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"バイタル・サイン"を書いた時に考えていたこと

今年の初めにモマハイツというバンドから、バイタル・サインという曲が公開されました。この曲を書いた当時の出来事を、備忘録的に書いてみようと思います。


当時は埼玉の8畳のアパートで1人暮らしをしていました。
日中は会社員として働いて、夜帰って来て、夕飯を食べ、シャワーを浴び、元気があれば曲を作る、というような毎日でした。

ただ、仕事がややキャパオーバー気味だった事もあり、帰宅後に何か創造的な事をする気には中々なれず、机には向かうものの、気付いたらYouTubeで犬の動画などを観て時間を浪費していました。

「今日も曲が書けなかったなぁ…」という独り言だけが、1日の中で唯一の、作曲家としての自分でした。

そんな日々の中、母から連絡がありました。
母の父(僕の祖父)が身体が徐々に動かなくなる難病にかかっていて、在宅介護をする事になった、との事でした。

ALSと呼ばれるこの病気は、受け入れてもらえる病院が少ないこと、祖父が大の病院嫌いということもあり、祖父の家で在宅介護という選択になりました。

祖母と母と伯母の3人体制でしたが、夜通しのお世話が必要となることや、勿論それぞれの仕事や生活もあるので、体力的にも精神的にも厳しい介護のようでした。


母の住む家から祖父の家までは1時間程度の距離がありました。そこで、時間があえば僕が車で母の送り迎えをするようになりました。自分のアパートから母が住む実家へは電車で30分ほどなので、仕事終わりにそのまま実家へ帰り、母と2人で車に乗り込み、祖父の家に向かいます。

車での移動はそれなりに長い為、互いの近況報告や、介護の話だけではなく、これまで聞いた事もなかったような話を色々としてくれました。

母の幼年期のこと、結婚する前にしていた仕事のこと、僕が産まれた病院のこと。初めて聞く話ばかりでした。

特に記憶に残っているのは、本当は祖父への不満があったことでした。
昔から、母と叔母から祖父への当たり方が強い気がしていましたが、そこには納得できてしまう理由がありました。

そんな話を聞きながら、祖父の家に到着します。


母に世話をされる祖父は、子供と言って差し支えありません。
祖父が何を言っているかほとんど分からないので、一生懸命に聞き取ろうとするのですが、大抵は「アイス」です。

母と祖母に「さっき食べたばっかでしょ!」と良く怒られていました。元気な頃から、甘いものが大好きな祖父は、本当に命が尽きるギリギリまで、甘いものを要求していました。

母から祖父への思いの一部には、憎しみまでとはいいませんが、不満があったことを聞いていましたので、母はどんな気持ちで介護しているのだろう、大丈夫だろうか、と余計な心配をしていました。

わがままな子供の世話をするような母の姿を見て、それは杞憂に終わりました。


ある時、母が横になっている祖父に想い出話をしていて、僕は少し離れた場所からその様子を眺めていました。

話している言葉以上に、その空気感に祖父と母の繋がりを感じて、このくらいの位置から眺めるくらいが丁度いいと思いました。

疎外感は全くなく、むしろ今までに感じたことのない、暖かい感情になったことを覚えています。

僕個人としては祖父との思い出は少ないです。

けれど、その風景を眺めながら、これまで僕が母からもらったもの一部は、母が祖父からもらったものが形を変えたものなのだろうと、感じていました。



僕のギターは9mm育ちです。

なので、「なんかギターのフレーズ微妙だなぁ…」と思ったら、まずはオクターバーをかけるようになってしまいました。
(メインとなる音のオクターブ上、またはオクターブ下の音を足して、音をカッコよくします。以下の曲のイントロのギターの音を聴いてみてください。)

バイタル・サインのギターリフ(0:52~1:03、2:03~2:15、3:45~3:57)は正にそれです。

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