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『この世界は、だれのもの』みた

初めに俯瞰の位置から。ほか、ピアノ横と一番前斜めから。最後も俯瞰で。






ずっと「どうしてわかってくれないの」という言葉が脳内でこだましている。全員そう言ってるように感じる。「わかった気にならないでよ」とか、「わかりたいのに」とか、聞こえてくる。ながめくらしつや現代サーカスや、そのほかのアートやなんやら全てのものがそうかもしれないけど、みんな鏡のようなものだと思うので、それらの言葉たちはこの作品の中にあるようで、わたしの中にある言葉であり、悩みであり、葛藤。観た人それぞれが別の何かを見ているはず。



男女ペアではあるのだが、振る舞いと衣装のおかげか、個人的には男女男女した印象はそんなに受けなかった。そう見える人はいると思う。わたしが宏次郎あこペアの中に見たものは親切心、ありがた迷惑、すれ違い、愛情。激しくて荒々しいところもあるけど、憎悪じゃない。働きかける宏次郎さんに抵抗(というより、躱したり)するあこさん。わたしはここで…まだ眠くて起き上がりたくなくて布団に戻っていく自分と、朝ごはんを食べて化粧をして外へ出てほしい自分の戦いを思った…。転じて、向かっていくあこさんから距離をとる宏次郎さん。宏次郎さんはひとりなにか見えないものに囚われたように、狂ったように、右も左もわからないというか、上も下もない(物理的に)というか、とにかく動き回る。(ここの宏次郎さんの迫真さ、演技力、演出がすごいんだこら)あこさんはただ見ている。それまで宏次郎さんを見なくて、目を合わせたと思ったら抗議のような眼差しだったのが、いまはただ見ている。あたたかな眼差しには思えないけど、でも、目を離さず見ている。宏次郎さんはあこさんを見ない。親子との関係や、恋人との関係や、友人との関係や、たくさんのことがよぎる。どっちのポジションが自分、とかじゃない、どっちもわたしだし、どっちもわたしじゃない。



わたしはあこさんの脱力の演技がすごく好き、くたっとして、わたしの愛用しているmoguの抱き枕を思い出す。細かいビーズが入っているやらかいやつ。あと、猫。くたっとした液体みたいな猫。人とやる時、今回は宏次郎さんですね、身を任せるのがうまいというか。わたし身体のこともダンスのこともわからないけど。あれすごいなって思ってる。好き。ついでに言うとわたしあこさんの顔めちゃくちゃ好き、来世はああいうおかおになりてえと思ってる。


宏次郎さんの進化えぐいんだよな。これまで、ご本人のふわふわほわほわしたお人柄や、その雰囲気のままものすごい身体能力で繰り広げられるアクロバットを見てきた。あと、演技っぽいことをしていたのはいつぞやのシルクゼロかな。その時と全然違う。人を惹きつける演技。引き摺り込む演技。表情。これ、やばいんじゃないの、進化しすぎててやばいんじゃないの、と思う。なにがやばいのかはわからないですけど。演出でここまで輝く。あと、目黒さんやあこさんがものすごく頑張ったと聞いた。それに応えたご本人の努力もきっと相当。本当にすごい。めちゃくちゃ好きになった。


目黒さんと杏奈さんに見たのは、距離感、固執・執着、諦め、盲目。こうなんだよ。ちがうよこうだよ。なんでよ。なんでわかってくれないの。杏奈さんとあこさんがダンサーだからなのかもしれないけど、ダブル目黒は執着のベクトルが物へ物へ向かっていく感じ。ボールやリングやロープや、椅子やテーブルや、杏奈さんあこさんがダブル目黒からそれを取り上げちゃう(という語彙でいいのかわからない)感じがあったな。でも、取ったら嬉しいわけでも取られて悲しいわけでもない。


杏奈さんはとても美しいな。儚い感じもして、でもかっこいい。筋肉と関節がわたしと比べて2,000個くらい多くあるんだと思うわ。どうしてあんなにたくさん動けるんだろ、ああいうのを、ダンスのボキャブラリというのだろうか。そして安定感がすごい。不安定な体勢でもちっとも不安にならない。でも緩急があって、安心させない。奥を向いて横たわった杏奈さんの足先だけ動くとき、死んだ木から新芽が芽吹くさまを連想した。新世界の時も思ったけど、すっごく目を奪われる。ほかを見ててもすいーって視線がそっちにいく。のに、なんかすごく神聖なものに感じられてたまに直視できなくなる。


目黒さんは、どの段階からこの景色が見えていたんだろう。いろんな要素を膨らませて束ねてこれをつくれるのすごくて、すごすぎて、なんて言っていいかわからない…。目黒作品は、幸せな気持ちになったり明るく元気づけられるものではないかもしれないけど、嘘がなくて、まっすぐに突き刺してくる。それに傷ついたり救われたりする。わたしの人生に必要なものだなと思う。



3回目に、「あれ、なんだかやってること、子供っぽいな」と感じた。表現が拙いとか、やってることが幼稚とか、そういうことではなくて…なんというかすごく原始的な感情・行動なのかも、みたいな意味で。居心地が悪い感じとか、奪ったり奪われたり、干渉したり拒絶したり、ああ、うーん、子供っぽいとか言いながらも…大人でもうまくできない部分…なんというか、なんというか。



杏奈さんがひとりで踊る。わたしたちも照らされている。イーガルさんの方へ行った杏奈さんが真ん中に戻ってきてまた踊る。突然暗転、もう少し長く踊るのを観ていたい気持ちになる。暗闇に残像をみる。さいごの時間。舞台は暗いので何も見えないけど思わず目を瞑る、イーガルさんのピアノを聴きながらこれまでの景色を反芻する。この時間がすごくいいなと思っている。





わたしはよく周りの人から「全てのひと・ものに真剣に向き合いすぎだ」と言われる。真正面からぶつかるし、真面目に受け止めるし、コミュニケーションを諦めない。いつも疲弊している。

この世界は、だれのもの。

わたしは幼稚園の頃からずーっと絵を描いていて、小学生の頃からずーっと文化系で、運動音痴で生きてきた。ゆえにか、スポーツの試合を観て感動したり励まされた経験はほぼないし、運動部の漫画とかも全然共感できない。誰かがゴールを決めたりホームランを打ったりしてもお酒が美味しくなったりしない。わたしも頑張らなきゃ…と思うことはあるかもしれないけど、関係ないし…と冷めちゃう。(いまみんなが騒いでるやつとかも、すんごくどうでもいい…)わたしの世界はわたしのもの、彼らの世界は彼らのもの。自分の世界を誰かに委ねるのは危ないし、つまんない、ゴーマンだと思っている。

とりあえず、この作品は好きだなあと。

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