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【ほぼ毎日エッセイ1】中吉家族

幼少期から今の場所に住み、早20数年が経とうとしている。それが故に家族の間に『いつもの』がある。

「お昼どこいったん?」

と尋ねると

「いつもの」

となんの悪意もなく返ってくる。
聞いた側もラーメンか、とわかるからなんとも言えない。

そんな我が家の「いつもの」年明け。

年明けを迎えるのは父方の祖父母、その後母方の祖父母の家へ行き、初詣の順だ。順序が変わることはない。初詣の場所も変わったことはない。

八幡石清水八幡宮。
改めて漢字で書くとすごいな、ひとつ目の八幡はやわた、と読み、石清水はいわしみず、と読み、ふたつ目の八幡ははちまんと読む。このややこしい名前ながらに国宝のとても立派な神社に私たちは根拠なき絶大な信頼を置いて毎年訪れる。

手を清めて、古い矢を納めて、わかってるはずなのに毎度厄年のパネルの前で立ち止まる。

「うん、大丈夫やな」

と言う、のまでルーティン。

ちなみに厄年が被っていたら

「今年本厄や!」

と言う。不思議なものだ、そんなに気にしているのであれば去った昨年1年が前厄であることは忘れていないだろうに。もちろん、後厄の時も同じことを繰り返す。

「今年後厄や!」

「でも前厄本厄は平和な2年やったんちゃう?」

「せやな、あんま特には」

やはり気にしてない。なのに毎年立ち止まる。

本堂に入り、お賽銭を用意しながら去年のおみくじを財布から出しポケットにスタンバイさせる3人。その年のおみくじは持ち帰り翌年結ぶ、これは我々のルールではなく八幡宮の推奨ルールだ。たとえ何が出ても1年間携帯しておいて見返しなさい、というもの。

ここまででもすでに特異であるが、もう一つ変わっているのがおみくじの種類だ。

大吉、中吉、小吉、吉、凶。
よく知られるそれら以外に未分(いまだわからず)と平(たいら)、そして各上昇運と下降運がある。つまり7×2の14は出るという計算だ。筒に入った棒に書いてある番号を伝え、おみくじをもらうスタイル。昨年出た「未分 下降運」は30番台だった記憶があるのできっと各2種類以上はあるのだろう。

結びながら昨年を振り返る

「いまだわからずで下降するってなんかスッキリせんよな」と私。

「実際どうやったん」と父。

「あんたべつに下降した感はないし、いまだわからん地点は結構ええとこスタートやったんちゃう」と母。

振り返るも何もない。

そして今年も毎年と同じように筒を回す、
番号を覚え、伝える。

私が言う「5番です」
父が言う「6番です」
母が言う「7番です」

奇遇にも30超えの数字の中から連番になった
そして全員中吉だった。

帰り道に父が中吉を財布にしまいながらこう言った
「……来年引かずに1,2,3ゆってみよか」
出来レースになりつつある、我が家のおみくじ事情。

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