爪の垢はさすがに汚いから、

流石に汚いですよね。爪の垢。じゃあ何を煎じて飲むのかと言われても困りますが。何かを煎じて飲まなくても、すごい人にあやかれたらいいのにって思います。まぁ爪の垢を煎じて飲んでもあやかれませんが。

今回は、嫉妬や僻みについて書きます。

人はなぜ、嫉妬し、僻み、ジェラシーを感じるのでしょうか。がめつい女である私は、自分より秀でた能力や行動力、人望を持つ方に対してしょっちゅう僻んで、悔しくて、一方的に相手を嫌いになったりしていました。また、今でも時々してしまいます。隣の芝は青く見えるのです。僻んで、辛くて、嫉妬して、Twitterでブロックしたり、こっそり苦手アピールしてみたり……本当は、ここではちょっと書けないくらいの嫌がらせをしていました。10代の頃の話です。嫉妬することが見苦しく、格好悪い事と知っていてもやめられませんでした。

先日、自分にはない強烈な努力や才を持つ方の存在を身近で知り、思わず悔しくて涙しました。私だって頑張ってるのに。なんであの人は。なんで私にはないんだろう。なんで私には出来ないんだろう。そう思うと胸の中に黒く重く禍々しいものが生まれ、楽しい気持ちをブラックホールのように吸い込んでいきます。これには私の優秀なポジティブシンキングも負けてしまいます。タママインパクトが撃てます(わからない方はケロロ軍曹を見ましょう)。

私は要領が悪く、1つのことを順調にできるようになるまでに時間がかかります。今まであらゆるアルバイトをしてきましたが、いつも慣れるまでに時間がかかり、先輩に迷惑をかけてきました。苦痛でした。自分より後に入った後輩がずんずんといろんな仕事をできるようになる姿に何度嫉妬し、辛い思いをしたか。

ネガティブな感情は、人を幸せにしません。楽しい思いもさせません。ただどうしても湧き出してしまう。うまく付き合えないものかと思い、最近開き直り方を見出しました。

嫉妬や僻みは裏を返せば憧れなのです。私はずっと、仕事覚えの早い後輩に、好きなことをやり込める友達に、好きな人に愛されるあの子に、人から求められる知り合いに憧れていたんです。「なりたい自分」の鏡にマイナスな感情を抱いていたのです。
また、これは私の場合ですが、私の嫉妬の対象は才能や要領の良さだけではなく、行動力を持ち合わせていました。私ができない=やっていないことを次々とやってのける姿に私は嫉妬していました。輝いている姿に僻んでいました。その間私は何もしていないのに。

嫉妬や僻みとの新しい向き合い方は、憧れ、尊敬し、その対象に自分が近づけるような努力をすることで解消に向かっているような気がします。このnoteも憧れているライターさんのnoteをみて始めました。自分の持ってる考えや意見、意思を言葉に表現し、長くない文で人に伝える楽しさを、私は憧れの存在から学びました。今、このnoteを見て私に興味を示してくださった方も少なくなく、憧れの方に近づけたような気がしてとても誇らしいです。また、こうして1つのことに挑戦できた自分に対する喜びや成長を僅かながらに感じています。

嫉妬や僻みと仲良くすることで、自分自身が成長できているような気がして、とても充実しています。憧れが明白になったことで自分がどのように行動すればいいかも明白になります。とてもオススメです。私の野望は、嫉妬し、憧れていた人に憧れられるような人になることです。要領が悪い部分もありますが、まずは行動すること。何もやらずに僻むより、なにか行動して近づく努力をしたいと思っています。

嫉妬や僻みを否定するのではなく、ちょっと落ち着いて、美味しいご飯食べて、友達と遊んで、よく寝たら、その人のことを素直に憧れることが出来るような気がします。嫉妬や僻みと仲良くして、それまでも自分の成長に繋げられたら、マイナスがプラスになって、もっともっと充実出来ると思いませんか?


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