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令和若者宣言-坂口安吾に触発されて-

帰り道の唇は金属の味がする。数時間すっかり震えきって細胞の死んだ唇。それをちろと舐めては、血のような風味に甘美な幸福を感じていた。中央のほうに残る疼きは顔から首、首から身体に伝わり、全身の力を抜いてバスの背もたれに私をへにょんともたれ掛からせる。中学1年生のとき、先輩に「1番脱力している瞬間はいつ?そのときの感覚で吹いて欲しい。」と言われて、「帰りのバスの座席...ですか?」と答えて笑われたっけ。よく考えたら「寝てるとき」という答えのほうが正解だったのかもしれないけど、私にとってはバスの背もたれのほうが分かりやすい。金属の塊の中に揺られる身体はいつも死人同然だ。

明後日で18歳になる。18歳!! 17歳ではない、18歳なの!!17歳には二度と戻れないの!!!そう思うと読み飛ばしたページがあるかのようにそわそわして、この数日間落ち着かなかった。

「秘密の匂いをひとつひとつ意識しながら生活している女の人にとっては、一時間一時間が抱きしめたいように大切であろうと僕は思う。自分の体のどんな小さなもの、一本の髪の毛でも眉毛でも、僕等には分らぬ『いのち』が女の人には感じられるのではあるまいか。」坂口安吾は「青春論」の中でこう問うている。全くのその通りだ、と文章を読みながら唸った。

10歳の頃、はじめてのおばあちゃんとの旅行で、SLに乗って熊本に行った。お寺の和尚さんが経営する地味な幼稚園の脇に細い道があって、そこに一枚だけ、枯れ葉が落ちていた。その子があまりにも寂しそうで、何を思ったか私はその葉っぱを思いっきり踏みつけた。今ここで踏みつけなかったら、一生この葉っぱには出会えないだろう。そう思うとなんだかいたたまれなくて、右足で思いっきり粉々にしたのだ。え?拾い集めたみたいな展開を期待したって?ごめんごめん、でも踏みつけるほうがまだ優しさのような気がしたのである。今彼女がここにいるという実感を得たかったし、そうやって世界と向き合っていたかった。

時間も眉毛や葉っぱのように、生き物であればいいのにと思う。そしたら名前をつけたり飼ったり「マテ」させたり、撫でたり甘えたりできるのに。それくらい日常の一瞬一瞬が愛おしくてしようがないのだ。たまにどうすることもできなくなって「いま幸せ!!」と言いながら友達に抱きつくが、1人のときはそうもいかない。見知らぬ人に抱き着いたら変質者扱いだ。だからただ目の前の緑や鷺に「綺麗だねぇ...」と声をかけるのが精いっぱいなのだ。

このスパンコールのような感情は今しか感じられないものだと思う… そうだ、今この目でしか感じられないことを書き溜めておこう、そう揚揚とペンを走らせたが一向に自らの平凡な視点にうんざりして、書きながら欠伸がでてくるだけであった。そんなとき出会ったのが坂口安吾である。安吾の文章の魅力は何といってもその絶望感と説得力にある。彼のぶつぶつ呟くような理屈を読んでいると、それが世界の真理であるのかのように見えてくる。そんな安吾を追っていったら、今の私の視点がくっきりと浮かび上がるのではと思った。

「青春は暗いものだ。私が暗かつたばかりでなく、友人たちも暗かったと私は思ふ。この戦争期の青年達は青春の空白時代だといふけれども、なべて青春は空白なものだと思ふ。発散のしやうもないほどの情熱と希望と活力がある。そのくせ焦点がないのだ。」(暗い青春)

当時安吾の友人が3人立て続けに自殺したそうだ。綴られる常軌を逸したエピソードに衝撃を受けつつ、もしかしたら当時の学生は「正気」があまりなかったのかもしれないなと思い始めた。インターネットもなく、飛行機もなく見る世界が全てだった。「常識」「正気」に出会うことが少なかったのかもしれない。

「彼の精神病棟へ見舞つたとき、私に死んでくれ、と言つた。私が生きてゐては死にきれない、と言ふのだ。お前は自殺できないだろう。俺が死ぬと、必ず、よぶから。必ず、よぶ。彼の狂つた眼に殺気がこもってギラ⋏した。」

彼らの生き方への執着。それはあまりにも極端で、なんだか真っ直ぐ生き過ぎたのではないかと恥ずかしくなった。自分の感情はいつもただシンプルで、小さなメモ帳に収まりきるほどでしかない。私の周りもそうだ。反抗もしない、グレもしない。車もバイクも買いもしない。自分のことを完全にわかってくれる人がいるなんて思ってない。髪を染めるなら落ち着いた茶色。環境問題が解決して、差別もなく、みんなが幸せに暮らせる自由な世界になれたらいいなーっと思っている。ブランド物も欲しくないし、あんまり一人で悩まない。自分探しの旅に出ても結局はインスタにあげる。誰かを攻撃しようとも思わない。美味しいものを食べて猫の動画見られれば幸せだし、青春の煌めきの中に自分が居られればそれでいいかなって思ってる。

ここまでやってみて悟った。私は坂口安吾にはなれない。落伍者になる勇気もない。味気なさすぎるかもしれない、色気がないかもしれない。だけどそれでいいのかもしれないね、自分がその生き方を望むのなら。

残念ながら、私の青春は、とかく明るかった。

キレートレモンをぐいと飲みほす。これを単純に「美味しい」と感じられるのは安吾にはない、私だけの特権かもしれない、と思いながら。

【2020年5月29日に書いたものです。令和の17歳感に溢れていたので投稿しました。2021年5月29日、18歳最後の最後の日にはどんなことを思うのかな。】

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