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鬼滅の刃の聖地~陸奥国一之宮 鹽竈神社~

神社


それは私たち日本人の生活にあまりにも身近に溶け込んでいる存在です


そんな我々、日本人の生活の一部となっている神社の事をあなたはどのくらい知っていますか?

今回ご紹介する神社は鹽竈神社(SHIOGAMA JINJA)です


鹽竈神社は宮城県塩竈市にある陸奥国一之宮の神社です


鹽竈神社は竈という漢字からもあるように

最近、俗世で大流行りの
「鬼滅の刃」の聖地の一つとして、有名になっている神社です


聖地の理由は竈という文字が鬼滅の刃の主人公 

『竈門炭次郎』と同じ文字を使っているからだと言われています


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では、さっそく鹽竈神社へ行きましょう

早速の洗礼ですね

表参道の階段が厳しいです

とても厳しい

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ここ、鹽竈神社の柱は柱合会議まではいかないですが、

柱合MTGならできそうな程の数!なんと三柱います


御祭神はメインはわし! 
塩柱!塩土老翁神(しおつちおぢのかみ) 

航海・潮の満ち引き・海の成分を司る神

武士柱!武甕槌神(たけみかづちのかみ) 
武士柱おかわり!経津主神(ふつぬしのかみ)

武運・国土平定の神です


塩柱がいるだけあって、

古代の製塩法を今に伝える藻塩焼神事(もしおやきしんじ)という塩柱ならではの神事があります

そんな歴史もありそうな鹽竈神社、実は謎多き神社なんですよ


謎は2つあります


謎1 いつ創建されたのか具体的にはわからない…

謎ですね。

記録も残されていないそうです。

口伝が絶えたのか記録の紙が実は燃やされたのかとか妄想しちゃいますね


奈良時代より前にはあったらしい…みたいなふんわりとした感じの創建時期です

謎2 朝廷からお金もらって贔屓されてたのに式内社に選ばれていない

式内社(しきないしゃ)とは

延喜式神名帳(じんみょうちょう)に記載された神社の事です
日本で一番古い神社図鑑と言えばわかりやすいかと思います。


式内社に選ばれる神社は朝廷や国から厚く信仰される対象であった

由緒正しき神社の事です


祭祀する為に国からたくさんのお金を出してもらっていた神社もあります


当時全国で祭祀料が与えられていたのは、

伊豆国三島社 2千束、出羽国大物忌社 2千束、

淡路国大和大国魂社 800束の三社で、これらは全て『式内社』です

では、鹽竈神社はどうだったのでしょうか


鹽竈神社は平安時代に祭祀料として1万束を与えられていました
これはかなり多いです

国をあげて神社にお金、当時はお米ですかね

国はこれだけ大きな額を渡していたのに延喜式神名帳にも記載されず、

その後も特に神社としての社格が大きく上がったりと恩恵をうけられていないという矛盾


一体なぜなんでしょうね

謎ですよね
謎だけではありませんよ


続いて、鹽竈神社のめちゃくちゃおもしろいとこ、興味深いところを紹介します

それは拝殿、本殿の数と位置です


皆さんも神社に行った時を頭に思い浮かべて下さい

鳥居をくぐり表参道を歩きます


そうすると正面に見えてくるのはお賽銭入れてお願い事をする拝殿ですね

そう、その神社での主祭神はそこにいらっしゃるんですよ


そして拝殿からズレた別の場所に一緒に祀られている神様がいますね
ところがこの鹽竈神社

表参道正面にいるのは主祭神である塩土老翁神ではないんですよ!

武士柱である武甕槌神 経津主神がいます

そして一つの拝殿の左宮が武甕槌神
右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)という配置になっています
そして、その奥の本殿は別々になっています

では、主祭神はどこで祀られているのでしょうか

武士柱の2柱が祀られている右側へ行きましょう

そこには『別宮』があります

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ここに塩柱の塩土老翁神が祀られています

このように3つの本殿に2つの拝殿という社殿構成は全国的に見てもほぼ見られないかなり珍しい配置となっています

しかも主祭神が別宮で祀られているとはほぼありえないですよね

基本的に別宮とは本宮ときわめて関わりの深い関係の神社の事を言います

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しかし鹽竈神社の別宮は神社によると特別な社という意味だそうで、

2.3番手という意味ではないそうです


ただ、主祭神がなんだか横に追いやられている感は否めないですよね


この配置には2つの理由が考えられます


ひとつめは、主祭神である塩土老翁神が海上守護の為、

海難を背負ってもらう為に海に背を向けるような形になったのではないかという理由

その為に今の配置になったと考えられます


ふたつめ、監視の為
神社には神様だけではなく、政治的要素を複雑に絡み合っている場合も多いです


武士柱である武甕槌神、経津主神この2柱は武運・国土平定の神様だと最初に言いました

この両神は国譲り(くにゆずり)に登場し、国土平定の業をなした神です

実は武甕槌神は鹿島神宮の祭神、
経津主神は香取神宮の祭神なのです


鹽竈神社のある奥州は昔から東夷と言いました

征夷大将軍の本来の目的はこの東夷を征する将軍として誕生しました


そんな、陸奥国にいる武士柱

その神様のいわれとして武運の神様、国土平定の神様ですね


これは、監視するために配置されたと言っても過言ではないでしょう


実際に左右宮の配置を見ても、塩竈の町を見渡せる位置にあります


いかがでしょうか

本殿の位置関係から何が見えるか

どんな風景が広がっているのか

そこから見えるものは?

なかなか奥が深いですよね


神社に行った時に鳥居を出た先にはどんな風景が広がっているのか、
そんな事に注目してみるのも楽しいかもしれませんね



最後に鹽竈神社のまとめ


1,謎に包まれた神社
創建時期がよくわからない
朝廷からの扱いはいいのに、神社の古い図鑑である延喜式神明帳に載っていない


2,拝殿、本殿の位置関係が全国的にみてもかなり変わってる
別宮の参拝は忘れずに
拝殿、本殿の位置から見える時代背景もおもしろい

最後まで読んで頂きありがとうございました

動画でわかりやすく解説はこちら


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