるシナリオ、きついなあ)

エルは「まぁ細かいことは忘れたけど」って言って、ミノタウロスが生贄を食って養っていたことや、それに悲しむ市民のためにテセウスが退治しに行ったことを話さなかったけど、絶対忘れてないよね。
わざと話さなかったね。スピンクスに話してくれって言われた時嫌そうにしていたし。
もしエルがそのことを話していたら、ダレンは何て言ったんだろうか。
「話せば分かる」とは思わなかっただろうな。

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作品の随所に散りばめられたミュージカル映画、『サウンド・オブ・ミュージック』を観た。

サウンド・オブ・ミュージックは、ドイツ軍から逃れて、家族みんなでスイスに亡命するシーンで終わる。
そこで、マーキュリー・ファーの最後にも流れる『Climb Ev’ry Mountain』が流れる。

山を越えた先で、家族にどんなことが待ち受けているのかは描かれていないけれど、みんなで一緒に幸せに暮らしている家族が想像させられた。

マーキュリー・ファーの最後で『Climb~』を流すのは、サウンド・オブ・ミュージックのように、山を越えた先でも一緒に暮らしているエルとダレンを想像させたかったのかな。と思った。

「人は死んだら別の場所へ旅をする」。
優しくてあったかい星を見つけられているといいな。

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エリオットの「お前らのどっちかは素面でいろ」「一人はちゃんとしててもらわねぇと」って台詞、パーティープレゼントの代理がナズになる可能性を考えてたのかな。
パーティープレゼントの具合が悪いことが分かってたから。

でももしそうなら代理がナズかダレンの2択で考えてると捉えられる言い方だし、「この手で殺す」と誓ってるエルがダレンを代理にするわけないし違うか。

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父の言いつけを守りバタフライを一度しか口にしたことがなく、いい記憶も悪い記憶も全部抱えて生きているエリオット。
彼を苦しめるのは、いい記憶の方なんですね。

家族との記憶がしっかりと残っているエルは、両親が好きだった映画の歌(エーデルワイス)を流しながらバタフライを売る。

記憶が曖昧なダレンも、昔母に歌ってもらったであろう歌(きらきらぼし)をパーティープレゼントに歌う。

歌う姫から目を背け抱き合う兄弟の姿、胸が痛かった。
ダレンが歌うきらきらぼしに舌打ちをするエルも。
いい記憶に苦しめられている。

パブで歌っていた頃と同じ、綺麗な水色のドレスで歌う姫もまた、いい記憶に苦しめられている。

エルとダレンとナズが動物園の話をするシーンは、「悪い記憶よりもいい記憶の方が苦しい」ことを表してる。

動物が死んでる動物園の記憶しかないダレンは、「死んだ動物置いとく場所だよ」と軽く言っているのに対して、動物が殺される前の記憶があるエリオットは「生きてたんだよ、みんな生きてたの!」と声を荒らげてた。

確かに、死んだ動物を思い出すよりも、動物が殺されたことを知っている状態で、生きていた頃の動物を思い出す方が何倍も苦しい…。

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姫との最後の会話が、
母と子ではなく、姫と将軍としてで、
「将軍たちも来る?」
「ああ、すぐ行く。」
「よかった。じゃあ、庭で会いましょうね」
なの、めちゃくちゃ切ないね。
再会を約束したのに、少なくとも今世では、二度と会えなくなってしまった。しんどい

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めっちゃどうでもいいんだけど、マキュファ初回観劇の少し前に、母が看取るリアルな夢を見まして。
夢の中の私は、母の体温を測って、まだあたたかいことを確認して安心してた。

だから、ダレンが母の胸に手を当てて「これがあればもう安心だ」と思う気持ちは分かりすぎてしんどいし、それを語るシーンは毎回泣いてしまう……。

ラストシーン、ダレンはエルのバッコンバッコンを聞きながら死んでいってるように見える。

あのシーン、ちゃんとエルはダレンを自分の手で殺せたんだろか。

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