見出し画像

2023/06/05

Instagramのストーリーを見ていると、何人もの「お誕生日おめでとう〜!」のお祝いストーリーが流れてくる。今日誕生日の人多いのかな。実際に、小学生から仲の良い友達が今日で21歳になり、高校で仲違いをしたあの子も21歳を迎えた。あんなにも仲が良かったのに、少しのズレで大きくすれ違ってしまったあの子とは今年の3月、2年ぶりに再会した。あのころの大人の雰囲気をまとった感じ、お淑やかさ、それでいて強かな様子は変わり無かった。ずっと顔を合わせるのが嫌だったけど、久しぶりに話をしてみるとあのころの怒りや憎悪は全くなく、2年という月日が新たなスタートを切り出すための時間だったのだと思わせるかのように、私たちは1から友達を始めた。この2年で積もる話もあるだろう。いつも話を聞いてもらっていた私は話がしたくて仕方がない。早く飲みにいこうね。あの時はごめんね。また始めてくれてありがとう。

ここまで読んでわかるように、私は人間関係の構築が得意では無い。むしろ苦手で下手だ。高校の時にそれに気づいた私は、大学では友達を選んで、自分の心地が良い場所にのみ身を置くと決めた。その結果、大学3年の春、進路の方向が友達とは変わってしまい、ひとりでその道を進むことになった私は、ほとんどの授業を1人で受け、空き時間もお昼ご飯もほとんど1人で時間を過ごした。その分勉強に集中することが出来てとてもありがたいが(強がるな)、そこらの大学1年と変わりないことに気づいたり、頼りにできる人がいなかったり、たわいもない話をする人がいないことに対して寂しや孤独を感じつつ、人間関係を上手にこなすことが出来ない自分に嫌気がさし、自己嫌悪に浸る日々をすごしていた。それでも私が大丈夫でいることが出来た理由は、好きな人の存在があったからだ。社会人である彼に会えるのは週末だけ。それでも、その週末のために頑張った、頑張れた。いつもありがとう。

5月に入ると大学3年前期の生活にも慣れ、ひとりにも慣れてきた。しかし、そんなひとりの私に転機が訪れた。きっかけは、ゼミの男の子2人の恋バナを勝手に聞いていたことだったと思う。3人で話をする時間が増え、飲みにも行き、今では授業が始まるまで一緒にいたりする。4月の私からしたら考えられない光景だと思う。また、講座で違う学部のイケメンの男の子に声をかけられたり、バイト先の2個下の後輩とも仲が良くなり、対人関係が活発だった5月をすごした。そのおかげで、いつもの倍に疲労が溜まった。一緒にいて楽しくて面白いはずなのに、どこか無理をしている自分がいることに気がついた。新しい関係だからこそ疲れるのであると思っているが、適度な距離感が分からない。でもここで距離を置いたら、気まずいままになってしまうのかなとか不安になってしまってキリがない。そして私は小学生の頃もそうだったのだが、異性と仲良くなる方が得意なのだ。これも自分の嫌なところのひとつだった。異性と一緒にいるだけで冷ややかな目で見られたり、噂されたりするのが常で、それが嫌だからこそ直したいのに、気づいたら異性の友達と一緒にいるのが今だ。辞めたい。ごめんなさい。でも楽しいから一緒にいたいです。これからもよろしく頼みます。

でもゼミの2人は「今日いっぱいため息ついてたよ」「大丈夫?元気だして」と声をかけてくれるので、とてもありがたいと思っているし、ため息をついていたことに気づかなかったので、伝えてくれてありがとうと思っている。3人だからできるノリにいつも笑わせてもらっているし、「毎日強く生きよう!」「がんばろう!」と言い合える仲間が出来て良かった。

一方で、私の好きな人は、私がしんどい、辛いと言わなくても、私が切羽詰まっていることに、無理をしていることに、気持ちが落ちていることに気がついて「頑張らなくてもいいよ」と言って羽を休ませてくれる。上がりすぎているスピードを抑えてくれる。いつもありがとう。私も同じように出来ているのかな、休める場所であるのかな、と思う。

好きな人のことについてはまた今度、話します。

あとは今日はダメな日だったので映画を観てきた。怪物、良かった。帰り道、圧倒されすぎてほぼ無だった。その帰り道にいた花が綺麗だったのでサムネにした。明日のおにぎりのためのご飯を炊いて寝ますね。おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?