見出し画像

不合格だった人へ。

(この記事は、2022年度の東京藝術大学 美術学部の試験を受けた人に向けて書いており、それ以外の人には直接関係のない話になっています)


こんばんは、おつかれさまでした。

とりあえず時間をかけて、たっぷり休むといいと思います。好きなもの食べましょう。行きたいところへ行きましょう。

さんざん遊んで眠くなったら、アラームかけずに寝ましょう。眠れなかったらそれはそれで大丈夫、好きな映画でも見ましょう。

あとは、友人と遊ぶのが一番いいかなと思います。カラオケで叫びまくったり、二十歳以上なら酒を浴びるほど飲んだり。とにかく、あんまり独りで抱え込みすぎないようにしたいですね。




夜の一番暗いところにいるあなたが、果たして何を思いながらいま息をしているか、到底計り知れません。

自分の当時を思い出しながら想像するに、恐らくひどい虚無感、無力感、悔恨、何かへの許せなさ、不甲斐なさ、申し訳なさ、などが混ざりあい、心の内を蠢いているのではないかと思います。



あんなに頑張ったのに、どうして。
何百枚も描いてきたのに、一次試験すら受からないなんて。
他の全てを捨てて挑んできたのに、滑り止めにすら受からないなんて。
この一年間は、この数年間はなんだったんだ? ただの徒労だったのか?

そんなふうに疑ってしまうのも分かります。先生や家族に対し申し訳なく思うのも分かります。自分を肯定する理由なんて、今は何ひとつ見つからないかもしれません。




だけど、あなたは強いんだ。勝ち負けなんかとは関係なく、あなたはずっとずっと強い。信じてもらえないかもしれないけど。



そんなふうに何時間もかけて絵を描くなんてこと、普通しません。ましてそれを受験に選ぶなんて、普通しません。学校の先生や家族に反対された人もいるでしょう。だけどあなたは強くそれを選んだ。すごいことです。


そして制作の日々。初めて思い知る自分の下手くそさ、弱さ。

目を背けたい自分の無力さに立ち向かい、作品をつくりつづけ、晒し続け、勝ち負けを繰り返してきたことでしょう。時にすべてが嫌になって、たまらなく惨めになって、自分を何度も嫌いになったことでしょう。

それでもそのたび、あなたはあなただけの理由で、立ち上がり続けてきたことでしょう。絵を描くのは辛くて苦しかったけれど、きっとそれだけではなかったでしょう。

初めて先生に褒められた日。初めて評価が中段にのぼった日。初めて友人に声をかけてもらった日。嬉しくて嬉しくてたまらなかった言葉。


あなたは逃げなかった。あなたは捨てなかった。あなたは自分の力で、茨の道をここまで進んできた。こんなに美しいこと、他にないです。あなたは強くて、気高くて、そして正しい。


どうか忘れないで。この先もずっと、決して忘れないで。



あなたの進んできた道を、その決断の全てを、あなただけはどうか認めてあげてください。できれば誇ってやってください。

全力の敗北は、全力で挑んだ人にのみ与えられる特権です。そりゃ受験は勝負だから、勝ち負けはつきます。だけどそれを失敗だなんて思わないでください。


あなたはきっと気づいていないでしょう。あなたのその頑張り続けた姿に、その切実な命の輝きに、数え切れないほどの人が勇気を貰っています。

周りに申し訳ないなんて思う必要ないです。そんなふうに思わないでください。あなたを応援する人は、みんなあなたが大好きだから、間違ってもあなたを責めることなんてありません。
もし誰かに馬鹿にされても、もし家族に否定されても、そんなの真に受けないでくださいね。そんな奴らに何が分かる。

何ひとつ無駄になんかなったりしないよ、大丈夫。何ひとつ消えない。





たぶんこの先もうちょっとの間、苦しい期間は続くかと思います。それが何日か、何週間か、何ヶ月か、分からないけれど。

幸せな人にもそうじゃない人にも明日は等しくやって来て、生活は何食わぬ顔で続いていきます。それはとても苦しいことでしょう。

普通に歩いている自分がひどく後ろめたくなったり、大事な人のことを思い浮かべて急に泣き出したり、時に世界の全てに否定されたような気になることも、きっとあるかと思います。



僕だってそうでした。消えてしまいたい。消えてしまいたい。真っ暗な部屋の中で何度もそう唱え続けました。それでも人生は続きました。

まだ生きていこうと思える理由をかき集めて、それでも片手にほんの少し乗るくらいしかなくて、なんなんだよって泣けてきて、友の励ましにも苛立って、過去ばかり見つめていました。それでも人生は続きました。





もしあなたがそれを望んでいないとしても。

どうか、死なないでください。明日もどうか、生きていてください。



これはものすごく残酷で、無責任なお願いだとも自分で思います。けど、どうかお願いします。あなたの旅路がここで終わって欲しくはない。この挫折の先に光を見出し、そしてまた誰かの背中を押す存在になって欲しい。そう願います。


死にたい気持ちのピークは多くは夜です。その夜を、どうにかこうにか生き抜いてほしいです。なんでもいいです。遊びに行くでもいいし、あんまり人に言えないことでもいいです。どうしようもなくなったら僕にDMを送ってください。全力で返事するから。

大丈夫、あなたはいくつも乗り越えてきたじゃないか。










少しだけ、これからの話をしましょう。


別の場所に向かう人へ。

多くの人は他の美大だったり、専門学校に行く人が多いですかね。あるいはバイトだったり仕事だったりするでしょうか。

受験というフェーズを終えて、次に進むこと。勇気と覚悟を要する決断だったと思います。



しばらくの間、その決断は本当に正しかったのか、と迷うこともあるかと思います。特に、まだ予備校で頑張り続ける人を見た時なんかは。

けれど、きっと正解だと思います。未来の自分が、正解にしてくれるはずです。僕たちにはそういう権利と力があります。


不合格だった人の作品をSNSで見ると、僕なんかよりよっぽど上手いじゃないか、とよく思います。また、一緒に受験をしていて、現在は他大学にいる同期の活躍を見て、ひどく焦ることもしばしばです。

とすれば、合否は本当に、最後のちょっとした分かれ目に過ぎなくて、そこに至る過程にこそ価値が宿るのだとあらためて思います。

僕たちの本当の価値は、大学名なんかじゃないはずです。
僕たちの本当の価値は、これまで描いてきた絵の枚数です。
僕たちの本当の価値は、講評ノートに書いてきた何万もの文字です。
僕たちの本当の価値は、これからつくるいくつも作品たちです。


大丈夫。この先どうなろうが、環境が変わろうが、性格が変わろうが、積み重ねてきた事実は消えない。どこへだって飛んでいけるさ。大丈夫。




もう一度頑張る人へ。

もしくは、まだ迷っている人へ。
他の大学に進んで、なお目指すという人もいるでしょう。

とりあえず金銭的なハードルは、大概どうにかなるものです。予備校の授業料免除などもあるし、その気になって自分で働いて稼げば、結構なんとかなります。



もう一度やる、と決めたその選択も、やはり勇気と覚悟を要するものだったでしょう。どちらが正しいということもないですが。


浪人の苦しさは、他の誰かと比較した時に強く抱くものである気がします。自分の同級生はもうとっくに大学生になっていたり、働き出したりしているのに、と自分の歩みを疑うこともあるでしょう。

また、浪人の年数が増えてくると、よりそうした苦悩は増していくものです。三浪、四浪と増えていくと、似た状況の人もだんだん減っていきますしね。僕も三浪でしたし、落ちたら四浪してましたし、その孤独は少しは分かる気がします。

けれどそんなのは、本当は関係ないんですよね。受験は比較のなかで戦うものだけど、人生はそうとは言えない。あいつはあいつで、僕は僕で。そもそも藝大や美大受験なんて、一般のレールとは違った道なんだから、気にしすぎることもないでしょう。自分の選択を誇り、惑わされないで信じてください。どうかお願いします。



それでも外野は口うるさいもので、文句や揶揄を送る人もいます。大学なんてどこに行っても大して変わらない、早く先に進んだ方がいい、どこに行くかより何をするかが大事、そんなことを言う人もいます。厄介なことにそれは一部正論だったりもします。

でも、正しさになんてどれくらいの価値があるでしょうか? 僕たちにとって、理解されないことは誇りでしょう?

何より、あなたが求めているのはきっと、正しさよりも納得なのですよね。振り上げたその夢の置き場が、まだ見つからないんですよね。


ならば納得できるまで、戦い続けておいでよ。
大丈夫、誤差だぜ。おれたちが美術にいる限り。




最後に

僕たちは間違っていていいはずです。さんざん迷って疑っていいし、傷ついて泣いてを繰り返していい。だってまだ若いんだから。それで正しい。

あなたは強くて、気高くて、そして正しい。何ひとつ無駄になんてならない。


大丈夫。何年後か、何十年後かの未来の僕らが、今の僕らを見て、あの痛みがあったから今の自分があるんだと、そう言って高らかに笑っているはずです。辛いことは数え切れないほどあるけれど、喜びだって数え切れないほどあります。

だから、そんなに泣かないで。少し休んだら、また歩こう。



互いの幸運を祈ります。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?