28歳で子宮全摘出した話


随分時間が経ってしまったけれど、色々落ち着いてきたので綴ります。

※リアルな表現があります。苦手な方はお控えください。



2021.9.15 3度目の入院


なぜ今年3回も入院しないといけないんだろうなんて思ったって仕方がなかった。自己嫌悪に苛まれ入院の手続きを済ませたのは朝の9時。
看護師さんから入院計画のお話と15時からMRIのお知らせ。
明日手術なので太めのルート取りますね、と点滴を通されるが場所が悪かったのかなんなのか、手首から上が一切使えない。ずっと手がシビシビしていた。取り敢えずMRIを撮って造形剤の副作用はなく。

病棟へ戻り、晩御飯食べた後にどうしても腕の痛みが我慢できずに点滴のルートを抜いてもらった。
「明日刺し直しになりますけどいいですか?」と威圧的。やめてもっと優しく言って。

担当医が回ってきていろいろ話を聞かせてもらって、ついでにオペ看護師さんも来てた。そこで無理なお願いをしてみる。
「取った子宮の写真を見せてもらえませんか?」
「カルテに載る写真でもいいなら」と了承を得る。

そして不安で眠れず。
消灯後、看護師さんが見回り来た時に話しかけてくれて、別室に連れてってくれて泣き止むまで話を聞いてくれた。
身体の痛みも心の痛みも将来の不安も誰かにぶつけても私はスッキリする方ではない。けど誰かに聞いてもらうってことが苦手な私には新鮮で、そしてとても救われた。

2021.9.16 手術の日

問答無用で朝が来る。手術の時間は午前中なのでそれまでに色々処置をしてもらって覚悟を決める。
悲しいとか苦しいとかの感情はもう分からなくなっていたんだと今になって思う。

手術に関しての緊張はあんまりしなかった。先生の腕は信じているし麻酔科医は前回の手術の時と同じ人なので安心しているし。そして呼ばれて手術室へ

予定手術時間は2時間だったけど3時間くらいかかってたみたいだった。

終わりましたよ、と声をかけられて目を覚ます。人生においてこれほど辛くて嫌いだと思った瞬間はないと思う。
深呼吸してください、と言われても目を覚ました瞬間の鈍痛でそれどころではない。前回の手術の時になかったその痛みに声も出せない。

腹腔鏡下手術で切られたお腹の傷が痛いのではなく、おそらく子宮を摘出して縫ったであろう内部が恐ろしく痛い。私の体感で生理痛の10倍痛い。

そして麻酔の副作用なのかわからないが吐きそうなくらい具合が悪く、意識もあるのかないのかもわからない。口から出ているはずの音は他人には聞こえそうにない。音が出ない声で必死に痛みを訴え、後から聞けば大丈夫だよと声をかけられていても「痛い」としか言わず薄ら涙を流していたらしい。気付けば病室に帰ってきていたし色んな点滴入れてもらってたし痛みが引くことは全然なかったけど、つながれていた心電図?ずっとピコンピコン鳴ってたし目眩のような感覚がずっとしていた。

あとはなんも覚えてない。深夜に看護師さんが来てくれて何か話した気がするけどあんまり覚えてない。「痛みどうですか?」みたいな話だった気がする。でも次の日にはケロッと良くなってた。




2021.9.17 術後1日目


子宮をとった、感覚なんてものはわからない。
痛みはまだあったが、身体の変化は何もない。
摘出したなー、という気持ちはあったがそれに対して感情があまりなく頭は働いておらず。朝の検温の時に色々話をされたが頭に入っておらず。
バルーンも外し、痛みが和らいでるうちに少し歩き、トイレも積極的に立って少しでも社会復帰を早めようと必死になっていたと思う。その時の気持ちはあんまり覚えてない。
TwitterやInstagramをなんとなく眺めながら喪失感に苛まれていたかもしれない。あんまり覚えてない。
排尿のコントロールだけは少し難しくて、お腹が少し張るたびに蹲っていたことは覚えてる。


2021.9.18 術後2日目以降


ここまで来るともう看護師さんは一定の業務だけ済ませて病室に寄り付かなくなる。会話も必要最低限。
朝回診の時にお医者さんと少し話して、後は決まった時間に看護師さんがきて検温やお腹の様子を見て終わり。
そしてこの日から大部屋4人中3人が退院して私一人になった。なんだか少し寂しくなって、youtubeに籠った。人の声は安心する。ホームシックになっていたし早く退院したいなーなんて思ったけど休日に退院はできないと言われたので連休明けまで1人かという悲しみ。
歩くのも平気になっていたしご飯も食べられた。

2021.9.19〜9.21

憎たらしいほど天気が良く、術後の経過も良く。なんの心配もない。休み明けには退院できそうだね、と言われたのでクヨクヨしないように腹を括る。自分で決めた道!幸せになる!と気合を入れる。当面の目標は日常生活を送る努力をすること。
きっと退院したら大変になるけど頑張る!と気合を入れ直す。

お薬の処方に時間がかかったけど、傷口も問題なく無事に退院。なにかあったら相談してくださいが心強かった。

摘出した子宮の写真を見せてもらった。
ピンク色でツルッとしていてとても可愛かった。卵くらいの大きさしかないのに、16年間頑張ってくれてたんだなという感動と同時に生命の神秘を感じた。
「大切に病理検査に回します。」に「ありがとうございます」とちゃんと言えてなかったと思う。


2021.9.29 術後通院

結果、転移なし、追加治療なし!
抗がん剤治療が懸念されていたが、しなくて大丈夫だねと言われ安心。

病理に出した時の写真も見せてもらった。
子宮を割った写真なんてなかなか見れないし、ショッキングな写真ではあったけど自分の体内にあったと思うと少しだけ愛おしかった。黒くなっていた部分を見て少し悲しくなったけど、貴重なものを見せてもらったと思う。


今後どうなるかは分からないが、とりあえず治療は一旦終わり。3ヶ月後また来てくださいと言われ帰宅。
職場に追加治療なしの報告したら、激励のお言葉とお帰りを頂いて嬉しかった。


緊急事態宣言が出ていたので職場は休業していた。
10月から営業再開するとのことで週末明けから出勤することになり、負担のないようにと心遣いまでしてもらって、いつも通りみんなに接していたらなんだかよそよそしかったけど段々打ち解けてくれて安心した。

絶対無理はさせてくれない布陣になっていたし、後輩の心遣いに感謝した。



2021年9月16日に子宮全摘出をして身体的に変わったことはあまりない。少しの間PMS(月経前症候群)もあった。生理は当たり前に来ない。少し寂しい。卵巣は残してあるので更年期はまだ来ず。
がんの再発に怯える日々、そして喪失感と闘いながら必死に自分を生きている。食生活にも気を使っているし、心の安定を図りたくて気疲れする生活を避けるために引っ越しもした。
時々なんでもなく悲しくなる、時々なんでもなく涙が出るし、眠れないことが多い。仕方ないと割り切るしかない。
まだクヨクヨしてしまう日もあるけど乗り越えるしかない。がん患者は毎日闘っているなと思う。がん患者だけならず何かしら患っている人も不調と闘ってる人もごまんと居る。
それぞれの乗り越え方もあるし、過ごし方もある。
どうか安らかに過ごせるようにと願うばかり。

勇気ある行動と言われたが、生か死を迫られた時にはもうどうしようもなくなるんだなって改めて痛感した。
だから今後も必死に幸せに生きてやろうと思う。

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