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太陽と月

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もうかれこれ何年、アイドルのおたく、とやらを自称しているのだろう。


どこまでお金を使ったらおたく、どこまで気持ちがのめり込んだらおたく、いやもうその定義はよく分かりませんけれど。
その定義を自分で決めていいとするならば、私はもうだいぶ長いこと、誰かの「おたく」であるようです。


それでも、その「誰か」という矢印の向きは何度かターゲットを変え、心の持ちようや生活への溶け込み方も変わっている。

正直、自分の生活とのバランスを上手に取れる自信がなくて、こういった風に誰かを見て、時間とお金を使って、それでもって元気や活力をもらおう、みたいなことをやめてしまおうと思っていたりもしたんです。
だって、そんな余裕が、誰かを見ている余裕なんてなくなると思ったから。
自分のことで精一杯の自分が、誰かに何かを綺麗なまま渡せる自信なんて、これっぽっちもなかったから。

でも、その考えが逆に甘すぎました。
自分に余裕がないから、自分に向き合っているだけじゃ孤独で辛くて仕方ないから、頑張り続けられるほどの勇気もないから。
自家発電して持ち堪えられるだけの光はまだ発せないから、誰かの光を頼りに生きているんだなあ、って。

メンタルを阻害するかもしれないと危惧していたことが、結局のところ一番メンタルを癒してくれることだったわけです。

まあ勿論、嫌なこともありますよ、SNSとかさ、怖いよね、ほんと。
でもさ、やっぱり貴方達が繋がっていようとしてくれていることが嬉しくて、きっぱり何にも見ませんさようなら、までは決心できないままなんです。


そうやって、ポジティブな意味での依存先を見つけながら、他人の人生に勝手に自分を重ね合わせたり託したりしてみながら、不器用ながらに毎日生きている。
そんなことしなくても生きていけるようになるかもしれないし、側から見たらやっぱり「そんなこと」なのかもしれないけれど。
それでも、上手く生きれないことの解決策なんだから、上手く生きるための精一杯の抵抗なんだから、少しでも楽しめているだけで万々歳なんじゃないでしょうか。
私は一体誰に向けて正当化を試みているんでしょう。自分かな。



前置きが長くなりましたが、今日はふと思い立って久しぶりにこの場を動かしています。
最近(ほぼ)初めて1人で旅行みたいなことをして気づいたことは、私本当にぼーっとしてるんですよ。ずっとぼーっと1人で考え事してる。脳内で勝手に自分相手に討論したり空想したりずっと。
そんなことを特段賢くもないこの脳が覚えておいてくれるわけもないので、ここに託します。


ここ数年で、私には「太陽」と「月」が、それぞれ現れてくれました。


今日はそんな、なんとも不思議で未知のような、なんとも愛おしい人たちのことを徒然なるままに、いや全く徒然てはないんですけど、書いてみようかなと思います。
また導入に1000字以上も使ってる…気持ち悪いな自分…。
いつものことながら見切り発車ですが、気を取り直して、では。



SEVENTEENのJUNこと、文俊辉。私は、ジュンさんって呼びがち。
私にとってのヒーローであり、太陽である人。



ステージで輝くジュンさんを見るたびに思うんです、本当に私の光だなあって。
ビジュアルも好き、フィジカルも好き、歌声も、ダンスも、表現もそれに対する姿勢も全部が好き。「表現者」としての好みど真ん中、みたいな人。
この人がステージに立っている姿を見ることができるなんて、贅沢で、幸運で、素晴らしいことだなあと月並みながら毎回思ってしまいます。
でも本人は、いつでも自分に満足することがなく、自分に対してはめちゃくちゃ貪欲でストイックで、不思議なくらい謙虚なんですよね。本当に。


ジュンさんは、わかりやすいようでわかりにくいというか、本人はいつでもあっけらかんとしていて、隠すそぶりなんて全くないのに、いつまで経っても彼の本質を見抜けそうになくて。
ずっとそのままで、ずっと嘘がなくて、ずっとわからない人。それが私の思うジュンさん。
あんまり彼との性格が似ていないからそう思うのかな。でもきっと、最上級の褒め言葉として、彼は独特の感性とほかの人には見えない何かを感じ取れる才能があるんじゃないかな。


ジュンさんになりたいなあ、ジュンさんみたいになりたいなあ、って。

貴方を見つけてからいつも思ってます。
できれば貴方みたいになりたいなあ、貴方みたいな輝き方がいいなって。
たくさんあるよ、いいなあって、羨ましいなあって、尊敬するなあってところ。

人が見えないところで努力できるところ、それを当たり前だと思ってひけらかしたりしないところ。やりたいことのためには自分から動き出す力があって、真摯で真っ直ぐで嘘がないところ。
自分の感情に非常に素直なところ。その分怒りっぽいとか、テンション高いとか、不思議とか変わってるとか言われなくもない(??)けど、基本ベースがご機嫌で楽しそうなところ。
辛いこととかしんどいことがあっても、自分のご機嫌を取る方法を知っているところ。だからこそ、ずっと元気で、ずっと暖かくて、余裕がある(ように見えている)ところ。
なのに実際はやけに現実的で、いい意味で夢みがちじゃないところ。「僕のことが好きな人は僕が何をしても好きでいてくれると思うし、僕のことを嫌いな人は僕が何をしても嫌いだと思う」と、なんでもないように語れるところ。
何より、ちゃんと自分を愛しているところ。

今思いついたままに書いてみたところ、所要時間約3分。
多分もっと時間をかけて思い出せば、たくさんたくさん出てきてしまうので、このくらいで。


私が執拗に影に足を運びそうになる時、端っこでうずくまって、もう二度と出て行きたくないって意固地になっている時。ジュンさんの底抜けの明るさと、全力で今を楽しんで生きている姿が、私の人生にもう一度、もう二度三度、と光を差してくれるんです。
無理矢理にじゃなくて、自然と。私が、あそこに行ってみたいなって自発的に思って足を運ぶみたいな感じ?
妙に現実的で、でも妙にポジティブで健気で、私からすると到底理解できないようなバランスと人間性を備えている、ジュンさんだからなのかな。


貴方がいるだけで、貴方が貴方らしく立っていてくれるだけで。
ああいいなあ、素敵だなあ、ああなりたいしああいう人を見ていたいなあ、って。
だからもうちょっとだけ、頑張ってみようかな。あんな風に頑張れる人でいたいな。
ああいう生き方をして、考え方をして、時間の使い方をして、幸せになってみたいな。
幸せになってもいいのかな、なってみたいな。
そう思って、もう一回、小さな一歩を踏み出す勇気をくれる人です。


好きなのは当たり前なんです。そこにいるのも(当たり前じゃないけど!!!!)当たり前なんです。
だってずっと好きだから。ジュンさんがいうように、私はジュンさんのことが大好きだから、多分どんなジュンさんでも、ジュンさんがジュンさんでいる限り、ずっとずっと、何しても好きなんだと思う。
多分一生なれなくて、でも一生憧れの、どんなところにいても私を救ってくれる、ヒーローだから。

毎日新しい1日を導いてくれて、私が見上げる丁度真上で、遠いところから強烈な、でも暖かい光をくれる人。
ジュンさんはそんな、太陽みたいな人。




NCT DREAMのJEAMINこと、나재민。私は、ジェミンちゃんって呼んじゃう。
私にとってのナイトであり、月みたいな人。



ジェミンちゃんを最初に見た時の第一印象、「顔整いすぎて逆に覚えにくい人だ。非常に異常にセンター向き。」
真ん中できらきらする人、あんまり好きになる傾向になかったもので。自分としては、いやうちの妹も、なんだか意外だねってよく言うしこれからもずっと思ってそう。
でもなあ、好きになっちゃったよ。アイドルとしてのナジェミン。
ジェミンちゃんがステージに立っている姿を見ると、本当になるべくしてアイドルになった人だなって思うよ。
やっぱり歌声もダンスも大好きなことは大前提なんだけど、ステージに立っている人を見てここまで「儚いな」って思ったことはなかった。
なんだかとても切なくて、儚くて、危うくて、大切にしたいなって。アイドルとしてのナジェミンには、そういう魅力を根底に感じています。


テンションの上がり下がりが激しくて、これまた発する言葉する行動全てが強烈だから、結構そういうところばっかりフィーチャーされてしまいがちなんだけど。
実は根底は大切な人たちへの大きすぎる愛と思慮深さが根底にある人なんだろうなと思っていたりします。ちらっと通っただけじゃわからないような、大きな何かで包まれているけれど。
そんなちょっと不器用で複雑な暖かさが、好きになった一番のところかもしれない。
あとはなんだか、人から誤解されやすいところとか、二面性があるところとか、よくわからないけどやっぱりちょっとだけ不器用なところが、非常に勝手ながらシンパシーを感じるところ。
ジェミンちゃんと似てるとか、もうめちゃくちゃに何言ってんだ自分嘘つけこの野郎案件ですけどね。感じる分には自由ということで免じてほしい。
というか不器用なのかな。不器用っていうか、必要以上に自己開示をしないところとか、マイペースでマイウェイをゆるゆる突っ走れるところとかが、あんまりうまく生きることを考えられるタイプじゃないんだろうなってところが、そもそもの私(私は本気で生きるのが下手くそタイプです)となんとなくおんなじ匂いがするように感じるのかな。


人をとことん愛することができて、とことん愛を与えることができる人。
だからこそ、たっぷりとそれ以上の愛が、ジェミンちゃんに返ってきたらいいのになって思ってしまう。
私がそんな風に愛される資格のある人じゃなかったとしても、ジェミンちゃんがもうそれはそれはたんまりと大切にされる姿を見られたら、じゅうぶんかもしれないなって言っちゃうくらい。

でも、ジェミンちゃんは本当に、返せないくらいの愛をくれる人だからな。
別に自己紹介もしたことないし、認知なんてもちろんされてないし、でもそういうことじゃないですよ。
ジェミンちゃんが「こちら側」に向けてくれる愛は、本当に「こちら側」1人残らず、その1人1人に向けてくれているように思えてしまう。
毎日のように送ってくれる「今日もいちにちお疲れ様」も、私たちの健康にうるさいくらいに小言を言ってくれるところも、いろんな言語を(多分元々はそこまで言語の勉強を好んでしていたタイプでもないのに)学んで使ってくれるところも、「可愛い、かっこいい、綺麗」って、「お姫様、王子様」って言ってくれるところも、全部。

ああ、ちゃんと私「にも」愛を向けてくれているんだな、愛してくれているんだな、って錯覚してしまう。
多分、これは想像だけど、錯覚なんて言ったら怒ると思う。それくらいの人。笑


愛してくれるから好きです、なんていうわけないじゃないけど。
こんなに愛してくれる人、なかなかいないんじゃないかな、とは思ったりもする。
愛してくれるから好きです、じゃなくて、こんなに愛することができる人だから好きです。


昔から人より少しだけ孤独を感じやすい私が、1人が好きで一番楽なのに、独りになることを人一倍恐れている愛に飢えた私が、明日が来ることが怖くなってしまう夜。
そういう弱っちい自分が一番欲しているものは、何よりも、ジェミンちゃんが躊躇いなくくれる、そういう類の「愛」であったりする。
もう無理かもしれないな、明日が来ない方法でも落ちてないかな、って泣きそうな夜に、貴方がくれる暖かくて温かい愛は、目には見えないけど確実な愛としてこちら側に届いて、何よりも大切に私を包み込んでくれます。

安心して眠っていいかな、明日を迎える準備が不十分でも、今日はもうやめてしまってもいいのかな。
不完全な私を、受け入れてくれる人がいるのかもしれないな。
きっと貴方なら、受け入れて、なんなら抱きしめてくれるかもしれないな。
そうして、重い足を動かして布団を抱きしめた夜がいくつあったかは、勿論ジェミンちゃんが知る由もないのだけれど。


私がいなくても貴方はびっくりするほどに光り輝いているし、私がいなくても、きっと私も貴方がいなくても生きていけるんだろうけど。
暗くて寂しくて悲しい夜に、ただそこにいるだけで、ジェミンちゃんがいてくれるだけで、たくさん守られている人がここにいるんだよ〜。
ずっとそばにいて、抱きしめてくれるような感覚を与えてくれる、ナイトみたいな存在だよって言ったら、多分貴方のことなので屈託のない笑顔で喜んでくれるでしょうね。


毎日の終わりにいろんな形で、寂しい時の涙を、嬉しい時の笑顔を全部受け止めて、ここにいるよって柔らかく照らしてくれる人。
ジェミンちゃんはそんな、月みたいな人。




自分でも思う。ポエマー臭くて、ちょっと「イタい」のかもなって。
昔からまあまあこういう文を綴る節があって、こういう自分のことをすごい嫌った時期もあるけれど。ここまで書くのも才能かもなってポジティブな捉え方をしていた自分を思い起こして、行き場のない気持ちをうまくここで消化してみたつもりです。

初めて芸能界に生きる人を推してみたあの時、あの人にさよならを言うきっかけは、「ああ、この人がいなくても私は生きていけるし、この人も別に私がいなくても生きていける人だったな」と頭で冷静に理解した時だった。
今あの時を思い返すと、あの時のあの自分は、すでに新たなステージに向かってスタートを切っていたところで。そのステージの転換点で、あの人に対しての気持ちが、今までとは違う形で、幸せを願う人になったってだけだった。
これまでもそうで、私はこうやって、誰かの生き様にいろんな想いを馳せて、いろんなものを背負わせて、非常に身勝手に、残酷に消費してきたしこれからもきっとそうなのかな。

「おたく」でいることは、そういうことなのかな。


でも無闇に、ネガティブな言い回しをしてネガティブな方向に持っていかなくてもいいよね。
こういうところものすごく悪い例で、何でもかんでも悪い方向で考え始めるんですよね。
あと多分今深夜テンションというか、ちょっと苦手な時間帯なのに思った以上に頭が冴えてずっと頭がぐるぐる考え事で埋め尽くされているからかもしれない。

結局のところ、さほど上手く生きる術も身に付けられず、なんの取り柄もない私みたいな人間が、なんとかして表面張力ギリギリみたいなことに何度もなりながら踏ん張り切れているのって、間違いなく彼等のおかげで。
それなら、それでじゅうぶんだよね。
この際、何にもあげられていないとか、何にもしてあげられないんだな、みたいなネガティブなものは棚に上げておこうと思う。
ここまで卑屈な人間がなんとかして一生を終えられたら。諦めそうな瞬間のその1回に彼等が関わってくれて、そうして今こうして言葉にして綴れるだけの気持ちがあれば。
信じられないほどのパワーとエネルギーと、幸せだな、これからも生き続けたいなって気持ちをくれた貴方達には、この気持ちを糧に不器用なりに人生を送り続けることでもって、意味のない恩返しになるのかなとでも思っておきます。


幸せになってね、ってたくさん言ってくれるからこそ、頑張って幸せでい続けようと思う。
時には手が届かないなって痛感するほどの光を放ってくれて、時にはいつでもここにいるよとでもいうように優しく寄り添ってくれて。
本当に不思議な人たちだな。そんな不思議な人たちのおかげで、不思議と今日も生き延びている。

昔から空を見ながら、ぼーっといろんなことを考えながら音楽を聴いて歩くのが好きだった。1人だけど独りじゃないその時間が、今でも大好き。
見上げると、いつでもそこにいるように、いつでも光を共し続けてくれているように。
私の光で、私のロールモデルで、私の助けである貴方へ。
手を離さないでいたいなって思える限りは、まだまだ助けてもらうことになりますが、何卒。

「おたく」、頑張って明日も生きてみるよ。




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