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書くということ

ホームページを初めて作ったのは中学生の時だった。

日記のようなものを書いて公開していた。ほとんど毎日。

何をそんなに書くことがあったんだろう。なんでそんなに書けたんだろう。

書けなくなった今になって思う。

一つ分かるのは、中学生の頃と今の自分との違いは、書くことに意味を求めているか、いないかだということ。

中学生の私は、自分の文章で価値を作ろうとは思っていなかった。心の内をつらつら書いて、それで誰かが「良い」と言ってくれた。誰かとつながれた。当時はつらいこと、切ないことを大仰に書いて、かなしいかなしいなんて言っていたけれど、それはなんて幸せなことだったんだろうと、今は思う。

今の私は、価値がないと、書く意味がないと思っている。誰かの感性に引っかからないと、誰かの役に立たないと、誰かの共感を得ないと。そのためには、テーマを決める、タイトルを分かりやすくし、文章はパラグラフをつくり簡潔に。だがしかしそうなると紋切り型になっていけない。「~をして分かった10のこと」「~が○○すぎなワケ」「~したら○○になった話」。

自分の書きたいものって、そんなんだったっけ。

自分の書きたいものが何かなんて分からない。でも、そんなんではないことは分かる。

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書きたいものなんて意識せずにいろんなことを書き連ねていた私は、それはもう最強だったと思う。

意味なんて求めずに、目の前のことに向き合えるということは、最強だ。

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大人になった私に、それはもう無理なことだ。何かしらに意味を求めてしまう。価値を作らねばと思ってしまう。

けれど、ここだけは、そういうのナシの場所にしたいと思う。

文章が書きたいから書く、いい写真が撮れたから載せる。ただそれだけの場所にしたい。それを「良い」と言ってくれる人とつながれたら、それでいいなと思う。今は。

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