大栁友飛 | Ohyanagi Yuhi

Designer / Architecture / Text / Research &…

大栁友飛 | Ohyanagi Yuhi

Designer / Architecture / Text / Research & Development

最近の記事

メゾンとミーム ヴァージル・アブロー著『ダイアローグ』について

ヴァージル・アブロー 著,平岩 壮悟 訳『ダイアローグ』を読了。2021年に41歳で早逝してしまったヴァージルの思想と言葉は、プラットフォーム資本主義の現在において預言のようにすら思える。 Off-White™の根幹はトロイの木馬のようなミーム、つまりインターネット的な想像力がベースにある。 という言葉は、極めてミーム的。 社会に偏在する自明のアイコンを、ブランドのイメージとして書き換えること。 これは、サッチャーが唱えていたTINA(There is no alter

    • スペクトラムという思考へー兼本浩祐 著『普通という異常 健常発達という病』について

      兼本浩祐 著『普通という異常 健常発達という病』を読了。非定型発達と名指されるADHDやASDには特有の症例がある、とするならば翻って定型(健常)発達にだってそれ特有のーとりわけ色・金・名誉に対する偏執を代表としたー症例があるのだ、という枠組みのもと議論が展開。 中でも興味深かったのは、pp.54-55の「健常発達症候群」というもので、健常発達がどのような疾病を抱えているのか、その特性を挙げながら、対象者数について「悲劇的にも、発生率は非常に高く、1万人に対して9624人と

      • 贈与ー無限遠に拡散するのではない仕方で

        2022年グッドデザイン賞大賞となった「まほうの駄菓子屋チロル堂」。昼は駄菓子屋、夜は居酒屋になるんだけど、大人が支払うお金が寄附され、結果子供がカレーを100円で食べることができたりと、支援が必要な子達にアプローチされる。素敵かつクレバーな仕組みで共感しきり。 この仕組みの肝は、寄附範囲の設定にあると言えそう。対象が遠すぎると、手段が貨幣などにならざるを得ず、贈与の実感も薄くなる。反対に近すぎると手段が具体的になりがちで、親密な関係以外への憐みも生まれづらい。地域の子ども

        • 青井哲人著:『ヨコとタテの建築論 モダン・ヒューマンとしての私たちと建築をめぐる10講』について

          青井先生の『ヨコとタテの建築論 モダン・ヒューマンとしての私たちと建築をめぐる10講』を読了。 自分は大学院で青井先生の都市史の講義を受けていて、その際、動的類型学の概念に触れ、歴史という時空間の拡がりの中に位置づく、複雑な事象の数々を拾いながら、しかしその複雑さを捨象せず、明快に整理されていく様子に驚いていたのだけど、本書を読んでその範囲が氷山の一角でしかなかったことに気がつかされ、夢中で読んでしまった。(付箋も大量に貼った) 芸術はもちろん文化人類学や哲学、数学や生物

        メゾンとミーム ヴァージル・アブロー著『ダイアローグ』について

          グローバル時代の祈りについて。

          グローバルな社会によって、人々は距離を超えて関係性を持つことができる。同時に、グローバリズムの問題の一つにテロリズムがある。遠い距離の事件ですら、当事者や関係者になる可能性がある。例えば、京アニの事件により、世界中のアニメファンがテロリズムの影響を受けることになってしまった。 グローバルに祈りを表明できる手段は、現在インターネット上にしかない。しかし、インターネットでの祈りは本来的にフロー、流れてしまうものである。 墓や石碑や形見が重要なのは、流れていかず、ずっとそこに存在

          グローバル時代の祈りについて。

          人生≠コンテンツ.2019.11.11のこと.

          公開する日記、外連や衒いを帯びてきており、ありありと個人的なことを書くには厳しい心持ちになってきたので控えようと思います。俺の人生はコンテンツではない。いつもなんらかしらでセルアウトしようしようとする癖があり、良くない。ただ、文章を構築するのは楽しく、書かなければ見えないことある。ペースを下げるが記していきたい。ある程度パッケージするのが肝。週一ぐらいをめどにしたい。

          人生≠コンテンツ.2019.11.11のこと.

          道具.2019.11.08のこと.

          建築を道具的な存在として再解釈すること、が頭から離れない。 くわえて、日常を切り売りしているような感覚に陥っているため、形式を変えなければいけない。 ほとと疲れ果てている。

          道具.2019.11.08のこと.

          人ごみに逃げる.2019.11.07のこと.

          朝。昨晩から寒気がひどかったのだけど、長く寝ることによってある程度回復した。洗濯をする。 昼。人と接することが多い最近だった。バランスをとるために都会にでる。人と距離を取りたければ、都会がいい。多数性の中に紛れる。逆説的なプライバシーがある。何者でもないことの安堵。周辺視野の状態で人混みの中を歩く。カフェ。最近の活動をまとめる。スケジューリング。 夜。ハンズで材料を買う。研究室。目的の資料を印刷。帰宅。友人とミーティング。ビデオチャットによるミーティングは、もしかすると

          人ごみに逃げる.2019.11.07のこと.

          渋谷スクランブルスクエアのタイル.2019.11.06のこと.

          朝。アルバイトに向かう。満員電車での最適化。なんというか、こういう細かな内容に関して最適化する事で、非常に特殊なシステムが生まれるのだが、ドラスティックな環境の変化に対してはなんの知見にもならない、みたいな話はたくさんあるのだろうなと思う。 アルバイト。徐々に手癖が収斂されていくことの心地よさがある。出た問題に対して様々なパターンがブワッと展開され、手応えのあるパターンに収斂され...の繰り返し。ハイデガーのテクネーとゲシュテル。前段の話にも繋がるけど、身体と物理の相互間で

          渋谷スクランブルスクエアのタイル.2019.11.06のこと.

          都市のエージェント.2019.11.05のこと.

          朝。アルバイトに向かう。久しぶりの満員電車。都市のエージェントになる。満員電車のモードと形式主義な身体のモードは近い気がする。抽象化された人間。 昼。久しぶりの肉体疲労働。もともと、あるゲーム内でのパフォーマンスを高めることは好きな方なので黙々とやる。 夕方。近くの食堂で夕飯。洋食屋のカレー。 夜。研究室に戻りnoteを書いたり修論の続き。日記形式に少し疑問を感じているのだけど、とりあえず続けてみる。フローとストック。日記はフローの文章だとして、ストックできるもう一軸の

          都市のエージェント.2019.11.05のこと.

          昼と夜と黄昏.2019.11.04のこと.

          昼。図書館と研究室の往復。修論に関する資料をあたる。ルネサンス庭園の精神史や、万博の歴史1851-1970、GSDのguide to shoppingなど。関連しそうな書籍を手当たり次第当たる。百科事典的な一望性の思考の始まりが興味深い。植物園ー水族館ー美術館。ひとつながりの動線と、大衆に対する価値観のインストールみたいな話は近い気がしている。 学祭。普段見慣れている風景がガラリと変わること。祝祭性と潜在。真木悠介の『時間の比較社会学』を思い出す。古代日本において昼と夜は、

          昼と夜と黄昏.2019.11.04のこと.

          滋養.2019.11.03のこと.

          朝昼夕方と、寝れるだけ寝ていた。毎日更新したいとは思っていないのだけど、とかくアウトプットのハードルを下げることに徹している。こんなnoteがあっても構わないだろう。

          滋養.2019.11.03のこと.

          人間性の回復.2019.11.02のこと.

          朝。付けっ放しのラジオで目が覚める。昨日は終電で帰宅しそのまま寝てしまっていた。洗い物と掃除。用意して出かける。 昼。友人と合流して六本木。ミッドタウン。今年のグッドデザイン賞を見る。ちょうど、審査委員によるサービス、システムデザインについての審査報告をしていたため聴講する。テーマは人間性の回復、だと解釈。ベスト100について。最先端のテックで様々な可能性がみえだした。それらは効率社会を推し進めている道具にもなりがち。もちろん生産性を上げるのは前提であるが、重要なのは人が

          人間性の回復.2019.11.02のこと.

          商業空間と情報空間の共通点.2019.11.01のこと.

          資料をまとめていたら朝になっていた。支度をして大学に向かう。講義だと思っていたら休講だった。学祭期間らしい。見落としていた。 昼。ゼミ。修論と、商業空間と情報空間の構造的な相似についてプレゼン。南後先生の論考を参考にし、商業空間もSNSも経験として、一つの線をなぞるように感覚しているという考察。また、商業空間も情報空間もインターフェースのレイヤーから捉えると、道具的な存在として共通しているのではないかという仮説も立てる。 先生から、商業空間におけるピクチャレスクと一望性、そ

          商業空間と情報空間の共通点.2019.11.01のこと.

          アクシデントと可能性について.2019.10.31のこと.

          朝。寒くなると目覚めるまでに時間がかかる。ゆっくりと身体を解凍していく感じ。青井先生の講義。江戸の形成過程について。明暦に大火をきっかけに内堀と外堀が天下普請ー全国の大名による分担請負工事が行われた。JVみたいだ。以前研究室のゼミで外堀に関する議論があった際、外堀も巨大な土木工事であるし、段階的、あるいは分割され様々な主体のもと形成されたのではという仮説を立てたが、思わぬ形の解答を得た。単に不勉強なだけでもある。 昼。図書館で雑誌近代建築のアーカイブ。2000年以降。想定し

          アクシデントと可能性について.2019.10.31のこと.

          資本主義と移動、あるいはビニルタイルについて.2019.10.30のこと.

          朝。日差しで目が覚める。レースカーテンのみの生活が1年半続いている。以前住んでいた場所は、北面採光だったので、一年中洞窟のような環境で生活していた。それに比べるとコントラストがある。遮光カーテンをネットで見ては、まだいらないなと思う生活が1年以上続いている。ちなみにレースカーテンはノンプリーツかつ片開きのものだ。閉めた時、薄いスクエアの皮膜のようになる。気に入っている。 昼。支度して大学の図書館へ。学祭が近づいている。学内に仮設の構築物がパラパラと点在し始める。看板は、ほと

          資本主義と移動、あるいはビニルタイルについて.2019.10.30のこと.